2010年5月31日月曜日

雨の季節

もうすぐ、雨の季節だ。こうなれば、こっちのものだ。雨が好きだなどと、キザなセリフ。でも本当に落ち着くんだ。久坂葉子は雨の音が恐くて寝られないと書いていた。その感性も好きだ。なんか病的で・・・・・。読もうと思って買った本がたまってしまった。この雨季をを利用して、クリアーせねばと考えている。
疲れがたまっている。もう眼が覚めるまで眠り続けるなんてことは、出来ないのかも知れないね。大学行っている時は、眠くなれば寝て、眼が覚めると起きた。夢のようだ。いや、夢だった。大学での4年間にあった事は、みんな夢であったに違いない。《ヒサシ・1980年5月31日(土)記》。

2010年5月28日金曜日

大網

先日、久しぶりにオーネット・コールマンの「パリ・コンサート」を聴いて、改めて躍動溢れるハツラツした音群に畏れ入ってしまった。コールマンは他のどんなジャズメンよりも異なった方法と展開で、音楽を演っているのを痛切に感じる。例えばコルトレーンやマイルスの巨匠的作品などと比較しても、実に若々しく、みずみずしく、感情豊かである。そして曲名、タイトルが単なる記号や象徴性ばかりで、プレイそのものに重点が置かれている。野獣派ペインティングといったところか。そして立体派 移行への・・・・・。《1981年5月25日(月)記》。

2010年5月27日木曜日

敬三&香津美

言わずとしれた、敬三さんです。オーネット・コールマンを評する、キャッチ・コピーみたいな形容ですが、実際のところ名前だけで、井上敬三さんのそのほどを知る方はそれほどいないのではと?  「Intimate」は敬三さんのアルバムで共演者は渡辺香津美さん。1980年頃、話題だけで興味を得て購入した、香津美ファンの知人から録音させて貰った。ファンには抵抗のあるジャズだったに違いなく、感心する言葉を聞いていない。それから25年以上も過ぎ、3年前、自らCD化して保管体制(?きどり)Wfsmilesjs の中から数日前ピック・アップして、クルマを運転中流してみた。要するにテキトーに接する加減をつくってみたという設定になるか? ところが久しぶりに聴いてみて、楽器の持ち替えはドルフィー的ながら、その表情豊かな吹奏にいたっては、ドルフィーを凌駕するつややかな音色と弾むような抑揚に、確かな作曲でと、全く色あせのない、+POP感覚での、多彩さに驚愕する。ないものねだりををすれば、ネバネバ性や、くろぐろ感の不足ぐらいでと思う。アープシンセの音感は坂本龍一さんだと記憶しているが、しっくりいってる。そして、当時の(それ以前からも)、香津美さんのインパクトの強さなど、衝撃デビュー時の再現になる。この組み合わせは、ジョン・サーマンとジョン・マクラフリン(ジャケット挿入・Where Fortune Smile)の対戦のような、凄いアルバムであることが証明できる。残念ながら没して、keizohさんは、マイ・チューブの中で、フリーに暗躍する。《2008年5月27日記》。

2010年5月26日水曜日

薫風

大学4年生活の初めての安らぎを感じる新入生の5月。
あっという間の1ヶ月だったのだろうが、これが50倍くらいは続くことになる。
長いようだけれど、やはりあっという間に過ぎ去り、芳紀20才はその中途で迎える。
しかし、それは一般的な感情での話。恐らく言葉で素通りしてしまうほどの単純さではあるまい。
ボク自身にも、いろんな恐怖が渦巻いていて、いきがったり、つっぱたりだけでは心細さが湧いてくる。
強くなりたいのは積極的な願望だが、とにかく優しくなりたいと思ったり、
多くを許容したいなどと思ったりする依存型願望も弱気の時には芽生えてくる。所謂、葛藤だ。
だが偏見であるにせよ、自分で正しいと思っているような枠付けを、
相手の人間性に於いて霧消しても構わないというような不節操は持っていないのだ。
弱体気味の場合には尚更その辺の事情で手を打ちたくなる。自分の諸条件で、
気持ちを変えなくてはならないのは、これはみじめ。
考えていることや、声明めいたアピールを伝えるのは、それらの事情から到達するわけだから、
困難を極める。そして伝える必要に値する対象であるかどうか、疑わしいことも大いにある。
《1981年5月4日(月)ノートから》

2010年5月25日火曜日

不釣り合い

かもしれないが、無理を承知で東京ビッグサイトへ行ってみた。(2007年5月)
一坪ほどのブースを、数千集めたデザインの祭典「DESIGN FESTA25」だ。むんむんする創造魂のごった煮?だと思えば納得もできようか。
この程度の印象を眼にしただけで、疲れてしまった。無理と言ったのは、肉体能力が劣化して、国際展示場正門駅に着いたら、ほぼ本日の目的を達成したような気分で、足が重くなりだしたからである。
巨大なブースはビッグサイトで、その手の中で踊らされているのは、小さな小さなブースの数々と、皮肉はともかくも、自分の同じような年代も想い出す。懐かしいような、面映ゆい、困惑と混濁の成せる素直な“突っ張り”よ、それは。
そして、自分は今回、ムスメの出品を見ようと素直に動いただけ。《2007年5月26日(土)記》。

2010年5月23日日曜日

渋谷道玄坂篇2


1970年3月11日()
 道玄坂、百軒店の“ひまわり”で「One For The Trane」を買った。(もちろん、この頃まだ30cmLPレコード盤です)  このアーチィ・シェップの「One・・・・」はタイトル通り、故ジョン・コルトレーンに捧げられたものである。  ただ、私自身のトレーン研究が不足していて「My Favorite Things」重視なので明確な評価はできない。  

しかし、シェップのコルトレーン敬愛の念が深かった事実はある、 がシェップ自身の学歴はジャズメンには珍しく、大学卒で、専攻も劇学とかで、反民主とか人種差別反対等のブレーンを持っている。  そのようなアンチ的なものを除いてのシェップは教養人であり、ジャズに対するものはコルトレーンが、自身の消化で表現したとは別に、コルトレーン的ではあっても幅広い音楽性を感じるのである。  リフスタイル、マーチスタイルが飛び出して来、いそしぎが現れるのはシェップがコルトレーン型ではなく、既に自己を表現していることの証明にもなろう。  何故ならコルトレーンに欠けていたものは「柔らかさ」と「ユーモア」であるからだ。

2010年5月22日土曜日

休刊

ジャズ専門誌、スイングジャーナルが休刊する と発表された。
この雑誌を初めて見たのは、そして買ったのも同時期で、高校生で、1960年に入ったころだった。しかし、その10年以前に創刊号は出ている。もちろん当時は右開きの縦組みが、当たり前の如くのレトロなロゴや広告ページが汪溢していた。
そして、タイトルロゴの数度の変遷があり、左開きになり、以後は順調な最近かと思いながら、図書館で遅れものの、情報を確かめて安心の業界を感じていた昨今。
特別高いわけでもない本の値段だが、その紙面に奇抜な構想が入るのでもない、偉大なるマンネリ化の内容でそれなりの平均した記事をたどっていたのだ。
しかし、このところの価値観の多彩さに追随できぬ、ギャップがでてきたのも事実だ。仕方のない局面かも知れない。惜しいと想うのは、その歴史だけで過ぎてしまった63年の数値のみ。
ある意味、権威を示していた、SJの文字が失われることだと思う。

2010年5月21日金曜日

時代錯誤

 ビデオ機器を新規に購入しようかなどという、時期にかかっている。保存物の映像がDVD化できないものもあって、VHSで数10本ほどそのままで、これからもテープで増やさなくてはならないのかなあという懸念。現在の機器は中古で説明書のないしろもの、なんとか操作している。3月頃にリモコンの電池がきれて、再セットを試みたが作動しない、高級機の体裁ながら、組まれている日付が2007年で終了してそのまま2008年に突入した、という。ところが、電池切れ後は2007年の12月31日から翌日へ向かって何度試みても、この機器の最初の設定に戻ってしまう。さあ困った!再生はできても録画ができない。で・・・思案くりかえし、同じ曜日で同じ月日が合致する年度を思いつき探して、我が身を納得させることに成功した。「タイムスリップ」である。今日、録りだめの「戦国自衛隊1549」を見た。角川の豪華?ものですが、なんと!つまらない、以前の半村良版の衝撃的な登場には及ばない。  時代劇?の観点から、くだらなさでは、昨日見た「ジャズ大名」にはふざけたおもしろさがあった。  我が家のビデオは200?年で、来年の2月をクリヤーできるだろうか、その時もう一度逆行を試みなければと、楽しみです。《2008年5月22日記》。Donelimotr185

2010年5月20日木曜日

渋谷道玄坂篇


40数年前に就職した松涛辺の看板屋は、大手のお得意先を抱えていて、それは豊島園やユネスコ村の西武だったり、プリンスホテルや苗場スキー場の国土計画だったり、或いは箱根小涌園の藤田観光と、いろいろ出張もさせてもらった。そして渋谷周辺では多くの映画館の仕事も入っていた。その関係で、ただで映画を見ることも出来た。線路沿いにあった映画館も今はなく、道玄坂入り口の洋画系上映館も消えていた。
2010年4月24日に、その変貌を確かめに神泉駅から降り道玄坂を下って左右を凝視して歩いてみたが、細かな記憶は自分の中でも消えていて、緑屋があったことなど、駅前の日本相互銀行の小百合さん写真、のことなど幻のように甦るだけである。若い人に話すだけでもはばかるようなその群れの侵略性に、沈黙の老獪を秘匿するのみである。変遷はこうあるべきの横行がスクランブルをほどよく闊歩している、のを痛切に感じる。おだやかな土曜日の午後です。

渋谷松涛篇


今年から、過去地を訪ねてみようと、2月は北千住に出かけてみた。4月24日は渋谷へ。
実はボク自身非常に飽きっぽい性格で、職業を何度も変えて、しかも当然ながらあちこちを渡り歩いた。もちろん軌跡は都内及び関東近辺で、住まいも、仕事も拠点も殖やしていた?ということで、それだけの想い出と感慨も置いてきた・・・ということ、歩ける内に、なんとかその記憶を確かめ達成しようの計画です。
渋谷松涛は看板屋があったところ。井の頭線の神泉で降りて、記憶が甦らないもどかしさが遅々とした自身の歩行のせいで、徐々に回顧に拍車がかかり、理美容専門学校でついに合点を得る。しかし、40年以上も前のファッションとは異なる学生のいでたちは、周囲の変化そのままだ・・・。そして看板屋は変貌していた。地域開発のためか、繁華街の延長ゆえか、静かな住宅街入り口はイメージを変えていた。僅か、看板やのトラックに英文字が残っていたのみで、それがデザイン会社に発展したかどうかは確かめられない。看板やの風情で充分に納得なのだ。    そのあと猥雑な地形の路地裏、道玄坂、恋文横町、をほんのちょっと見やり渋谷駅まで歩いた。 昔も賑やか、現在もそれ以上に。

2010年5月15日土曜日

轍つくるもの

《1981年5月14日(木)》
横に前に、ダンプトラックが挟み込むようにして、そっとかかえられて、そのクルマは走っていく。
緑に飢えていた気持ち跳躍させて、クルマを駆って貰った。
もちろん、ボクは免許はない。ハンドルを小さく握る隣の人が運転者。命を預けられた形でそのドライバーは悠々と走行させる。
昨日、久しぶりに、マル一日休んで、のんびりしてきた。僅かの興奮を持ち寄って眼を覚ましたせいか、いやに眩しい若葉の中で何度も瞼をこすりあげた。
陽が南天を過ぎた頃から、微かな睡魔に襲われ欠伸を秘かに繰り返した。運転者は楚々とした仕種で正面を見つめクルマは走る。
こんな安らぎを、ボクは欲していたのではなかろうか。何故なら昨年初夏に見た青葉の翳りは、こんなにも、おだやかで、優しくはなく、刺すような鋭い緑であったのを記憶している。
そして、忘れかけていた生命の息吹を幼く想い出した。それは普段、周囲の目になり、丁寧に見つづけていた世界の自転がボクにも訪れてきそうな胸騒ぎであった。
突然、疾風の如く門戸を叩き続けた、電話のベルに、そして果敢な一声に、ボクは感謝するほかはない。一瞬、ボクは自分の性を疑ったほどだ。決して順路を形式化するような力関係に頼っては、いないが、ボクはその力をおろそかにし、慢心していたのではなかろうか。
恥じた。いまはもう、ありがとうしか言えない。

2010年5月13日木曜日

アカシアの雨・・・?

 この歌の抒情性と物語性は、当時、流行っていた歌謡曲の俗さからは離れた位置で尖塔のように想えた。1962年。安保闘争の頃。
 「アカシアの道」を見たとき、もちろんこの名曲を連想した。が「・・・がやむとき」ではなく、「・・・にうたれて」と想い出した。当初から誤って記憶していた訳じゃない。仕方がない物忘れをする年代に入ったのだ。原作は近藤ようこ、日常的な身近な生活の何気ない怖さを描く漫画家。シンプルな描線と白さの目立つ画面が特長。
 映画では記憶喪失の推移と、関わる周囲の困惑とこれからの対処する「道」が描かれる。キャストをみて夏川結衣、りりぃ、「青い鳥」の連想で、子供時代は?、鈴木杏?ではなかった。誤認より外れのほうがマシ!顔が違うでショ!
 怖さは、真実に迫るからだ・・・と思う。(2007年5月16日記)。

2010年5月11日火曜日

素朴?

 手嶌葵を聴く、そして見る。が等しく同じ感慨を与えてはくれない。微妙な変化の結果に至る、少しの不満。
 塩谷哲(ピアノ)とのコラボレイションの中で感じた深遠な鼓動の歌唱が、他のセッションに於ける音群の中では、僅かに「へこんで」聞こえてしまうもどかしさのような多少の「ぶれ」が生ずる。ずれ、なのかも知れないが、それはコラボで相対する対照の資質の差違なのでは?と擁護の気持ち。
 ノートは1980年5月8日、全く関係ないけど、文字面(づら)に不思議なリズム感が見られて、当時から、気に入ってる1ページです。《2007年5月13日記》。

2010年5月9日日曜日

トレーン



《1980年5月14日(水))》 ごひいきのプレイヤーをあげると決まって、Archie Shepp、 Don Cherry 、 Ornette Colemanとなる。この中でまだ見ていないのはOrnette Colemanである。
 John Coltraneは死ぬ前年の1966年7月に来日公演を果たしている。今から14年も前のことだ。当時、Coltraneに興味が湧かなかったのは、夜間のデザインスクールに通っていて忙しく夢中であったからでもある・・・(今思えば何ら関係がない記述だな・・・2009年5月13日)
 もちろん、Coltraneの晩年は、ニューシング志向ではあったが確立した評価を得ていたものは、プレステッジ後期のものやアトランティック盤であった。その頃の「Giant Steps」や「Spiral」に技巧ばかりが目立って感心できなかったのである。ボクは、Coltraneに入るよりもSheppや Cherry、 Colemanに惹かれる方が数段早かった。時代を反映していて、自己の精神性に埋没を重ねているColtraneよりも、3人のニューシング派の猛りくるう咆哮とメッセージを多く披瀝するアプローチの強い音楽が好きだった。
 最も有名なジョン・コルトレーンの「至上の愛」を買ったのは、SJ誌でゴールドディスクのシールをつけられてからである。まあまあ最近のことだ。他人にはタイトルの微かな威圧感と大きさを以ってして聴かせることにしているが、音楽をあまりに精神的なレベルで把握しなければならない完成度と計算された構築度を誇っている。嫌いではない。
 アーチィ・シェップの「トランペット・イン・マイ・ソウル」、ドン・チェリーの「エターナル・リズム」、オーネット・コールマンの「パリ・コンサート」のように「至上の愛」を気に入っているわけではない。コルトレーンのアルバムではドルフィの入ったimpulse盤が、より好きなんだ。しかしコルトレーンはボクにとって名前だけで、レコードという単なる記録に留まっている。

2010年5月8日土曜日

遠足

Uni_01475月23日、アンデルセン公園に行く。この時期はどうしても遠足の子供たちでいっぱいになる。と言っても、ここは歓声、嬌声が晴天に舞い上がるだけで、愉しみも、友達いっぱいの幸せも、周辺の緑に包み込まれる。(2007年5月23日)。

2010年5月6日木曜日

家庭音楽会!?

1974516()
ドン・チェリーの最終公演から戻り記している。午前0時を過ぎた。日本人との共演である。たしかに素晴らしいのだが、アーチィ・シェップの時のようにエキサイトしなかった。それは何故かというと、ドン・チェリーの音楽はジャズの形体から、大分ずれていることが第一であり、精神性が強調されているせいでもあろう。ドン・チェリーとその夫人と娘と息子の家庭音楽会でもある。これだけでも「一聴一見」の価値がある。佐藤允彦(piano)、富樫雅彦(perc)、翠川継基(bass)、田中穂積( perc.)そしてサックスプレイヤー?を含めてのコンサート。

2010年5月4日火曜日

新緑満載

Uni_0123_3 栗だろうか、柿だろうか、夕刻から、ぷううーんと匂ってくるよどんだ空気を感じる。少しなまぬるい初夏の気配だ。これは果実ではなく花なのだろう、薄闇で目にできるのは、新緑のかたまりである。この季節のこの匂いが好きで、「何の」匂いと説明できないのが残念だけど、まあこの季節の緑の香りだと想えばいい。 「麦の穂をゆらす風」をみた。1920年代のアイルランドの田舎を‘どんと’据えている。歴史をたいらにとらえた傑作かと思うが、赤裸々な真実に向かう表現が、平和のまっただ中で安穏としている身には凝視できない辛辣さである(これは映画、創造なのだと割り引いても)。  【その時代から90年も経とうというのに、現実にも似たような境遇が世界にはある・・。】  理不尽で、納得のいかない傲慢な大局の押し寄せが「麦の穂・・・」の冒頭からうねってくる、なだらかな丘に、生い茂る美しい雑草の群舞のなかを裂くかのごとく、だ。個性をよみとれない殆ど似た様相(素朴な時代のファッション)から徐々に生みだされてくる、若者の突きだす僅かな主張が悲哀をつないでしまう。つつましやかな生き方の世界とそそとするおだやかな風の行方を遮ってしまった一閃の菜切りの緑のしずくが、この映画の魅力だ。仰がれてレンズに収められた緑の清逸なこと、格別な癒し、沐浴の如き。(2008年5月18日記)。

2010年5月3日月曜日

コリーヌ・ベイリー・レイ&ルネ・マリー





遅ればせながら、コリーヌ・ベイリー・レイに昨日、遭遇した。以前録画しておいたライブものを見た。ジョン・メイヤーに感動して、ノラ・ジョーンズに魅入り、そのあとコリーヌ・ベイリー・レイに出会った。これは「一聴」だけではだめ、即ち「一見」を加えて必見の価値がある。とても華奢にみえる素朴な感じのオンナの子が表情にゆるやかな癒しを表してギターを弾きながら歌う。きらきらし右往左往する視線はオーラを放ち、しみいる唱声は笑顔を連れ添って届いてくる。何事も超えてしまう、ジャンルを選ばない、稀なる特異性だ。きのう一日、コリーヌかコリンかレアかと思案していた。そして、YOU TUBEで自転車に乗ってるプロモをみたら嬉しくなった。マーカス・ミラーやハービー・ハンコック(グラミー賞とった)のアルバムに加わっているのを確認しても既に、無印ではない。ノラ・ジョーンズも相応として、ジョン・メイヤー(ギター・ヴォーカル)の殊に、ギター・ワークにも惹かれた。コリーヌ・ベイリー・レイに関しては2005年結城つむぎの郷サウンド・フェスタにぶつかった、ルネ・マリーに匹敵するような衝撃的な経験でした。年齢差もあることながら、肩の力がぬけてるさまが、ファッションからも伝わってくる。一見お薦め。こちら、挿入はルネ・マリーです。(2008年5月10日記)。

2010年5月2日日曜日

肩すかし

「オーシャンズ12」を見た。面白いに違いないと確信していたのに、全くつまらない。これは裏切りだ。豪華な役者が揃いもそろい何をしたというのだ。文庫本を斜め読みしているような通過させるだけの内容。ジョージ・クルーニィが「シリアナ」で好演したような訴求力がない。「トラフィック」のドン・チードルの影が薄くなる。もっとも超娯楽大作で落ち着くものと片付けられるかも知れないが、ベニチオ・デル・トロの「誘拐犯」を見た(トラフィックでも良かった)、その最近の熱い感激の後では、相当のB級ものだ。由縁とか縁故を勝手につなぐ手段などもっての他。ま、これは自分だけの感想です。少し声を張り上げてみました。「11」と「13」があるようなので、別の機会に挽回をはかれることもあろうかと。
 2年ぐらい前に「ひめはるの里」近くで見た鯉のぼり。実はレンゲソウを見に行ったのですが、時期を逸して肩すかし。これは、これで良。(2009年5月5日記)。

2010年5月1日土曜日

渋谷番外篇

4月24日に渋谷へ行った。杖をついてたどる歩行だから、土曜日の混雑を家族は心配していたが、久しぶりに松涛方面から東急文化村辺りを歩いてみて、「まあ、40年前から比べれば人混みは増したかな・・・」という感じで、駅前のスクランブルが道玄坂入り口にも設けられた、“配慮”?
その昔は、道玄坂には緑屋があり、ついで109が出現し(今は引っ越し?)、駅前周辺は変貌を遂げ、大井は消え、大盛堂もないか、そして看板屋の中心仕事だった映画館も減り、杞憂をよそに
むむむ・・・ヤマハは渋くありました。コレクションの貴重は、ここから手に入れたものもある。後日詳細披露しようぞ!