2010年12月29日水曜日

キース・ジャレット&

マジかよって感じでは?1枚のCDの前半に超レア稀キースのVORTEX盤、そして後半はアート・アンサンブル・オブ・シカゴの「バブティズム」。ロスコーミッチェルのアナーキーなサックス、管?能的3管そり等々。許せなさそうな、お徳用、めっけもんで本年終わりの章。さすが、アマゾン船便。《2006年12月29日(金)ノート》

2010年12月25日土曜日

超える

《1979年12月25日(火)》
C.Moさんは、コーヒーしか飲まなかった娘さんである。いつもスラックスにセーターで、夏はTシャツに替わるぐらいであった。髪型はオカッパ姿で、それ以外のおシャレを見たのは、スカートを珍しく着用した2,3度くらいであった。スカートといっても便宜的なもので、実用一点張りのコーデュロイであったりして地味なのであるが、その珍しげなスカート姿を見たことだけで、話題を集められる女の子であった。
この世で哀しいのは離別だろうと思う。そしてこの離別があるからこそ、生き甲斐を確かめることが出来るのだろうと思う。
Moさんに夢があり、理想があり、自分の意のままに生きたいと思っても、制約を与えるものは限られた人生であるし、命であると思う。そのために躍起になって、その場しのぎの奮発でフル回転しようと望み臨む訳だ。人生、命が制約を押しつけるが、自分では殆どそれを認めていて、外部状況も同じように、限られた人生と、命を持っていて、にじり寄ってくるのである。それは両親、兄弟、友人であり、恋人である。いずれも大切で大事なものである。自分で選びきるには、それぞれ困難なほど大切なものを、その都度、全身で判断して除いていかなくてはならない。制約でもそれは断ちがたいものであるが、仕方なく葬るしかないのである。それを離別だと言っていいだろう。そしてもっと、今日的な言葉で“超える”と替えられるだろう。そうした存在を超えないと、自分の本当のやりたい事が出来ないと思うのだ。
妥協があって当然。だから、妥協がそうした困惑の中で、生まれるのなら、生まれたものを讃えたいと思うのだ。
Moさんが、涙を流し、泣いたのは、命に近い範囲に大事なものが僅かあって、それを全て実現するには、故郷を捨てるとか、親と離れるとかの決意を促された、切迫した気持ちが女性特有の涙腺径路で、あっと押し寄せがあって
泣いてしまった
と思うのである。

2010年12月23日木曜日

師走の涙③

《1979年12月19日(水)》
・・・・・
何故、どうして泣いたのですか
Moさん。

ぼくがMoさんと喋り続けている間に、彼女がどうしても話せない部分があった。それは彼女にとってものすごく大切なことだったようである。彼女の目下の理想が、その辺に集約されていると思えた。北海道や京都、A・アイラー、M・タイナーの軌跡が僅か想像できたのである。美術を選んだことや、自転車旅行をしたいなどということは、彼女自身の個性に依るもので、言えない部分から秘かな影響ではなかったと思われる。
Moさんの涙について続けよう。
自分の望んでいることと、親との関わり合いを考えるとき、困難な事が歴然としてあったのではなかろうか。
ぼくが東京へ出た頃の話をした。故郷を離れて生活してて、田舎の事を自ずと忘れて、平気で一人暮らしに馴れてしまった事なんかを喋った。親父の死んだ日のことを、克明に話したせいだろうと思う。

Moさんが泣いたのは、命を考え始めたためだろうと思う。
それでは、命に拘泥した事が、泣くことにつながる、その極めて人間的な、真実に満ちた涙について記してみよう。(・・・この続きは12月25日以降に)
蛇足だが、Moさんはコーヒーしか飲まなかった女の子である。

2010年12月22日水曜日

師走の涙②

《1979年12月19日(水)》
・・・・・・
何故、泣いたのだろうか。

Moさんの夢の中に、北海道があり、京都があり、美術があり、アルバート・アイラーがあり、マッコイ・タイナーが居て、そして自転車旅行があった。すべて手の届きそうな距離感で具現化しやすい位置にあったと言えよう。しかし、彼女の保護者である父母を含めた家族、家庭の存在によって、その全てが文字通りの夢に変わりやすい位置にあったことも事実である。
親とか、家庭とかいうものは、どれほどの大きさをもって環境を形成しているのかということだ。子供が飛翔に相応しい育ち盛りの翼を大切にしているのに、親の存在は、その翼をもぎ取り、そぎ落とし、枷であることの責めを、感じることなく、愛だと誤解しやすいのです。その逆もまたある。子供の夢がひどく漠然としていて、常に口吻だけで実行できないと親が熟知していたら、雑多な思惑はあるにせよ、助言や説教は愛そのもとして浮かび上がる。
Moさんの場合は、ごく当たり前のケースとして親の理想(親が娘に賭し託す)と、子の夢、理想にギャップがあったと見ていい。
ギャップは埋められるだろう。ギャップをギャップとして即ち相違として、お互いに固執していることもおかしいのである。理解するということは、同意を得ると言うことではないし、親と子の間で同意を得られないかとして差を感じてしまうのは、理解という共同作業を放棄していることでもある。ましてや、Moさんのように個性的な発露に生き甲斐を設けているとしたら、その程度のギャップが生まれてあたりまえである。幼い頃から、ずっと子供に寄り添っていて、いちばん鋭敏になっている尖端部に、親がついていってないということは、自らの定義で、理解できないという言葉で片づけて単なるギャップに表現されてしまうのは寂しかろう。話し合うと言うことは、心を開く第一歩であり、理解するための初めての作業であると思う。親と子というのは、それが容易に出来る間柄であり最短距離に相当している筈だ。
話している言葉から、内容から、真実を見つけなくてはならない。話さなければ、嘘であるか、真であるかを確かめることは出来ない。それは相手ばかりではなく、こちらもそれなりの判断を持たされるということだ。   (続く・・・・・)

2010年12月21日火曜日

師走の涙①

《1979年12月19日(水)》
・・・・・・
Moさんの悩みになっている・・・ひとつの生き方について、大問題として提出され、毎日がそれにまつわる話となって展開し明け暮れた。彼女のMUSE滞在時間内に、解決することなく、話の尻穂は、翌日に持ち越され、そして延々と続いた。
そんなある日、Moさんが、ぼたぼた涙を流し低くむせるように泣いた。
お茶の水の学校からの帰り、大きな画板を抱えたその日だったのである。
泣くなんてことが、考えられなかった。急に録音室(トイレのこと)に入ったりするもんだから、涙が認められると、ぼくのほうで、とまどい以上の罪悪感を覚え、てっきり恐縮してしまった。恐縮の気持ちは、当のMoさんにも立場を代えてあったのである。
MUSEの前で、賑やかに側倒立の事故車が寵児となった12月半ば頃の、それは記念すべきいい日だった。

何故 泣いたのだろうか。

何故、泣いてしまったのか、すぐ理由が判らなかった。きつく叱りつけたとか、議論してて、こてんぱんにやっつけたとか、そんな事ではなかったのである。Moさんが大粒の涙を流し、少しむせた嗚咽の様子は、体験として秘密めいていてMUSEの乾いた空気を浄化させるのにも、フィットしていたと思うのである。
Moさんは、MUSEで初めて泣いた 女の子である。多少、London、Paris風の、どんぐりまなこのつぶらさから、表面張力を、しかと見せつけて、熱い涙をボタぁーとテーブルに落として、背と肩をふるわせたのである。かわいくて、哀しくて、冒しがたく美しかった。本人に恥じらいはなかった。
ぼくはといえば、少しはうろたえて、しばしの間 新聞を見たり、ジャズ誌を開いたりして伺っていた。何故か、ひどく恥じてしまっていた。    (続く・・・・・)

2010年12月20日月曜日

師走の窓②

《1979年12月19日(水)》
・・・
もちろん、昨年も暇な12月だった。C.Moさんは、予備校色の強い美術学校に通っていて冬休みに近いその日、画板などの荷物をまとめて、MUSEへ来た。彼女のほかに誰もいなくて、お喋りを始めた。このお喋りは12月に入ってから、ずっと続いていたのである。日本画を勉強したいと言っていて、ぼくのいろんな経験から、デザイン、版画といった新しいものへ興味を募らされて、迷いながら、自分が将来計画していることへ話が進んでいったのである。
外部からの影響を、直に受けているとしても、アルバート・アイラーを聴き、オリバー・レイクに感じると言った人は男でも少ないのだから、ボクに限らず、好意の露わになった珍奇な眼差しで、彼女、Moさんを眺めていた周囲であったろうと思う。既に高校2年生の時に、アイラーの“ファースト・レコーディング”を買い、ドン・チェリー&ジョン・コルトレーン(アトランティック)を聴いているのである。理解の程度は確かめられなかったけれど、その当時(ぼくはレコード店に勤めていた)から、Moさんことはよく憶えていたのである。昨年は、その2年後だったのである。(・・・師走の涙へ続く)

2010年12月19日日曜日

師走の窓①

《1979年12月19日(水)》
世間は、まちがいなく師走で、薄らいだ実感と言っても、やはり12月である。
窓の外を見ると、なんとなく忙しげな往来ではある。
昨年も似たような感慨で、綴っていたと思う。
自動車がMUSEの前で、側倒立したのも、よく憶えている。110番したのは、ぼくで少し慌てていた。一緒に目撃したのは、Moさんであった。野次馬のようにして、石塚さんが現れた。人前ですってんころりん転んで、あわてて周囲を見ながら立ち上がる仕種と酷似していて、事故車の壊れた扉から、運転していた男は、さも元気そうに躍りでて、弁明するように、まくし立てた。フロントグラスは飛び散り、その派手さとは異なり、ピンピンしてて何でもないかのようであった。救急車は空しく去り、パトカーの警察官と、運転者の対話がしばし続いた。
ぼくも、Moさんも、石塚さんも、当分この話をして、MUSEを訪れる人たちと、何度か楽しんでいた。
不真面目な言い方だが、その事故はMUSEにとって平和の象徴だったのである。その頃と比べると叱責を買うようだが、事件のない分だけ、穏やかさの真実味に欠けている気がするのである。 ・・・(つづく)

2010年12月16日木曜日

全国区

12日に県議会選挙が行われて、7月まで勤め先だった石岡市が突然全国的に汚点を露出することになった。この子細は新聞等で確かめられることで、まだ未解決のなかである。
石岡の知名度は、それだけではなくお祭りも全国区なのに、残念な事件だろう。

数年前に八郷も石岡市に組まれた。

2010年12月11日土曜日

冬の気配

図書館周辺の紅葉も終えて、いよいよ冬景色

そして、冬の備えなのかな?
こちらには鴨が、えさをあさり、
陽射しが強めの向こう岸は、鯉がたくさん泳いでいました。

2010年12月9日木曜日

横ばい・・・低迷?

いつまでも好調が維持されるとは限らない、このような予想をしたことは、
しかし必ず変革がやってきて、更改を迫られる時に立たされる。保守というのは、留まるだけではその機能を果たせない。状況をわきまえてこそ、保守の位置が示される。そして少しでも位置から移動することで、変革に近づけて進むことが出来る。
石橋たたきに終始していた、報いが全ての方面で、差異、格差を生じ、綻びの繕いに途轍もない時間を費やすハメに陥った。

破格は、進取だ、
毎日、日ごとにざわめきたつは、その躍動の現れ・・・と思う。
小さくさわぐのは、大海にて波紋を作り得ない寂しい、攪拌、
もはや、無理なのか4半世紀も君臨できないのか?

2010年12月5日日曜日

クリスマス

で、ジャズという欲張ったイベント。牛久で。2010年12月4日。

サウンドガゼットというビッグバンド。とても素直ないいグループです。

2010年12月4日土曜日

浅草2

浅草は、混沌のような印象


そして、雑踏の冬支度も見えて
やはり、エンタメの、
虚飾も重なって

2010年11月27日。

2010年11月28日日曜日

浅草

親戚が北千住にあり、その夏休みとかには遊びに行った。連れて行ってもらえる場所は、浅草や上野公園で、国際劇場も多かった。SKDが乱舞する、ラインダンスの国際劇場である。もちろん映画もいっしょだった。昭和30年代頃の昔だ。

その、浅草へ昨日、ジャズを聴きに行った。実は10数年前にも同様のコンペを家族4人で、見に行った事がある。浅草公会堂で。

案外とつまらないというのが感想でした、つまりコンテンポラリーな感覚から外れてしまって、それが所謂浅草ジャズなのかなあとも思えるが。それはもちろん10数年前も同じ思いで、だから時を経ても同じ感想というのは、ジャズという音楽レベルでは進化しないのは残念ながら否める対象になってしまう。
その中で、山本京子さんは良かったと思う。知名度は低いかも知れないが、声量、歌唱力は群を抜いていて、その無国籍たるを発揮し、音楽の世界から、共振作用を蒔いていた。つくばのコンサートで過去に出会った、クローデット・シエラさんを即座に想い出した。こんな素晴らしい仕事をしている人が、さほど知られずに世界を回っているんだと。  

今回は30回を記念する、プレミアムコンサートで、プロ主体のプログラムであった。メインは守屋純子ユニット。個人の感想では、似たような活動なら宮本貴奈さんの間口の広さと、柔らかい感性に傾く。

2010年11月27日土曜日

となり景色

たまに、5年以上も時を隔てて旧交?を攪拌する・・・その行為の照れくささ、顔を合わせた瞬間の抑えようのない微苦笑・これは避けたいくらいだが、覚悟しつつ前の勤務地へ出かけた。顔を見せ合ったときに多くの面に平均した感情を送り保てないのも事実だ。白けるからだ。好きな人にだけ会えばいいと割り切る。のだが?
この場所(阿見)からは、10年以上も季節の表情を見つづけた。緩やかな、秋の午後。11月23日。

2010年11月24日水曜日

よくぞ

頂上までという感慨!しかし、ケーブルカー仕立てだから、ちっとも偉そうなことではないのだが、普段は杖を頼りに、しかも腰痛を抱えている身としては?
もう、山はだめだろうと考えていた。が家族4人の行事で3人は登山道からで、1人はケーブルカー往復というかたち。
雨の筑波山、22日です。

そして頂上は、霧で周囲は見えず、下って神社辺は、見事な紅葉。快い筋肉痛今日までつづく。

2010年11月21日日曜日

八郷の秋

やさとクラフト・フェアに出かけた。

地元の豊饒な自然が誘う、ロケーションで素朴な音楽祭?もあって、

が、この時期はやはり、紅葉、

2010年11月20日土曜日

商戦

この時季になれば、クリスマス。
その前に、収穫祭のような、小さいイベントが、そこかしこで催される。
すべてが、冬を迎える準備のようでもある。
ジャズの文字に反応して、取り敢えず出かけてみる。ショッピング・センターのステージは早くもクリスマス・ソング。

キャロル山崎さんという、ヴォーカリスト。華が感じられて、良かった。場所にそぐわず、のりが乏しくなるのは仕方がないか?。師走の風でもないのに。安易な世界などあるはずもなく、その華が、少し寂しく映る。

2010年11月15日月曜日

平沢官衙

ひらさわかんが と言う。つくばの遺跡だ。

きょう、家族は筑波山へ、こちらはその遺跡の周辺をぶらり。

雨待ちの天気で、筑波山は今にも降り出しそうな雰囲気。
案の定、この写真から1時間もしない内に、冬に誘うような、少し冷たい雨。
紅葉は来週あたりが、見頃だろうか。

2010年11月11日木曜日

中秋

この季節の学園(つくば)の街路樹は、どこもキレイだ。クルマに集中していて(運転は嫌いだから)、チョッと停車してデジカメを操作する余裕の贅沢?を自ら喪失しての稚拙な大人だよと思いながら、眼の奥にしまいこんだシーンの感動を言葉の感嘆詞だけで披瀝するのみ。

そして、もう枯れ葉が舞うのです。
《2008年11月11日(火)記》。


ちなみに、上は、西大通り、下は奥多摩辺。

今年の並木は、408号も西大通りも東大通りも、錦秋の域に入っている。

2010年11月5日金曜日

益子・秋

我が家族は、陶器のファンで毎年春、秋、益子を訪ねている。自身はそれほどではないが、久しぶりに同行となった。少しは足手まといなのである。むろんその気持ちを充分配慮してである。
もう、10年以上は空いている。
通りも店構えも都市化して、その間隙におしゃれな、あたらしの「うつわ」や「カフェ」が登場した。
正直言って、陶器等の良さを、よく認識できない。好きなものを選ぶことはできるが、あれこれの基準はもてない。簡単なことにセンスが左右され隣りにおさまる、宏大な自然にふわっとカメラが移動してしまう。

2010年11月3日水曜日

風と共に去りぬ

 恐らく、ジャズアルバム購入の中でもこのタイトルは、いちばん最初の頃にあたるかも知れない。もちろん「風と共に去りぬ」は、周知の、小説、映画の題名で、マックス・スタイナーの“タラのテーマ”と勘違いしたのである。ジャケット裏面の曲名解説にそれらのことにいっさい触れてないから、よけい思いこみだけで買ってしまったのである。
 そして少し知ったかぶりをして、この同名異曲の存在を吹聴した。失敗をごまかした行為に似ている、おろかを繰り返したのかも知れない。
 1960年の邦盤で、60年代中頃に拝島駅前のレコード店で見つけたものだ。
 ディヴ・ブルーベック・クワルテットというカナ書きで、縦書きのライナー・ノーツの中では、四重奏団として記されている。大ヒットの「タイム・アウト」以前でもありましたが、かなりよく聴いたアルバムです。宇都宮で求めたアート・ブレイキーのジャズとは異なった取っつきやすさで、清々しいポール・デスモンドの演奏にのめるきっかけだった。《2009年11月3日記》。

2010年11月1日月曜日

秋憂

《1980年11月1日(土)》
秋風が非常に身にしみて感じられます。
先日、学校の休み時間、中庭に散る木の葉をみて何かを思いつつ、図書館に入り、ゴッホの絵を見ておりますと、突然テレビでよくやっているような曲が、スピーカーから聞こえてきました。
ぼくにとっては、フォーク、ロック、歌謡曲と呼ばれている音楽の中にも、確かに良いと思うものもありますが、それらにはひじょうに薄っぺらいものが多すぎます。といってジャズやクラシックの全てがそれらよりも良いとは、ぼくは思ってませんが・・・・・。
人にはそれぞれ好き嫌いがあると思いますので、あまり言いませんが、それでもルオーのキリストの絵を見てください。ぼくはかつて、この絵を見てどんなに勇気づけられたことでしょうか。レンブラントの絵を見てください。愛情に満ちあふれているではありませんか。その美しい世界は音楽の中にも生きています。コルトレーンの音楽はぼくにとって難解ですが、それでも何か共通するものが感じられます。また木の葉が落ちていく景色には、ボク自身としましては、ブラームスの交響曲第4番や、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(シゲッケィ)が非常にいいと思いますが、ビル・エヴァンスの枯れ葉も、マルのレフト・アローンもいいと思います。
ところで、ジャズとクラシックを同時に聴くことができないかという問題に、ぼくはぶつかってしまったのですが、結局は両者にはそれぞれすばらしい面があって、同時に両者には共通する人間の深い感情、生き方、その内面の深さが存在すると思い信じるに至ったわけですが、どうでしょうか。例えば、モーツァルトのレクイエムの美しさ、優雅さはジャズにはとうてい存在しないようなのですが、それでも、モーツァルトが死の床に流した涙は、サッチモ、パーカー、コルトレーンと同じではなかったでしょうか。

2010年10月27日水曜日

やはり、保身

3ヶ月ぶりに、それまでの勤め先を表敬?訪問してみた、周囲の変貌は目に見えても、住人の相変わらずの、その地域特有の微妙な有り様は、覆すべくもない・・・たゆとう、静かな拒みの無言だ。用もなければ歩を進める必要も感じない、もつれ具合がいつまでも気になる。特別な数人を置いて、ほかは無縁を向けてくる、かのようだ。

2010年10月22日金曜日

変化

つくばに住んで来年(2008年)20年目を迎える。この場所、玄関の向いてる方角はほぼ北北西。常磐道と建設中の圏央道が交差している地域、この辺りだけでも日増しに様相を変えてきた。引っ越した数年の梅雨あけ間近には毎年、空中農薬散布の軽飛行機が舞う・・・・・そんな田園地帯だった。もちろん田んぼは同じでも、常磐道の上を越えるように圏央道の大きさが玄関前の小さな農道に添ってパノラマ状に拡がる様は、環境を考慮し始めた空中散布の懐かしくさえ感じる早朝の轟音の一つの時代の終わりを、ぐいと包み込んでしまった。軽飛行機から、ラジコンの飛行機に変わったものの、もう見ることも聞くこともない。圏央道はあと何年掛かるか、ずっと聞こえる工事音。 そして永く空いていた自宅東側の土地が変わりそうだ。家が建つのかも知れない。《2007年10月23日(火)記》。

2010年10月16日土曜日

睡魔

何故か、この頃、肝心なところで居眠りをしているような・・・習慣を平気でつくっている。8月(2008年)に都内でみた「民夫のしあわせ」の時から、昨日の「2008横浜ジャズ(横浜ジャズ・プロムナード)」では最初の五十嵐一生(tp」、竹内直(ts)カルテット、次の早坂紗知(sax)MINGAの演奏中に半ばで不覚にも寝てしまった。居眠りはもちろん瞬時のことだろうか、隣でつつかれて、紗知さんがテナーとソプラノを二本くわえてブロウするシーンだけは見ることができた。ローランド・カークが数本吹奏する映像の、生を改めて確認する衝撃の目覚めだった。《2008年10月12日(日)記》。

2010年10月10日日曜日

追っかけ

をしていたのだろうか・・・(この老爺が)
今日10月9日、先の横浜ジャズのコンペでグランプリを得た、あきは・みさきBANDを再び見てきた。
他の、ジャズ祭では感じられないほど、横浜ではレベルの高いミュージッシャンがプロ・アマ問わず集まる?と思うのだが、何故に横浜での若い女子2人を擁するBANDに惹かれたのだろうか?
2人が可愛い高校生だからだろうか? いや、
2004年8月天童のジャズ祭で、映画封切り前の「スゥイングガールズ」のナマ演奏を聴いたときにも、またその日、矢野沙織のアルトを聴いたときにも、興奮することはなかったのにだ。
何かある、それは、まずあきはが“がなる奏法”をとるからだろう、とボクには思える。
“がなる”って、ピークに達したときの圧縮音だ。
デビット・マレイのテナーに酔うのは、キリモミ状の高音が、ぎりぎりの線を越えてくるからだ。
襲ってくる音には衝撃を受ける。
みさきのドラムの、見た目もその通りの、逆なでするような音のランダムに出会うと、こちらも前のめりになって、共振する想いだ。
ベースもピアノも含めて、最近のユーロピアン・リズム・マシーンと言ったところの感動である。
フィル・ウッズが長いイントロから満を持して、テーマに入る・・・あの「フリーダム・ジャズ・ダンス」を若い4人に新しい解釈で演ってもらいたい。

2010年10月8日金曜日

秋の気配

会津と言えば、
そう、磐梯山。


裾野は、すすきの穂波!

《2010年10月2日(土)》

2010年10月5日火曜日

そろそろ紅葉

日曜日に、会津方面へ出かけた。紅葉の定番地だろうか。五色沼辺。
もう歩くことさえ厳しくなって、かんたんな水辺にも到達できないありさまだ。確かな軌跡、記録はカメラだのみ。
あと、2週間は欲しい紅葉の到達へは自然に譲るとして、木々の、はやとちりはこの地にも現れていて、ほんの少しのご対面。

2010年10月3日日曜日

まだ紅葉には

昨日、会津方面へ出かけた。高速割引特典を活用して!
混むのもいやだし 早出が功を奏してか、スイスイと、

しかし、それは当然、紅葉にはあと2週間は必要か。
で、渋滞は避けられた。
それで、よかった。

2010年9月27日月曜日

奉納コンサート

 土曜日の夕刻、6時半から筑波山ふもとの神社前で初めての試み、「奉納コンサート」が開かれた。ジャズである。地元からジャズ歌手が出たという、きっかけなのだと思う。
急激な気候の変動での寒さの中スタンダードナンバーに神社の境内は、迷ったか?多くの聴衆が集まった。・・・しかし大したことのないヴォーカルが40分ほどつづいて、早々に切り上げ帰ることにして落差の石段を降りた。後半には、もっと酔えたのかも知れないが、遠くに見えるつくばの夜景に癒されてよしとした。
結城章子という歌手の、その登場前にバンド演奏があり、“フリーダム・ジャズ・ダンス”で痛快に始まった。アルトとキイボードが女子というカルテットでしたが、ごく普通の出来。いやはや、横浜を思うと、このナンバーは、あきは・みさきバンドが演る、べきくらいの興味ではある。
写真は取り損ねましたが、取り敢えず、よその神社を。

2010年9月22日水曜日

復刻なったかな?

以前800枚近くもあったLPレコードが整理されておよそ現在150枚、その中から「Washington Suite」 をCDにした。 盤そのものが雑音多く良質には、ほど遠いが劣化を免れたと思う。   Lloyd McNeill(フルート)ほかの面々に思いも深い。
《2006年9月21日(木)記》。

このブログを開いてくれた、KUROさん、感謝です。
ブログを始めたのは2006年で、当時の記録はほとんど消えました、その後浮気に走り、あちらこちらにきままな投稿です。

2010年9月20日月曜日

驚嘆

昨日、横浜へ出かけた。2010年ジャズプロムナードのジャズ・コンペティションを見に行った。例年は、このジャズ祭の当日に行われるのだが、今年からは(?)、3週間も前に優秀バンドを決める有料イベント。
午後2時からノミネートバンド5組と、昨年の覇者バンドと、審査員ミュージッシャンの特別編成バンドの演奏で4時間を越えた豪華な時間を満喫できた。
度肝を抜かれたのは、最初の、「あきは・みさきBAND」のプレイ。高校3年の中島朱葉(アルトサックス)と同2年の中道みさき(ドラムス)の女子が想像を超えた、音色、パワーで迫る。お座なりではないサムシングを表出する。
結局、表彰式ではベストプレイヤーに、ドラムのみさきさんが、そしてグランプリは「あきは・みさきBAND」に決まった。要するにシンプルな訴求力が複雑すぎる?他バンドを退けた。
しかも、このバンドは阪神圏の出身で、今日のスケジュールのためにも(金沢)、早めに退出しており表彰式にはいない・・・という珍事、結果を知らない!という格好の、フェイドアウトの態も、クール。
そのことも歴史的なフェスの豪華な審査員たちを悔しがらせ、若い女子高生2人を含む、新進のカルテットに話題を取られてしまって、他の4組のノミネートバンドの情けなさ(審査員は相当フォローした)が露呈した。
サムシング、即ちテイスト、匂い。審査員が口にした殆どが、この事。ジャズの感触。