2010年12月25日土曜日

超える

《1979年12月25日(火)》
C.Moさんは、コーヒーしか飲まなかった娘さんである。いつもスラックスにセーターで、夏はTシャツに替わるぐらいであった。髪型はオカッパ姿で、それ以外のおシャレを見たのは、スカートを珍しく着用した2,3度くらいであった。スカートといっても便宜的なもので、実用一点張りのコーデュロイであったりして地味なのであるが、その珍しげなスカート姿を見たことだけで、話題を集められる女の子であった。
この世で哀しいのは離別だろうと思う。そしてこの離別があるからこそ、生き甲斐を確かめることが出来るのだろうと思う。
Moさんに夢があり、理想があり、自分の意のままに生きたいと思っても、制約を与えるものは限られた人生であるし、命であると思う。そのために躍起になって、その場しのぎの奮発でフル回転しようと望み臨む訳だ。人生、命が制約を押しつけるが、自分では殆どそれを認めていて、外部状況も同じように、限られた人生と、命を持っていて、にじり寄ってくるのである。それは両親、兄弟、友人であり、恋人である。いずれも大切で大事なものである。自分で選びきるには、それぞれ困難なほど大切なものを、その都度、全身で判断して除いていかなくてはならない。制約でもそれは断ちがたいものであるが、仕方なく葬るしかないのである。それを離別だと言っていいだろう。そしてもっと、今日的な言葉で“超える”と替えられるだろう。そうした存在を超えないと、自分の本当のやりたい事が出来ないと思うのだ。
妥協があって当然。だから、妥協がそうした困惑の中で、生まれるのなら、生まれたものを讃えたいと思うのだ。
Moさんが、涙を流し、泣いたのは、命に近い範囲に大事なものが僅かあって、それを全て実現するには、故郷を捨てるとか、親と離れるとかの決意を促された、切迫した気持ちが女性特有の涙腺径路で、あっと押し寄せがあって
泣いてしまった
と思うのである。

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