《1979年12月19日(水)》
・・・
もちろん、昨年も暇な12月だった。C.Moさんは、予備校色の強い美術学校に通っていて冬休みに近いその日、画板などの荷物をまとめて、MUSEへ来た。彼女のほかに誰もいなくて、お喋りを始めた。このお喋りは12月に入ってから、ずっと続いていたのである。日本画を勉強したいと言っていて、ぼくのいろんな経験から、デザイン、版画といった新しいものへ興味を募らされて、迷いながら、自分が将来計画していることへ話が進んでいったのである。
外部からの影響を、直に受けているとしても、アルバート・アイラーを聴き、オリバー・レイクに感じると言った人は男でも少ないのだから、ボクに限らず、好意の露わになった珍奇な眼差しで、彼女、Moさんを眺めていた周囲であったろうと思う。既に高校2年生の時に、アイラーの“ファースト・レコーディング”を買い、ドン・チェリー&ジョン・コルトレーン(アトランティック)を聴いているのである。理解の程度は確かめられなかったけれど、その当時(ぼくはレコード店に勤めていた)から、Moさんことはよく憶えていたのである。昨年は、その2年後だったのである。(・・・師走の涙へ続く)
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もちろん、昨年も暇な12月だった。C.Moさんは、予備校色の強い美術学校に通っていて冬休みに近いその日、画板などの荷物をまとめて、MUSEへ来た。彼女のほかに誰もいなくて、お喋りを始めた。このお喋りは12月に入ってから、ずっと続いていたのである。日本画を勉強したいと言っていて、ぼくのいろんな経験から、デザイン、版画といった新しいものへ興味を募らされて、迷いながら、自分が将来計画していることへ話が進んでいったのである。
外部からの影響を、直に受けているとしても、アルバート・アイラーを聴き、オリバー・レイクに感じると言った人は男でも少ないのだから、ボクに限らず、好意の露わになった珍奇な眼差しで、彼女、Moさんを眺めていた周囲であったろうと思う。既に高校2年生の時に、アイラーの“ファースト・レコーディング”を買い、ドン・チェリー&ジョン・コルトレーン(アトランティック)を聴いているのである。理解の程度は確かめられなかったけれど、その当時(ぼくはレコード店に勤めていた)から、Moさんことはよく憶えていたのである。昨年は、その2年後だったのである。(・・・師走の涙へ続く)

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