2010年12月22日水曜日

師走の涙②

《1979年12月19日(水)》
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何故、泣いたのだろうか。

Moさんの夢の中に、北海道があり、京都があり、美術があり、アルバート・アイラーがあり、マッコイ・タイナーが居て、そして自転車旅行があった。すべて手の届きそうな距離感で具現化しやすい位置にあったと言えよう。しかし、彼女の保護者である父母を含めた家族、家庭の存在によって、その全てが文字通りの夢に変わりやすい位置にあったことも事実である。
親とか、家庭とかいうものは、どれほどの大きさをもって環境を形成しているのかということだ。子供が飛翔に相応しい育ち盛りの翼を大切にしているのに、親の存在は、その翼をもぎ取り、そぎ落とし、枷であることの責めを、感じることなく、愛だと誤解しやすいのです。その逆もまたある。子供の夢がひどく漠然としていて、常に口吻だけで実行できないと親が熟知していたら、雑多な思惑はあるにせよ、助言や説教は愛そのもとして浮かび上がる。
Moさんの場合は、ごく当たり前のケースとして親の理想(親が娘に賭し託す)と、子の夢、理想にギャップがあったと見ていい。
ギャップは埋められるだろう。ギャップをギャップとして即ち相違として、お互いに固執していることもおかしいのである。理解するということは、同意を得ると言うことではないし、親と子の間で同意を得られないかとして差を感じてしまうのは、理解という共同作業を放棄していることでもある。ましてや、Moさんのように個性的な発露に生き甲斐を設けているとしたら、その程度のギャップが生まれてあたりまえである。幼い頃から、ずっと子供に寄り添っていて、いちばん鋭敏になっている尖端部に、親がついていってないということは、自らの定義で、理解できないという言葉で片づけて単なるギャップに表現されてしまうのは寂しかろう。話し合うと言うことは、心を開く第一歩であり、理解するための初めての作業であると思う。親と子というのは、それが容易に出来る間柄であり最短距離に相当している筈だ。
話している言葉から、内容から、真実を見つけなくてはならない。話さなければ、嘘であるか、真であるかを確かめることは出来ない。それは相手ばかりではなく、こちらもそれなりの判断を持たされるということだ。   (続く・・・・・)

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