2012年12月27日木曜日

寒波

符合する今年(2012)の低温気候!

《2008年12月27日(土)のノートから》
寒波が押し寄せているというニューヨークから超暖かい!メールが届いた。子どもは風の子なんていうフレーズが以前は必ず出てきたが、今や死語のようになって使えそうにもない、そして自分も年々寒がりを表し身体の冷えも文字通り痛切に感じるようになった。

ことし雪はまだですが数年前の雪景色を挿入。

2012年12月24日月曜日

高峯山

昨日は、県境桜川市の高峯山、その入り口の質素な仏寺。

すぐ隣は栃木県の益子町。

五大力堂という。
だいたいぼくは賽銭をやらない、近くまで行って覗いたりしない、よく言えば深謀遠慮?だからこのお堂にあやしき像などあるなどと、後のまつりである。
なぞる程度の古刹めぐりである。

寒い一日で、枯山水の趣かな。
なんて見るくらいの浅はかな行脚です。
下界の50号線の賑わいが気になるくらいの興味?かも知れない。
時間を潰すには格好のK's電気があり、カインズホームがあり、あっという間に呼び戻され茂木寄りの深沢辺にまで合流15分余。

2012年12月21日金曜日

B.B.&Q.B.?

どうしても良い音で聴きたくて探しました。The Brooklyn Bronx & Queens Band。
たしか森田六月実くんが持っていたアルバムだったと思う。
ファンクだ。がドラムにテリー・シルバーライトがいる。この人、バリー・マイルスからマンハッタン・ジャズ・オーケストラまで転移するんだから凄いぜ!
「Lovin's What We Should Do」に舞い上がる。
そして今年のもう1枚は、MATUNBIのベスト盤。その中の「ROCK」でご機嫌!久保ちゃんからその昔”Seven Seals”で教唆。レゲエだけど!25年は軽く、今でも新鮮そのもの!
《2006年12月22日(金)ノート》

2012年12月18日火曜日

入院日誌⑥

《2011年12月16日(金)》
とにかく煩雑、こんな困惑、もう逃れたいのだけれど、もうぢき(入院)20日間。少しは慣れたのだろうか、或いは観念したのだろうか。急いでも事情が変わる訳ないので、時を稼ぐしかない。

2012年12月13日木曜日

入院日誌⑤

これは昨年のことです・・・

《2011年12月9日(金)》
 長い夜(牛久愛和病院で)が毎晩訪れて、いずれも熟睡できない。
 股関節の異常が激化してからは、(入院以前の)我が家に於いても眠れない夜が続いたのだけれど、病棟でのプレッシャーは特別だ。あと3週間余は、闘わねばならない。辛いことだ。

《2011年12月11日(日)》
 昨晩(病院で)、変な夢をみた。
 バスから降りる時混雑していて、料金を払わなかった。気になっていて金額をたしかめると410円であった。(払いたく)ていろんな階段から近づこうとするのだけれど、行きつかない。そのうち中学生ぐらいの男子の群れに襲われ、財布を奪われてしまった。口惜しくて、110番し事情を話したが進展しない。勤め先の松崎くんを呼び出し、お願いするところであった。
 眠いのと、寝苦しい環境での夢でした。

《2011年12月13日(火)》
リハビリが厳しくなる。これはスポーツだ。そしてこの訓練的な教習が60の手習いで、肉体に困惑を与える。時には自信を失くしてしまう。即ち、こんな筈ではなかったの、誤算が生じる。きちんと是正できる年齢ではなくなってきている、事象が疎ましい。

2012年12月6日木曜日

言行一致

《1981年12月6日(日)》
言行一致というのは、たいへん難しいことでたんなる約束めいたことや、記憶に類することなら即刻謝罪することで、或いはその人間性の正直な表現ということで、特別拘泥する必要のない些少事だと言えるが・・・・・。
ところが言行一致を試みている者には、自身に対する屈辱感を受けるような厳しさなのである。先ず自分を罰しなくてはならないし、憤りは自身に向けられる質のものである。
その良心が純粋であればあるほど、余計に手ぶらにして、棒立ちでいるという芸当が出来ない。
しかし、どうしても理不尽に走らざるを得ない状態が生まれてくる。言行一致というのは。ある面では理想であり、ある面では表現であるからだ。
感情に支配された時には、どうしようもなくなってくるものだ。そんな感情はどこからやってくるのだろうか。コントロールしようにも、一部分が破壊されていて補修しきれないのである。として、打開策を見つけないことには、溝は大きく広がり、蟻地獄化するかも知れないのである。
傍観しえる冷静さがあれば、余裕や甘え如きに通じ、大事に至ることはあるまいが、双方ともに、視線を避けるようになっては苦しくなってくる。
早めに是正する態度が、姿勢が求められる。ということ。

2012年12月3日月曜日

入院日誌④

《2011年12月3日(土)》
手術後、当日は疼痛とベッドの不慣れに悩まされ、殆ど睡眠とれず。
昨日、個人部屋から4人部屋に移り、ベッドの形体も変わり、しかも疼痛も緩和し、少しは楽になった。
とにかく30日(11月30日)は、生きた心地がしなかった。
昔、階上(愛和病院の)から飛び降りた人がいたという。
納得!!

2012年11月30日金曜日

入院日誌③

《2011年11月30日(水)》
 手術日。昨夕6:00の夕食から絶食。不安もいっぱいある。
心配ないと言っても何が起こるか判らない。
これが生の常だと思うが。無になる、消えてしまうことへの恐怖は、想像には値しない。単なる暗黒や、空白なので、確認する術はない。
訣別する潔さだけを、ベッドの上にのせて、まな板の鯉なのであろう。
さよならを言う機会を逃すだけである。

2012年11月29日木曜日

入院日誌②

《2011年11月29日(火)》
 退屈の極み。(入院生活が)1ヶ月余もあると考えると、過酷な試練だ。
 Wi-Fi機能付のデジタル通信機器を準備しておくべきだった。ネット上のメールも、またはブログも開封できぬのは、厳しい。(入院の)中途でも方策が見つかればいいのだが。
 妹のアイパッド(ipad)はかなりの代物だった。
羨望。

2012年11月28日水曜日

入院日誌①

昨年のことです。

《2011年11月28日(月)》
遂に入院。股関節の手術だ。(11月30日)
牛久愛和。
過去には、胆のう炎→新治協同病院(土浦駅前にあった)、鎖骨骨折→流山中央病院。そしてメディカル通院(つくば~)放射線照射。

2012年11月25日日曜日

椎尾 薬王院

これは、けっこうな古刹。

昨日、例によって下山時にクルマで待ち合わせとしての役割で、筑波山の西側 椎尾薬王院に駐車を決めた。
二人が登攀口に消えるのを確かめて、車中でのんびり気持ちを整え「さてと!」という所作で、歩くことに。
石段も、建物も、周囲の気配すらも古刹充分の佇まいである。
しかし、朽ちたりするのは辺鄙に居座る哀しさか、繕いが滞り、何度も加えた応急処置の荒業で風合いも尚のこと。
これが、いいのかも知れない。奥まで覗く視線は、当然遮られる場所にしつらえてある先人の知恵なのかもと思う。

で、その後下山方向へ移動した。昨日の表側は行楽、紅葉のハイカーで渋滞だったそうだ。裏側の羽鳥道、古道はさっぱりの爽快さであった。
ついでのクラフトフェアーはおまけです。

2012年11月22日木曜日

チャンバラ

時代劇専門チャンネルで、「居眠り磐音・陽炎の辻」3シリーズ、都合37話をすべて見終えた。
5年ほど前にNHKで放映されたものだが、仕事の関係でチェックをしていなかった。
作者の佐伯泰英氏の著書を読んではいないのだが、作品数は多く、人気作家ですね。
週5日の1話ずつを録画し、毎回涙を流し見続けて、昨日の感動の最終回に至った。
まあ、安直な涙?かもしれないが、義理人情なんて普遍的なものだと、涙腺の弱さをも肯定する。
おもしろさには原作に加え、ドラマ作りのプラスアルファーが仕込まれているに違いない、NHKの力を感じる。出演者に愛着が涌くほど、その演技に魅入った。
ストーリーの基本は藤沢周平さんの「用心棒日月抄」(ドラマ化では、腕におぼえあり)が底辺にあるのかなという感じ。深さも奥行きも、こちらの方が上かもしれない。
しかし、楽しみな30分、45分の2~3ヶ月を過ごしました。

2012年11月20日火曜日

おもかげ探し

昨日(2007/11/14)、奥多摩の紅葉を求めて家族3人で出かけた。八王子ICから、どちらにするか、青梅か高尾かという選択だ。実は昭和40年代の初め、青梅街道、吉野街道、秋川街道、五日市街道、滝川街道周辺のコースを移動する仕事に就いていた。ざっと40年近くまえにさかのぼる。その想いで御岳山、奥多摩周辺へ。
う~ん!懐かしい。今でも田舎風情はあるものの、道路の左右ののどかな広さが、さえぎり林立する樹木、建物で分を囲いつつフレーム付の景観を全うしていることである。めまぐるしい都市化の表れです。地名も変わったり、昔の名前であったり、檜原、養沢、数馬、古里、軍畑などと。神々しい?青梅の方が取り残された感じで、五日市は目まぐるしい変化の中にあった。
《2007年11月15日(木)ノート》

2012年11月13日火曜日

県民の日のころ・・・

には、晩秋、初冬の趣が溢れていて、着衣に気をつけながら毎年家族そろって行楽に出かけていた。
実に質素なイベントだったのかも知れないが、今振り返るととても豪華な想い出になってきている。10数年以上も経て、どうあがいても手の届かない時間の流れに乗って去りつつある、貴重な一瞬だったのである。
現在は、変節もあり、家族の在り方もいろいろあり。
でも、ありがたい感謝の今日です!

2012年11月9日金曜日

職安


龍ヶ崎の職安へ行ってきた。これがなんと求人数も少なく、待遇もよくないのである。やはり、地方なのかと思わせる。決して馬鹿にするわけではないが、まだまだ地方の時代というのには偏向している気がする。同時に、職選びをする余裕も機会も出来ないのだなということを痛感した。だから保守的になるんだなというのは早計だろうか。自分にも厳しさは均等に襲ってくる。結局は好きでもない仕事に就くしかなくなるかも知れない。  《1982年11月9日(火)ノート》

2012年11月3日土曜日

故郷

江戸崎は、霞ヶ浦湖畔の小さな田舎町。狭い器の中で、自然に背伸びして、いつの間にか足を遠くし文字通り、フルサトに仕上げてしまった。たいして記憶にないのは、わりと温和しく、静かに遊んでいたからかも知れぬ。田舎に居た年月以上の時間が背を向け始めてから経過していて、既に拘りを薄くしているせいでもある。自分にとってふるさとは郷愁という言葉以上のものは皆無。想い出すことさえ珍しいし、頭の中に湧きあがるものは些細な限られたシーンだけである。          このまえ、なつめが、そして昨日は、ざくろが届いた。小さい頃、なつめもざくろも、またぐみなどを、ぐいぐい口にもちこみ食べ散らかす子供たちがいた。元気なわんぱくたちで、それが自分と同じ遊び仲間だったのです。どうしてもおいしいという感覚がなくて、少し口にしては、ぺっぺと吐き捨てていたと思う。                                                   喫茶店(ミューズ)の卓に、なつめを、ざくろを載せてみて味わってみて、ポクっとという歯ごたえ、鮮赤に映え、つぶ粒に寄せ合って半透明に光る2つの個性。どちらも淡彩味でありながら、おいしいし、うまい。昔には、味もそっ気もないと思っていたもの。ただ甘酸っぱいとしか思わなかったものの、侮りは悔いにもなって・・・・・。                                       当時、なつめを、ざくろを、うまいと思っていたら、もう少し別な世界の今があるのかも知れない。
《1979年11月3日(土)ノート》

2012年11月1日木曜日

可憐ダアー

《1984年11月1日(木)》                                            
 ことしも2ヶ月を残すのみとなった(カレンダーも2枚きりと)。
 早いものだ と常套語を用いてか。
 3日、4日はいちおう連休(勤務先は)となりそうなので、遊びに出かける計画を立てている。
『男は仕事だよ!』(2,3日前にそんな口吻に迷わされて)というフレイズを気にしなくもないが、このフレイズの古めかしさと執着する心に少しばかり不信を抱いてしまう。ぼく自身が変化したのかとも思うが、萎えてしまっているわけでは決してない。仕事でも、私生活でも同じような価値観を得ることで、自身のリズムや生きる展望を導くことが出来るのだと思う。

2012年10月25日木曜日

移ろい

昨年のこの時期は、東北地方行きで、25日は酒田で翌日の26日は、世界遺産の













平泉中尊寺、毛越寺だった。

昨年暮れから、いや去年の春先からお祝いも、つらいことも満載の1年だと思っていたら、今年も輪をかけて鍛錬の連続です。
神頼みも、仏様への合掌も足りないのかもという、悔い改めの人生かな。



とにかくいろいろあったけれど、なんて早いんだろうという実感です。
やっぱり神仏は忘れられない、ということで遅まきの披露です。

2012年10月22日月曜日

amabiki

昨日は、アマビキ。 家族3人で。
以前にアママキを識った。アママキは栃木、益子辺である。どちらも雨に因んだ響きのよい語感だ。文字を換えると雨引き、と雨巻きとなる。
地名であり、山でもある。
その雨引観音は、七五三の季節で賑わいの様相。

もうここへは3度目になるか、最初は子ふたりが園児、児童のころに参拝した。

そしてきのうは登山の計画であって、こちらは雨引山から岩瀬方面へ縦走する健脚の2人を下山口まで迎えにゆく快諾なる使命。

ちょうど正午頃、岩瀬駅は閑散を極めていて、整備された駅前は小春日和に突入寸前の陽気・・・・・。
しかし、駐輪場は満ちていて、朝夕の改札口は相応の往来になるのだろうか?信じられないくらいのギャップを想う。
現在はJRのみの鉄路ながら、過去は土浦から発していた常総筑波電鉄の終着点でもあった。

2012年10月17日水曜日

進路

 就職シーズンである。自分のことを想い出しても、きれいにダブラないほどに若者らしい様相を呈示して社会人へ足を踏み入れていく者。就職に限らず快適な温湯生活を、不愉快ながら脱け出して齢を数えて大人になっていくというのは、何かせつなかろうかと思う。
 自然と、のんびりと変わっていくものには、10年経っても自分でさえ、それとなく解るのは周囲や環境だけで、他人からはやっと、少し変わったね・・・程度の幾分軽めの尊敬の言葉を吐かれるぐらいだろう。
 適当な自信を振りまいてきた相応の世界には、次の新鮮な魔力を臆面もなく披露することによって変わったことの弁解をしなくても済む。
 周囲から執拗な注目を浴びせられていて、それに必要以上の応え方をしていた場合には、弁解を余儀なくさせられる。・・・・・と思っているからだろうか、数ヶ月も抱いていた将来への生真面目な夢、計画を自らの口で変わったと言い始めて、新たな感染路を表に出して破壊してしまった。
 少女からこれを聞いた時、進学というごくあたりまえの経験を前にした18才の考えが見えて、ちょっと落胆した。見えてと言ったのは普通のことなのに強調して、以前の自分の普通のことを忘れているらしかったからだ。少女が自身、普通なことを世間的な普通を、生きていくために合致させていかなくてはならないのは、辛かろう。成長していくにつれ、伸び一方の芽だった筈のものを、大多数の良心で諭され摘まなくてはならないのは、もしかしたらそれが隠されていた本音に過ぎないのかも知れない。
 それでも、ぼくは1個の個性と観ている。生きていく方法は、かなり妥協的になってきつつも所謂、抗い方や、弁解や、披瀝の応酬そのものは、彼女の個性に違いない。その生の部分に多くが集中しているのみで、音楽に惚れていた感性や、情報文化に働いていた触角なんかが、単なる娯楽という誘惑の中で、息づいていたのじゃないか、それが唯一の刺激を与えていたのかと。
 育てるというのは実はこれからで、少女そのものの名前と、肉体についてまわるものによって変態をくりかえす、最も有機的な交錯が、きっと別な時と場の上に、新しい個を結ぶだろうと思う。
《1980年10月19日(日)ノート》

2012年10月13日土曜日

思惑

世の中は、思案どおりには決して進行しない。そんな通説じみた一般論を日常よく理解しているつもりなのに、どうしても理解できない事象にぶつかる。そうした、一種のハプニングは野次馬的愉しさを演出してはくれるが、その不思議さを案じるものにとっては、たまらなく哀しい。
もちろん第3者に、介在不可能な私的問題であるのは充分認めている。にも拘わらず、不可解な気持ちを鎮めることが出来ないのは、一つには周囲の温かい心情や、僅かながらの犠牲の上に成立していた事実を踏みにじっていると考えられるからだ。
それほど不人情と感じなくとも会話に結ばせる努力ぐらいは欲しいものです。・・・と思うのは所謂第3者の身勝手なのでしうか。
第3者が見て、不可解に思える時は、おそらく当事者間にもそれに付随した同等のテーマが溢れているに違いないのである。いっそのこと、喋ってくれさえすれば、すっきりするかも知れないし、自分の新しい局面が展がる可能性だってあるかも知れない。
《1981年10月13日(火)ノート》

2012年10月7日日曜日

アタゴ

昨日の天気も、不安含みの予報だった。
が、午前中にこれぞとばかりに北西に走った。
例によって家族3人で、石岡を抜けて笠間で、愛宕山。
つわもの2人は愛宕山から難台山、吾国山と縦走で。
こちとら、一人で神社めぐり。全国どこにでもありそうな愛宕神社。

抵抗いっぱいのな石段は、格好のリハビリだ。

6日土曜日は土浦の花火大会。

午後1時半頃から雨が降り出し、今夜の打ち上げは厳しいだろうと懸念していたが、夕刻から3時間ぐらいは止んでいた。
花火の後は激しい雨降りだったのである。


2012年10月1日月曜日

amamaki

日曜日の朝、台風を恐れて躊躇していたが、急遽家族3人で、雨巻山を登ることにした。

もちろん自分は麓を徘徊するだけであるが、それでも腰の万歩計は正直に携帯に毎日記録することが出来る。何のことはない大した意味合いもない些細な記録だが、時折の記録更新に少し満足する。

1時間ほど歩いて駐車場まで戻ることにした、
2人のハイカーはもう2時間近くも歩いているだろうが、縦走なのだろうか、まだのようだ。台風の接近を免れて、運良く好天でありがたい。しばらくの涼しい陽気が、久々の夏日だ。暑い。

1時も過ぎて、食事をしたいなあと思っている時に2人が帰ってきた。
そして「茶屋雨巻」。申し分のないロケーションで、味わい深い昼食でした。

2012年9月29日土曜日

ものすごく・・

・・・うるさくて、ありえないほど近い

これは昨晩見た、映画のタイトルだ。
イントロから好テンポで疾走する・・・が
トム・ハンクスとトマス・ホーンの父子が不思議なスタンスを表出して、母親のサンドラ・ブロックが疲れた日常に埋もれるさまを演じてゆく。このあたりの難解さには抵抗を覚えるが、事件(9.11)と探し物の繋がりに引き込まれると、あとはあれよあれよの展開である。
間借り人(おそらく祖父)と、少年(トマス・ホーン、おそらく孫)との毎日の小さな旅、そしてたどり着くブラック氏(ジェフリーライト)との告白交歓が圧巻。
このあとは群像劇の解析になるわけだが、サンドラ・ブロックも回復への共有を図っていて救われる形のエンドマークになる。
想像をを広げると、公園でのブランコのチェーンのシーンが日常の些細な怖さを見据えている?と、勝手な解釈。
久々の感動でした。
しかし、この題名を記憶していられるかどうか、内容には自信たっぷりの膨らみだけれど。

2012年9月25日火曜日

愛でる

なんて似つかわしくないことを、花鳥風月に対して唱えてみる。特に、今回は花だ。今を旬の曼珠沙華・・・・・彼岸花を。
埼玉県日高市の観光スポット「巾着田」の周囲に群生する曼珠沙華、その遊歩道に、愛でる視線を飛び越えて三脚スタンド乱舞群雄割拠するカメラの凝視、そのたをやかないっぽんいっぽんの直立は拒否さえしたくなる、この時ぞとばかりの、可憐さである。
うるさげな世の中よ!
《2007年9月26日(水)ノート》

2012年9月16日日曜日

たまには公園

公園の多い街なので、何故か暑い盛りには木陰が恋しくてすぐ緑に吸い寄せられる。

で、ここの公園の時計台は何の因果か、北側の面は2時46分で告白状態。

もちろん忘れないよ、しかし久しぶりの公園で奥のほうまで入ったのは初めてであった。

2012年9月7日金曜日

カタカナ

「シャッフル」←「デビル」←「カナディアン・エキスプレス」←「ダーク・ウォーター」とたてつづけに映画を見た。すべて邦題はカタカナ。英文がそのままカタカナに表されたわけではなく、別な言葉に置き換えられた作品もある。
1990年米作「カナディアン・エキスプレス」ポパイことジーン・ハックマン大活躍の映画。なんと数10分ごとにフィルムのつなぎの丸い点がみられる今時珍しい作品。鮮明ではない画面で、AXNチャンネルではの趣です。
1997年米作「デビル」。これはイントロから強烈なインパクト。同名には別作品もあるが、ハリソン・フォードとブラッド・ピットの組み合わせが絶妙な一篇。ピットのかっこよさが憂愁へと導いてゆくヨットの超俯瞰がいい。この頃から既にハリソン・フォードは渋さを極めていたのか?
2005年米作「ダーク・ウォーター」。古い高層ビル街の雨降りの暗さが、シチュエーション。晴天に変わるまでが事件の全容で、不気味なテーマです。
そして
2007年米作「シャッフル」。原題は《予感》で、邦題もまま理解できるが、病的な感覚が消されてしまう語彙かなと? サンドラ・ブロックが好きで見つめるが、エンディングの素っ気なさなど不満は感じる。
「カナディアン・・・」以外が3作共に、宗教を救いに置いているところが窺われてエンド・マークにたどり着く感じ。国民性の違いで、無宗教の自分には少し理解できないところでもある。
サトウサンペイさんのイラストを借りました。

2012年9月2日日曜日

蘇える記憶

8月31日に過去の記憶会?に、出かけた。
思い出した。けっこう、思い出せた。
恥ずかしいぐらいに、喋って少しは若返りになったか・・・

そして、奇縁か、つながるものだなと感慨頻り。
別に遅すぎではないと思いつつ、遠くに馳せて見る。
眺望も、鳥瞰もゆっくりと時間をかけて、
これからじっくりだなぁーと!

2012年8月27日月曜日

猫のいる暮らし

信じられないことだけれど、猫といっしょの生活を5ヶ月も続けている。そしてもう回避しようもない事実を刻んでいる。
外回りに、犬を飼っていた時代もあった。全く人任せにしていた家主?でした。

少し懲りた気持ちもあり、ペットを飼うのはと!いう姿勢だったが今年3月中旬に何故か、猫を飼う羽目になった。半ば仕方のない事情もあって、飲み込んだ条件だったが家の中を駆けずり回るその身勝手な躍動と、すぐ眠りに陥る平易なアクションに・・・魅されて!!5ヶ月に至った。

で、人任せにできなくなっている毎日、ピッピ(猫の名前)の寝顔をじっくり見つめていて、何か、自分自身の体たらくに被るような、似たもの同士を認める共通項をふと感じる昨今、述懐しきり。

これは3月の頃、今は2.5倍くらいに大きくなり香しき美女?に成長です。みやぅ~ん。

2012年8月25日土曜日

紆余曲折

だったのか、何故か幸運にも自身の、私事にまで入り込む・・・・・電話が届いて!
たまらない、嬉しさです。
それも、すぐ近隣からで。
もっとも、25年前には挟まれるような境遇を認めていて、つくばに引越しをした。その深謀遠慮?がやっと実ると言うのか。
だから、知り合って30年以上は経過しているということです。

近々、再開できるようなわくわく感が既に芽生えています、昨夕から。

2012年8月20日月曜日

酷暑

だった昨日、第三回2012すみだストリートジャズフェスに出かけた。すべて無料。しかも枠が広く狭義なジャズを超えてあらゆる音楽に出会える貴重なイベント(第一回の時に出会った、Instead of Netは感銘)。アマ・プロ混在のプログラム構成。やはり若い感覚でないと、ありきたりの羅列に終始してしまう。もちろん選択多肢ゆえ、とばす気分であちこち歩いてみる。

ただ暑いのには閉口する、音楽の内容を詮索・云々する気持ちがそがれてしまう。

というわけで駆け込むようにトリフォニーホール(=素晴らしい音響施設会場)に涼を求めた。並行催の墨田区民音楽祭でのビッグバンド3組を堪能?した。吹奏楽普及の昨今それぞれ高い技術、教育的な型にはまった音楽であるのが欠伸の因かも、途中休憩時には午睡も叶った。

ここはスカイツリーに近い錦糸町。
帰路には点灯夜景のツリーを見ながら、ああ、ひさしぶり、疲れたの・・・思いの真夏の半日でした。