2012年12月27日木曜日
2012年12月24日月曜日
2012年12月21日金曜日
B.B.&Q.B.?
どうしても良い音で聴きたくて探しました。The Brooklyn Bronx & Queens Band。
たしか森田六月実くんが持っていたアルバムだったと思う。
ファンクだ。がドラムにテリー・シルバーライトがいる。この人、バリー・マイルスからマンハッタン・ジャズ・オーケストラまで転移するんだから凄いぜ!
「Lovin's What We Should Do」に舞い上がる。
そして今年のもう1枚は、MATUNBIのベスト盤。その中の「ROCK」でご機嫌!久保ちゃんからその昔”Seven Seals”で教唆。レゲエだけど!25年は軽く、今でも新鮮そのもの!
《2006年12月22日(金)ノート》
たしか森田六月実くんが持っていたアルバムだったと思う。
ファンクだ。がドラムにテリー・シルバーライトがいる。この人、バリー・マイルスからマンハッタン・ジャズ・オーケストラまで転移するんだから凄いぜ!
「Lovin's What We Should Do」に舞い上がる。
そして今年のもう1枚は、MATUNBIのベスト盤。その中の「ROCK」でご機嫌!久保ちゃんからその昔”Seven Seals”で教唆。レゲエだけど!25年は軽く、今でも新鮮そのもの!
《2006年12月22日(金)ノート》
2012年12月18日火曜日
2012年12月13日木曜日
入院日誌⑤
これは昨年のことです・・・
《2011年12月9日(金)》
長い夜(牛久愛和病院で)が毎晩訪れて、いずれも熟睡できない。
股関節の異常が激化してからは、(入院以前の)我が家に於いても眠れない夜が続いたのだけれど、病棟でのプレッシャーは特別だ。あと3週間余は、闘わねばならない。辛いことだ。
《2011年12月11日(日)》
昨晩(病院で)、変な夢をみた。
バスから降りる時混雑していて、料金を払わなかった。気になっていて金額をたしかめると410円であった。(払いたく)ていろんな階段から近づこうとするのだけれど、行きつかない。そのうち中学生ぐらいの男子の群れに襲われ、財布を奪われてしまった。口惜しくて、110番し事情を話したが進展しない。勤め先の松崎くんを呼び出し、お願いするところであった。
眠いのと、寝苦しい環境での夢でした。
《2011年12月13日(火)》
リハビリが厳しくなる。これはスポーツだ。そしてこの訓練的な教習が60の手習いで、肉体に困惑を与える。時には自信を失くしてしまう。即ち、こんな筈ではなかったの、誤算が生じる。きちんと是正できる年齢ではなくなってきている、事象が疎ましい。
《2011年12月9日(金)》
長い夜(牛久愛和病院で)が毎晩訪れて、いずれも熟睡できない。
股関節の異常が激化してからは、(入院以前の)我が家に於いても眠れない夜が続いたのだけれど、病棟でのプレッシャーは特別だ。あと3週間余は、闘わねばならない。辛いことだ。
《2011年12月11日(日)》
昨晩(病院で)、変な夢をみた。
バスから降りる時混雑していて、料金を払わなかった。気になっていて金額をたしかめると410円であった。(払いたく)ていろんな階段から近づこうとするのだけれど、行きつかない。そのうち中学生ぐらいの男子の群れに襲われ、財布を奪われてしまった。口惜しくて、110番し事情を話したが進展しない。勤め先の松崎くんを呼び出し、お願いするところであった。
眠いのと、寝苦しい環境での夢でした。
《2011年12月13日(火)》
リハビリが厳しくなる。これはスポーツだ。そしてこの訓練的な教習が60の手習いで、肉体に困惑を与える。時には自信を失くしてしまう。即ち、こんな筈ではなかったの、誤算が生じる。きちんと是正できる年齢ではなくなってきている、事象が疎ましい。
2012年12月6日木曜日
言行一致
《1981年12月6日(日)》
言行一致というのは、たいへん難しいことでたんなる約束めいたことや、記憶に類することなら即刻謝罪することで、或いはその人間性の正直な表現ということで、特別拘泥する必要のない些少事だと言えるが・・・・・。
ところが言行一致を試みている者には、自身に対する屈辱感を受けるような厳しさなのである。先ず自分を罰しなくてはならないし、憤りは自身に向けられる質のものである。
その良心が純粋であればあるほど、余計に手ぶらにして、棒立ちでいるという芸当が出来ない。
しかし、どうしても理不尽に走らざるを得ない状態が生まれてくる。言行一致というのは。ある面では理想であり、ある面では表現であるからだ。
感情に支配された時には、どうしようもなくなってくるものだ。そんな感情はどこからやってくるのだろうか。コントロールしようにも、一部分が破壊されていて補修しきれないのである。として、打開策を見つけないことには、溝は大きく広がり、蟻地獄化するかも知れないのである。
傍観しえる冷静さがあれば、余裕や甘え如きに通じ、大事に至ることはあるまいが、双方ともに、視線を避けるようになっては苦しくなってくる。
早めに是正する態度が、姿勢が求められる。ということ。
言行一致というのは、たいへん難しいことでたんなる約束めいたことや、記憶に類することなら即刻謝罪することで、或いはその人間性の正直な表現ということで、特別拘泥する必要のない些少事だと言えるが・・・・・。
ところが言行一致を試みている者には、自身に対する屈辱感を受けるような厳しさなのである。先ず自分を罰しなくてはならないし、憤りは自身に向けられる質のものである。
その良心が純粋であればあるほど、余計に手ぶらにして、棒立ちでいるという芸当が出来ない。
しかし、どうしても理不尽に走らざるを得ない状態が生まれてくる。言行一致というのは。ある面では理想であり、ある面では表現であるからだ。
感情に支配された時には、どうしようもなくなってくるものだ。そんな感情はどこからやってくるのだろうか。コントロールしようにも、一部分が破壊されていて補修しきれないのである。として、打開策を見つけないことには、溝は大きく広がり、蟻地獄化するかも知れないのである。
傍観しえる冷静さがあれば、余裕や甘え如きに通じ、大事に至ることはあるまいが、双方ともに、視線を避けるようになっては苦しくなってくる。
早めに是正する態度が、姿勢が求められる。ということ。
2012年12月3日月曜日
2012年11月30日金曜日
2012年11月29日木曜日
2012年11月28日水曜日
2012年11月25日日曜日
椎尾 薬王院
これは、けっこうな古刹。
昨日、例によって下山時にクルマで待ち合わせとしての役割で、筑波山の西側 椎尾薬王院に駐車を決めた。
二人が登攀口に消えるのを確かめて、車中でのんびり気持ちを整え「さてと!」という所作で、歩くことに。
石段も、建物も、周囲の気配すらも古刹充分の佇まいである。
しかし、朽ちたりするのは辺鄙に居座る哀しさか、繕いが滞り、何度も加えた応急処置の荒業で風合いも尚のこと。
これが、いいのかも知れない。奥まで覗く視線は、当然遮られる場所にしつらえてある先人の知恵なのかもと思う。
で、その後下山方向へ移動した。昨日の表側は行楽、紅葉のハイカーで渋滞だったそうだ。裏側の羽鳥道、古道はさっぱりの爽快さであった。
ついでのクラフトフェアーはおまけです。
昨日、例によって下山時にクルマで待ち合わせとしての役割で、筑波山の西側 椎尾薬王院に駐車を決めた。
二人が登攀口に消えるのを確かめて、車中でのんびり気持ちを整え「さてと!」という所作で、歩くことに。
石段も、建物も、周囲の気配すらも古刹充分の佇まいである。
しかし、朽ちたりするのは辺鄙に居座る哀しさか、繕いが滞り、何度も加えた応急処置の荒業で風合いも尚のこと。
これが、いいのかも知れない。奥まで覗く視線は、当然遮られる場所にしつらえてある先人の知恵なのかもと思う。
で、その後下山方向へ移動した。昨日の表側は行楽、紅葉のハイカーで渋滞だったそうだ。裏側の羽鳥道、古道はさっぱりの爽快さであった。
ついでのクラフトフェアーはおまけです。
2012年11月22日木曜日
チャンバラ
時代劇専門チャンネルで、「居眠り磐音・陽炎の辻」3シリーズ、都合37話をすべて見終えた。
5年ほど前にNHKで放映されたものだが、仕事の関係でチェックをしていなかった。
作者の佐伯泰英氏の著書を読んではいないのだが、作品数は多く、人気作家ですね。
週5日の1話ずつを録画し、毎回涙を流し見続けて、昨日の感動の最終回に至った。
まあ、安直な涙?かもしれないが、義理人情なんて普遍的なものだと、涙腺の弱さをも肯定する。
おもしろさには原作に加え、ドラマ作りのプラスアルファーが仕込まれているに違いない、NHKの力を感じる。出演者に愛着が涌くほど、その演技に魅入った。
ストーリーの基本は藤沢周平さんの「用心棒日月抄」(ドラマ化では、腕におぼえあり)が底辺にあるのかなという感じ。深さも奥行きも、こちらの方が上かもしれない。
しかし、楽しみな30分、45分の2~3ヶ月を過ごしました。
5年ほど前にNHKで放映されたものだが、仕事の関係でチェックをしていなかった。
作者の佐伯泰英氏の著書を読んではいないのだが、作品数は多く、人気作家ですね。
週5日の1話ずつを録画し、毎回涙を流し見続けて、昨日の感動の最終回に至った。
まあ、安直な涙?かもしれないが、義理人情なんて普遍的なものだと、涙腺の弱さをも肯定する。
おもしろさには原作に加え、ドラマ作りのプラスアルファーが仕込まれているに違いない、NHKの力を感じる。出演者に愛着が涌くほど、その演技に魅入った。
ストーリーの基本は藤沢周平さんの「用心棒日月抄」(ドラマ化では、腕におぼえあり)が底辺にあるのかなという感じ。深さも奥行きも、こちらの方が上かもしれない。
しかし、楽しみな30分、45分の2~3ヶ月を過ごしました。
2012年11月20日火曜日
おもかげ探し
昨日(2007/11/14)、奥多摩の紅葉を求めて家族3人で出かけた。八王子ICから、どちらにするか、青梅か高尾かという選択だ。実は昭和40年代の初め、青梅街道、吉野街道、秋川街道、五日市街道、滝川街道周辺のコースを移動する仕事に就いていた。ざっと40年近くまえにさかのぼる。その想いで御岳山、奥多摩周辺へ。
う~ん!懐かしい。今でも田舎風情はあるものの、道路の左右ののどかな広さが、さえぎり林立する樹木、建物で分を囲いつつフレーム付の景観を全うしていることである。めまぐるしい都市化の表れです。地名も変わったり、昔の名前であったり、檜原、養沢、数馬、古里、軍畑などと。神々しい?青梅の方が取り残された感じで、五日市は目まぐるしい変化の中にあった。
《2007年11月15日(木)ノート》
う~ん!懐かしい。今でも田舎風情はあるものの、道路の左右ののどかな広さが、さえぎり林立する樹木、建物で分を囲いつつフレーム付の景観を全うしていることである。めまぐるしい都市化の表れです。地名も変わったり、昔の名前であったり、檜原、養沢、数馬、古里、軍畑などと。神々しい?青梅の方が取り残された感じで、五日市は目まぐるしい変化の中にあった。
《2007年11月15日(木)ノート》
2012年11月13日火曜日
2012年11月9日金曜日
2012年11月3日土曜日
故郷
江戸崎は、霞ヶ浦湖畔の小さな田舎町。狭い器の中で、自然に背伸びして、いつの間にか足を遠くし文字通り、フルサトに仕上げてしまった。たいして記憶にないのは、わりと温和しく、静かに遊んでいたからかも知れぬ。田舎に居た年月以上の時間が背を向け始めてから経過していて、既に拘りを薄くしているせいでもある。自分にとってふるさとは郷愁という言葉以上のものは皆無。想い出すことさえ珍しいし、頭の中に湧きあがるものは些細な限られたシーンだけである。 このまえ、なつめが、そして昨日は、ざくろが届いた。小さい頃、なつめもざくろも、またぐみなどを、ぐいぐい口にもちこみ食べ散らかす子供たちがいた。元気なわんぱくたちで、それが自分と同じ遊び仲間だったのです。どうしてもおいしいという感覚がなくて、少し口にしては、ぺっぺと吐き捨てていたと思う。 喫茶店(ミューズ)の卓に、なつめを、ざくろを載せてみて味わってみて、ポクっとという歯ごたえ、鮮赤に映え、つぶ粒に寄せ合って半透明に光る2つの個性。どちらも淡彩味でありながら、おいしいし、うまい。昔には、味もそっ気もないと思っていたもの。ただ甘酸っぱいとしか思わなかったものの、侮りは悔いにもなって・・・・・。 当時、なつめを、ざくろを、うまいと思っていたら、もう少し別な世界の今があるのかも知れない。
《1979年11月3日(土)ノート》
《1979年11月3日(土)ノート》
2012年11月1日木曜日
2012年10月25日木曜日
2012年10月22日月曜日
amabiki
昨日は、アマビキ。 家族3人で。
以前にアママキを識った。アママキは栃木、益子辺である。どちらも雨に因んだ響きのよい語感だ。文字を換えると雨引き、と雨巻きとなる。
地名であり、山でもある。
その雨引観音は、七五三の季節で賑わいの様相。
もうここへは3度目になるか、最初は子ふたりが園児、児童のころに参拝した。
そしてきのうは登山の計画であって、こちらは雨引山から岩瀬方面へ縦走する健脚の2人を下山口まで迎えにゆく快諾なる使命。
ちょうど正午頃、岩瀬駅は閑散を極めていて、整備された駅前は小春日和に突入寸前の陽気・・・・・。
しかし、駐輪場は満ちていて、朝夕の改札口は相応の往来になるのだろうか?信じられないくらいのギャップを想う。
現在はJRのみの鉄路ながら、過去は土浦から発していた常総筑波電鉄の終着点でもあった。
以前にアママキを識った。アママキは栃木、益子辺である。どちらも雨に因んだ響きのよい語感だ。文字を換えると雨引き、と雨巻きとなる。
地名であり、山でもある。
もうここへは3度目になるか、最初は子ふたりが園児、児童のころに参拝した。
そしてきのうは登山の計画であって、こちらは雨引山から岩瀬方面へ縦走する健脚の2人を下山口まで迎えにゆく快諾なる使命。
ちょうど正午頃、岩瀬駅は閑散を極めていて、整備された駅前は小春日和に突入寸前の陽気・・・・・。
しかし、駐輪場は満ちていて、朝夕の改札口は相応の往来になるのだろうか?信じられないくらいのギャップを想う。
現在はJRのみの鉄路ながら、過去は土浦から発していた常総筑波電鉄の終着点でもあった。
2012年10月17日水曜日
進路
就職シーズンである。自分のことを想い出しても、きれいにダブラないほどに若者らしい様相を呈示して社会人へ足を踏み入れていく者。就職に限らず快適な温湯生活を、不愉快ながら脱け出して齢を数えて大人になっていくというのは、何かせつなかろうかと思う。
自然と、のんびりと変わっていくものには、10年経っても自分でさえ、それとなく解るのは周囲や環境だけで、他人からはやっと、少し変わったね・・・程度の幾分軽めの尊敬の言葉を吐かれるぐらいだろう。
適当な自信を振りまいてきた相応の世界には、次の新鮮な魔力を臆面もなく披露することによって変わったことの弁解をしなくても済む。
周囲から執拗な注目を浴びせられていて、それに必要以上の応え方をしていた場合には、弁解を余儀なくさせられる。・・・・・と思っているからだろうか、数ヶ月も抱いていた将来への生真面目な夢、計画を自らの口で変わったと言い始めて、新たな感染路を表に出して破壊してしまった。
少女からこれを聞いた時、進学というごくあたりまえの経験を前にした18才の考えが見えて、ちょっと落胆した。見えてと言ったのは普通のことなのに強調して、以前の自分の普通のことを忘れているらしかったからだ。少女が自身、普通なことを世間的な普通を、生きていくために合致させていかなくてはならないのは、辛かろう。成長していくにつれ、伸び一方の芽だった筈のものを、大多数の良心で諭され摘まなくてはならないのは、もしかしたらそれが隠されていた本音に過ぎないのかも知れない。
それでも、ぼくは1個の個性と観ている。生きていく方法は、かなり妥協的になってきつつも所謂、抗い方や、弁解や、披瀝の応酬そのものは、彼女の個性に違いない。その生の部分に多くが集中しているのみで、音楽に惚れていた感性や、情報文化に働いていた触角なんかが、単なる娯楽という誘惑の中で、息づいていたのじゃないか、それが唯一の刺激を与えていたのかと。
育てるというのは実はこれからで、少女そのものの名前と、肉体についてまわるものによって変態をくりかえす、最も有機的な交錯が、きっと別な時と場の上に、新しい個を結ぶだろうと思う。
《1980年10月19日(日)ノート》
自然と、のんびりと変わっていくものには、10年経っても自分でさえ、それとなく解るのは周囲や環境だけで、他人からはやっと、少し変わったね・・・程度の幾分軽めの尊敬の言葉を吐かれるぐらいだろう。
適当な自信を振りまいてきた相応の世界には、次の新鮮な魔力を臆面もなく披露することによって変わったことの弁解をしなくても済む。
周囲から執拗な注目を浴びせられていて、それに必要以上の応え方をしていた場合には、弁解を余儀なくさせられる。・・・・・と思っているからだろうか、数ヶ月も抱いていた将来への生真面目な夢、計画を自らの口で変わったと言い始めて、新たな感染路を表に出して破壊してしまった。
少女からこれを聞いた時、進学というごくあたりまえの経験を前にした18才の考えが見えて、ちょっと落胆した。見えてと言ったのは普通のことなのに強調して、以前の自分の普通のことを忘れているらしかったからだ。少女が自身、普通なことを世間的な普通を、生きていくために合致させていかなくてはならないのは、辛かろう。成長していくにつれ、伸び一方の芽だった筈のものを、大多数の良心で諭され摘まなくてはならないのは、もしかしたらそれが隠されていた本音に過ぎないのかも知れない。
それでも、ぼくは1個の個性と観ている。生きていく方法は、かなり妥協的になってきつつも所謂、抗い方や、弁解や、披瀝の応酬そのものは、彼女の個性に違いない。その生の部分に多くが集中しているのみで、音楽に惚れていた感性や、情報文化に働いていた触角なんかが、単なる娯楽という誘惑の中で、息づいていたのじゃないか、それが唯一の刺激を与えていたのかと。
育てるというのは実はこれからで、少女そのものの名前と、肉体についてまわるものによって変態をくりかえす、最も有機的な交錯が、きっと別な時と場の上に、新しい個を結ぶだろうと思う。
《1980年10月19日(日)ノート》
2012年10月13日土曜日
思惑
世の中は、思案どおりには決して進行しない。そんな通説じみた一般論を日常よく理解しているつもりなのに、どうしても理解できない事象にぶつかる。そうした、一種のハプニングは野次馬的愉しさを演出してはくれるが、その不思議さを案じるものにとっては、たまらなく哀しい。
もちろん第3者に、介在不可能な私的問題であるのは充分認めている。にも拘わらず、不可解な気持ちを鎮めることが出来ないのは、一つには周囲の温かい心情や、僅かながらの犠牲の上に成立していた事実を踏みにじっていると考えられるからだ。
それほど不人情と感じなくとも会話に結ばせる努力ぐらいは欲しいものです。・・・と思うのは所謂第3者の身勝手なのでしうか。
第3者が見て、不可解に思える時は、おそらく当事者間にもそれに付随した同等のテーマが溢れているに違いないのである。いっそのこと、喋ってくれさえすれば、すっきりするかも知れないし、自分の新しい局面が展がる可能性だってあるかも知れない。
《1981年10月13日(火)ノート》
もちろん第3者に、介在不可能な私的問題であるのは充分認めている。にも拘わらず、不可解な気持ちを鎮めることが出来ないのは、一つには周囲の温かい心情や、僅かながらの犠牲の上に成立していた事実を踏みにじっていると考えられるからだ。
それほど不人情と感じなくとも会話に結ばせる努力ぐらいは欲しいものです。・・・と思うのは所謂第3者の身勝手なのでしうか。
《1981年10月13日(火)ノート》
2012年10月7日日曜日
2012年10月1日月曜日
amamaki
日曜日の朝、台風を恐れて躊躇していたが、急遽家族3人で、雨巻山を登ることにした。
もちろん自分は麓を徘徊するだけであるが、それでも腰の万歩計は正直に携帯に毎日記録することが出来る。何のことはない大した意味合いもない些細な記録だが、時折の記録更新に少し満足する。
1時間ほど歩いて駐車場まで戻ることにした、
2人のハイカーはもう2時間近くも歩いているだろうが、縦走なのだろうか、まだのようだ。台風の接近を免れて、運良く好天でありがたい。しばらくの涼しい陽気が、久々の夏日だ。暑い。
1時も過ぎて、食事をしたいなあと思っている時に2人が帰ってきた。
そして「茶屋雨巻」。申し分のないロケーションで、味わい深い昼食でした。
1時間ほど歩いて駐車場まで戻ることにした、
2人のハイカーはもう2時間近くも歩いているだろうが、縦走なのだろうか、まだのようだ。台風の接近を免れて、運良く好天でありがたい。しばらくの涼しい陽気が、久々の夏日だ。暑い。
1時も過ぎて、食事をしたいなあと思っている時に2人が帰ってきた。
そして「茶屋雨巻」。申し分のないロケーションで、味わい深い昼食でした。
2012年9月29日土曜日
ものすごく・・
・・・うるさくて、ありえないほど近い
これは昨晩見た、映画のタイトルだ。
イントロから好テンポで疾走する・・・が
トム・ハンクスとトマス・ホーンの父子が不思議なスタンスを表出して、母親のサンドラ・ブロックが疲れた日常に埋もれるさまを演じてゆく。このあたりの難解さには抵抗を覚えるが、事件(9.11)と探し物の繋がりに引き込まれると、あとはあれよあれよの展開である。
間借り人(おそらく祖父)と、少年(トマス・ホーン、おそらく孫)との毎日の小さな旅、そしてたどり着くブラック氏(ジェフリーライト)との告白交歓が圧巻。
このあとは群像劇の解析になるわけだが、サンドラ・ブロックも回復への共有を図っていて救われる形のエンドマークになる。
想像をを広げると、公園でのブランコのチェーンのシーンが日常の些細な怖さを見据えている?と、勝手な解釈。
久々の感動でした。
しかし、この題名を記憶していられるかどうか、内容には自信たっぷりの膨らみだけれど。
これは昨晩見た、映画のタイトルだ。
イントロから好テンポで疾走する・・・が
トム・ハンクスとトマス・ホーンの父子が不思議なスタンスを表出して、母親のサンドラ・ブロックが疲れた日常に埋もれるさまを演じてゆく。このあたりの難解さには抵抗を覚えるが、事件(9.11)と探し物の繋がりに引き込まれると、あとはあれよあれよの展開である。
間借り人(おそらく祖父)と、少年(トマス・ホーン、おそらく孫)との毎日の小さな旅、そしてたどり着くブラック氏(ジェフリーライト)との告白交歓が圧巻。
このあとは群像劇の解析になるわけだが、サンドラ・ブロックも回復への共有を図っていて救われる形のエンドマークになる。
想像をを広げると、公園でのブランコのチェーンのシーンが日常の些細な怖さを見据えている?と、勝手な解釈。
久々の感動でした。
しかし、この題名を記憶していられるかどうか、内容には自信たっぷりの膨らみだけれど。
2012年9月25日火曜日
2012年9月16日日曜日
2012年9月7日金曜日
カタカナ
「シャッフル」←「デビル」←「カナディアン・エキスプレス」←「ダーク・ウォーター」とたてつづけに映画を見た。すべて邦題はカタカナ。英文がそのままカタカナに表されたわけではなく、別な言葉に置き換えられた作品もある。
1990年米作「カナディアン・エキスプレス」ポパイことジーン・ハックマン大活躍の映画。なんと数10分ごとにフィルムのつなぎの丸い点がみられる今時珍しい作品。鮮明ではない画面で、AXNチャンネルではの趣です。
1997年米作「デビル」。これはイントロから強烈なインパクト。同名には別作品もあるが、ハリソン・フォードとブラッド・ピットの組み合わせが絶妙な一篇。ピットのかっこよさが憂愁へと導いてゆくヨットの超俯瞰がいい。この頃から既にハリソン・フォードは渋さを極めていたのか?
2005年米作「ダーク・ウォーター」。古い高層ビル街の雨降りの暗さが、シチュエーション。晴天に変わるまでが事件の全容で、不気味なテーマです。
そして
2007年米作「シャッフル」。原題は《予感》で、邦題もまま理解できるが、病的な感覚が消されてしまう語彙かなと? サンドラ・ブロックが好きで見つめるが、エンディングの素っ気なさなど不満は感じる。
「カナディアン・・・」以外が3作共に、宗教を救いに置いているところが窺われてエンド・マークにたどり着く感じ。国民性の違いで、無宗教の自分には少し理解できないところでもある。
サトウサンペイさんのイラストを借りました。
1990年米作「カナディアン・エキスプレス」ポパイことジーン・ハックマン大活躍の映画。なんと数10分ごとにフィルムのつなぎの丸い点がみられる今時珍しい作品。鮮明ではない画面で、AXNチャンネルではの趣です。
1997年米作「デビル」。これはイントロから強烈なインパクト。同名には別作品もあるが、ハリソン・フォードとブラッド・ピットの組み合わせが絶妙な一篇。ピットのかっこよさが憂愁へと導いてゆくヨットの超俯瞰がいい。この頃から既にハリソン・フォードは渋さを極めていたのか?
2005年米作「ダーク・ウォーター」。古い高層ビル街の雨降りの暗さが、シチュエーション。晴天に変わるまでが事件の全容で、不気味なテーマです。
そして
2007年米作「シャッフル」。原題は《予感》で、邦題もまま理解できるが、病的な感覚が消されてしまう語彙かなと? サンドラ・ブロックが好きで見つめるが、エンディングの素っ気なさなど不満は感じる。
「カナディアン・・・」以外が3作共に、宗教を救いに置いているところが窺われてエンド・マークにたどり着く感じ。国民性の違いで、無宗教の自分には少し理解できないところでもある。
サトウサンペイさんのイラストを借りました。
2012年9月2日日曜日
2012年8月27日月曜日
猫のいる暮らし
信じられないことだけれど、猫といっしょの生活を5ヶ月も続けている。そしてもう回避しようもない事実を刻んでいる。
外回りに、犬を飼っていた時代もあった。全く人任せにしていた家主?でした。
少し懲りた気持ちもあり、ペットを飼うのはと!いう姿勢だったが今年3月中旬に何故か、猫を飼う羽目になった。半ば仕方のない事情もあって、飲み込んだ条件だったが家の中を駆けずり回るその身勝手な躍動と、すぐ眠りに陥る平易なアクションに・・・魅されて!!5ヶ月に至った。
で、人任せにできなくなっている毎日、ピッピ(猫の名前)の寝顔をじっくり見つめていて、何か、自分自身の体たらくに被るような、似たもの同士を認める共通項をふと感じる昨今、述懐しきり。
これは3月の頃、今は2.5倍くらいに大きくなり香しき美女?に成長です。みやぅ~ん。
外回りに、犬を飼っていた時代もあった。全く人任せにしていた家主?でした。
少し懲りた気持ちもあり、ペットを飼うのはと!いう姿勢だったが今年3月中旬に何故か、猫を飼う羽目になった。半ば仕方のない事情もあって、飲み込んだ条件だったが家の中を駆けずり回るその身勝手な躍動と、すぐ眠りに陥る平易なアクションに・・・魅されて!!5ヶ月に至った。
これは3月の頃、今は2.5倍くらいに大きくなり香しき美女?に成長です。みやぅ~ん。
2012年8月25日土曜日
2012年8月20日月曜日
酷暑
だった昨日、第三回2012すみだストリートジャズフェスに出かけた。すべて無料。しかも枠が広く狭義なジャズを超えてあらゆる音楽に出会える貴重なイベント(第一回の時に出会った、Instead of Netは感銘)。アマ・プロ混在のプログラム構成。やはり若い感覚でないと、ありきたりの羅列に終始してしまう。もちろん選択多肢ゆえ、とばす気分であちこち歩いてみる。
ただ暑いのには閉口する、音楽の内容を詮索・云々する気持ちがそがれてしまう。
というわけで駆け込むようにトリフォニーホール(=素晴らしい音響施設会場)に涼を求めた。並行催の墨田区民音楽祭でのビッグバンド3組を堪能?した。吹奏楽普及の昨今それぞれ高い技術、教育的な型にはまった音楽であるのが欠伸の因かも、途中休憩時には午睡も叶った。
ここはスカイツリーに近い錦糸町。
帰路には点灯夜景のツリーを見ながら、ああ、ひさしぶり、疲れたの・・・思いの真夏の半日でした。
ただ暑いのには閉口する、音楽の内容を詮索・云々する気持ちがそがれてしまう。
というわけで駆け込むようにトリフォニーホール(=素晴らしい音響施設会場)に涼を求めた。並行催の墨田区民音楽祭でのビッグバンド3組を堪能?した。吹奏楽普及の昨今それぞれ高い技術、教育的な型にはまった音楽であるのが欠伸の因かも、途中休憩時には午睡も叶った。
ここはスカイツリーに近い錦糸町。
帰路には点灯夜景のツリーを見ながら、ああ、ひさしぶり、疲れたの・・・思いの真夏の半日でした。
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