2012年10月17日水曜日

進路

 就職シーズンである。自分のことを想い出しても、きれいにダブラないほどに若者らしい様相を呈示して社会人へ足を踏み入れていく者。就職に限らず快適な温湯生活を、不愉快ながら脱け出して齢を数えて大人になっていくというのは、何かせつなかろうかと思う。
 自然と、のんびりと変わっていくものには、10年経っても自分でさえ、それとなく解るのは周囲や環境だけで、他人からはやっと、少し変わったね・・・程度の幾分軽めの尊敬の言葉を吐かれるぐらいだろう。
 適当な自信を振りまいてきた相応の世界には、次の新鮮な魔力を臆面もなく披露することによって変わったことの弁解をしなくても済む。
 周囲から執拗な注目を浴びせられていて、それに必要以上の応え方をしていた場合には、弁解を余儀なくさせられる。・・・・・と思っているからだろうか、数ヶ月も抱いていた将来への生真面目な夢、計画を自らの口で変わったと言い始めて、新たな感染路を表に出して破壊してしまった。
 少女からこれを聞いた時、進学というごくあたりまえの経験を前にした18才の考えが見えて、ちょっと落胆した。見えてと言ったのは普通のことなのに強調して、以前の自分の普通のことを忘れているらしかったからだ。少女が自身、普通なことを世間的な普通を、生きていくために合致させていかなくてはならないのは、辛かろう。成長していくにつれ、伸び一方の芽だった筈のものを、大多数の良心で諭され摘まなくてはならないのは、もしかしたらそれが隠されていた本音に過ぎないのかも知れない。
 それでも、ぼくは1個の個性と観ている。生きていく方法は、かなり妥協的になってきつつも所謂、抗い方や、弁解や、披瀝の応酬そのものは、彼女の個性に違いない。その生の部分に多くが集中しているのみで、音楽に惚れていた感性や、情報文化に働いていた触角なんかが、単なる娯楽という誘惑の中で、息づいていたのじゃないか、それが唯一の刺激を与えていたのかと。
 育てるというのは実はこれからで、少女そのものの名前と、肉体についてまわるものによって変態をくりかえす、最も有機的な交錯が、きっと別な時と場の上に、新しい個を結ぶだろうと思う。
《1980年10月19日(日)ノート》

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