《1981年12月6日(日)》
言行一致というのは、たいへん難しいことでたんなる約束めいたことや、記憶に類することなら即刻謝罪することで、或いはその人間性の正直な表現ということで、特別拘泥する必要のない些少事だと言えるが・・・・・。
ところが言行一致を試みている者には、自身に対する屈辱感を受けるような厳しさなのである。先ず自分を罰しなくてはならないし、憤りは自身に向けられる質のものである。
その良心が純粋であればあるほど、余計に手ぶらにして、棒立ちでいるという芸当が出来ない。
しかし、どうしても理不尽に走らざるを得ない状態が生まれてくる。言行一致というのは。ある面では理想であり、ある面では表現であるからだ。
感情に支配された時には、どうしようもなくなってくるものだ。そんな感情はどこからやってくるのだろうか。コントロールしようにも、一部分が破壊されていて補修しきれないのである。として、打開策を見つけないことには、溝は大きく広がり、蟻地獄化するかも知れないのである。
傍観しえる冷静さがあれば、余裕や甘え如きに通じ、大事に至ることはあるまいが、双方ともに、視線を避けるようになっては苦しくなってくる。
早めに是正する態度が、姿勢が求められる。ということ。
言行一致というのは、たいへん難しいことでたんなる約束めいたことや、記憶に類することなら即刻謝罪することで、或いはその人間性の正直な表現ということで、特別拘泥する必要のない些少事だと言えるが・・・・・。
ところが言行一致を試みている者には、自身に対する屈辱感を受けるような厳しさなのである。先ず自分を罰しなくてはならないし、憤りは自身に向けられる質のものである。
その良心が純粋であればあるほど、余計に手ぶらにして、棒立ちでいるという芸当が出来ない。
しかし、どうしても理不尽に走らざるを得ない状態が生まれてくる。言行一致というのは。ある面では理想であり、ある面では表現であるからだ。
感情に支配された時には、どうしようもなくなってくるものだ。そんな感情はどこからやってくるのだろうか。コントロールしようにも、一部分が破壊されていて補修しきれないのである。として、打開策を見つけないことには、溝は大きく広がり、蟻地獄化するかも知れないのである。
傍観しえる冷静さがあれば、余裕や甘え如きに通じ、大事に至ることはあるまいが、双方ともに、視線を避けるようになっては苦しくなってくる。
早めに是正する態度が、姿勢が求められる。ということ。

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