2010年6月15日火曜日

梅雨の晴れ間

早いものである。本来、じめじめした季節である筈なのに、きょうは、梅雨の晴れ間・・・・・。
何故か、じめじめと、うっとおしい時季なのに、ここのところ、わりと元気、快活な周囲が見渡せる。ほんの3,4ヶ月前の、2月、3月、4月のマイナーな空気が信じられぬほど、6月は一斉に花開くという感じ。
ちょうど、3月頃だったと思うが、自分でも気が滅入ってしまって、友人に手紙を出したことがあった。少しばかり憂えていたわけである。もっとも訴えるつもりだったのではなく、時候の挨拶を加えて、ご機嫌伺いのあたりまえの手紙だったのが、筆が弾んで相当私情にも及んだというわけである。
お互いをよく知っている友人同士という間柄であるのに、どうしたのかなーと、思うほど、手紙が返って来なかった。もちろん返辞を欲していたのではないが、あいての状態を知りたい気持ちがあったので、自ずと待ちわびる結果になっていた。
そして6月の初め、少し厚めの封書が届いた。たった一人で、というのはこちらのことだけれど、相手には、またまた多いだけの心労があって、それ相応に対処していることが記されていて、懸念も増した。厚めというのは、50円に10円プラスされただけの余分だけれど、込められた心づくしは多分に増して、嬉しさが充分に広がって喜々としてしまった。入っていたものは、彼がこしらえてくれた革製のコインケースであった。
彼、富沢久一氏は子供2人の4人家族で、川崎市に住んでいる。彼がレザークラフト(革工芸)を始めたのは、もう8年くらい前で、技術としてはもう充分、世間で通用するほどなのに、彼自身のためらいや、既存の流れに怖れがあって、未だに修業の態を崩していない。いちばん頭を悩ましてしまうのは、親子4人で生活をして、しかも一生懸命でありながら、ひどく厳しさを分けあっている筈なのに、ヘドロのように、年々底辺を埋めつくしつつ、脅かしているのは、あまりに安易で、平和に満ちて見えてしまう周りの世界ではなかろうか。
それと比較してみても、やはり哀しさだけが目立ってしまう、それほど、ぼくにとって大切な、かけがいのない、友人である。
《1979年6月15日(金)ノートから》。

0 件のコメント:

コメントを投稿