2010年6月29日火曜日

ぶばいがわら篇

分倍河原と書く。住宅の町名には、分梅の記載がある。
6月26日(土)に40数年ぶりに、分倍河原を訪ねた。いつものようにおおざっぱな計画で事前に、紙上のリハーサルをしなかった。記憶装置の確かめを再チェックする意味合いが大きいので、駅前の密度の増した、さも渋谷の神泉の変貌ごときで面食らった。都会のさながらが、40年で襲ってきたのだ。
その上、雨もちらほらで、初めての一人暮らしだった府中市片町辺りを探索?する気持ちが30分ほどで萎えてしまった。
帰宅しノートするために地図を見直したら駅の位置から東西の確認がとても出鱈目に想い出していたのを痛感した。全くの退化だ。老成などほど遠い。

華奢な駅舎は密接の駅前では仕方がない、これは京王線で、毎日乗降していた駅前だった、感覚がよみがえる。いかにも質素!小さい改築だけだったのであろう?。
高低差をもった反対側には南武線のJR駅があり、歴史的古戦場の象徴として近年、素晴らしい新田義貞像が建てられた。

つくばからTXで→南流山・武蔵野線で→府中本町・南武線で→分倍河原の経由。意欲を絶やさぬためのリハビリも兼ねているので、もういちどトライもあるかもの中途としよう。

2010年6月22日火曜日

模様替え

馴れることを防ぐために思い切って、店の中の飾りをシンプルにした。これまで築きあげた(?)MUSEのイメージを一掃する効果はあったようだ。
それでも全くの白紙状態にすることは出来なかった。建物自体が持つ生の感触が、音楽や店に出入りする人間とは遠距離に位置するような、あまりに怠惰な情景に見えたからであった。
いま、店の中を見わたしていて殺風景だと、びっくりしていた常連のため息もよく判る。
とにかく、バランスを外していた意識的な顕示欲の旺盛さから比較すれば、たしかに温和に変化したかも知れない。一瞬、殺風景と映るかも知れない。
それが、馴れ、慣れだと思うのだ。《1981年6月23日(火)ノートから》。

2010年6月20日日曜日

Railways

18日(金)の朝イチで映画を見に行った。
「49歳で電車の・・・・・」という話題もの。全然つまらない。すべて予想通りの展開で、お涙も、喝采も、仕組んだ限りの挑発で・・・その上、ユーミンさんのエンドロールソングとくれば、取り敢えず“鬼に金棒”か?
しかし、旅情はいっぱい。山陰の素朴な電車が、何度もスクリーンを横切る。
あの「天然コケッコー」で、間延びした風景を演じた電車が、活性化の日常を走る。
宮崎美子さんの介護士役が余韻をもって秀逸。
自然体で“すべ”を包含し魅せる、奈良岡朋子さんのリアルさ!がもったいないほど。

2010年6月17日木曜日

対談

竹中直人さんが洋輔さんと対談していた。映画「スウィングガールズ」や「壬生義士伝」などで竹中さんは個性の強い役柄を演じていた。ので番組では普段が出ると思っていたが、それ以上の個性が感じられて改めて演技の有無に困惑した。  自分ののコンサート来歴回数では、山下洋輔さんが最も多い。しかし、すべて、参加イヴェントであり、洋輔さんのみのコンサートには行ったことがない。尻込みする(・・・興味が薄い)ものが先にあって、たとえば、演奏以外の周囲のファミリー的なファン層や親衛部に怖じ気づくとかだ。固まるものに拒否感が働くのかも知れない。故に「アート・アンサンブル・・・」や「グローブ・ユニティ・・・」の前座だったり、地方の「ジャズ・オケ・・・」の賛助でしか、出合ってない。すごいのは語ることにあると思う。「ジャズの掟」では相当教えてもらった。春のセシル・テイラーとの競演からピアニストの話題に転じ、“キース・ジャレットに及んだ”とき、入り込めない卓越するものへの、つぶやきが漏れた。(25年も前の、フライヤーを挿入しました。Summerfocus82108誰と行ったか、どんなだったか思い出せない、ギャふん!) 《2007年6月21日(木)記》。

2010年6月15日火曜日

梅雨の晴れ間

早いものである。本来、じめじめした季節である筈なのに、きょうは、梅雨の晴れ間・・・・・。
何故か、じめじめと、うっとおしい時季なのに、ここのところ、わりと元気、快活な周囲が見渡せる。ほんの3,4ヶ月前の、2月、3月、4月のマイナーな空気が信じられぬほど、6月は一斉に花開くという感じ。
ちょうど、3月頃だったと思うが、自分でも気が滅入ってしまって、友人に手紙を出したことがあった。少しばかり憂えていたわけである。もっとも訴えるつもりだったのではなく、時候の挨拶を加えて、ご機嫌伺いのあたりまえの手紙だったのが、筆が弾んで相当私情にも及んだというわけである。
お互いをよく知っている友人同士という間柄であるのに、どうしたのかなーと、思うほど、手紙が返って来なかった。もちろん返辞を欲していたのではないが、あいての状態を知りたい気持ちがあったので、自ずと待ちわびる結果になっていた。
そして6月の初め、少し厚めの封書が届いた。たった一人で、というのはこちらのことだけれど、相手には、またまた多いだけの心労があって、それ相応に対処していることが記されていて、懸念も増した。厚めというのは、50円に10円プラスされただけの余分だけれど、込められた心づくしは多分に増して、嬉しさが充分に広がって喜々としてしまった。入っていたものは、彼がこしらえてくれた革製のコインケースであった。
彼、富沢久一氏は子供2人の4人家族で、川崎市に住んでいる。彼がレザークラフト(革工芸)を始めたのは、もう8年くらい前で、技術としてはもう充分、世間で通用するほどなのに、彼自身のためらいや、既存の流れに怖れがあって、未だに修業の態を崩していない。いちばん頭を悩ましてしまうのは、親子4人で生活をして、しかも一生懸命でありながら、ひどく厳しさを分けあっている筈なのに、ヘドロのように、年々底辺を埋めつくしつつ、脅かしているのは、あまりに安易で、平和に満ちて見えてしまう周りの世界ではなかろうか。
それと比較してみても、やはり哀しさだけが目立ってしまう、それほど、ぼくにとって大切な、かけがいのない、友人である。
《1979年6月15日(金)ノートから》。

2010年6月12日土曜日

ともだちの詩

この歌を初めて聴いたのは、暮れの頃(2006年12月)だったかと思う。どうも鈴木重子がJ.POPに進出したのかな?という、不思議な時代錯誤のような、歌詞と唱法だなと思った。 しかしどこかで欲しているもの、求めている何かがあると感じられたのは確かだ。 まもなく新聞に「時の人」の紹介として採りあげられていて、幾分ショックを受けた。そして名前の文字の"位置"すら表現している(中村中さん)と思った。(手をつなぐだけでいい・・・)という歌詞のリアルさは、時代錯誤と評した、超越している、世間並みに逆らっている、かのようなスピルチュアルさだ。 6月に 「メゾン・ド・ヒミコ」を見たとき、柳沢慎一がでていて、若い世代には判らないかも知れないが、その存在と「素」の部分に感動を覚えた。 今日、久しぶりに [Perceptual/Brian Blade Fellowship] を聴いてみて、ブレイドの秘めたる闘志の重み、深みに、2つの作品のつながりの最終につないでみた。ジョニ・ミッチェルも仲間!Bbfellowship104参加している。《2007年6月15日記》。

2010年6月11日金曜日

離脱



もういいのではないか、という気概で、辞表を出した。今後、のことを楽観しているわけではないが、実に久方ぶりの自分の決意に、ちょこっとの酔いもある。(=不安がよぎるとは言え決断を課する!)働く以外の能のなさを、拭い、そして余暇を自身の健康と、緩やかな目標の干渉への踏み台に。66才が?

2010年6月8日火曜日

不穏な深緑



明白な事例は思いつかないのだけれど、どうも最近はギスギスした感じの社会が見えて少し寂しい。勤めに出てもいらいらの言葉が返ってくるような状態だ。こないだまでの平穏さが崩れてしまったのかと、それは何故かと不思議な気がする。周囲からの言葉を集めると10年くらい前は?という・・・しかし肝心なのは自分が変わり始めてからの10年かも知れないという認識が必要ではなかろうか。単純に昔はよかったなんて!思い返すのは愚の骨頂。環境のせいに出来るのは、せいぜい天変地異ぐらいだ。吸収し浸透させる、この食事に似た営みを絶えず繰り返し少しでも前に歩むことを・する。声を荒わげ罵倒する勢いも一つの解決ではあるけど、リバウンドも結構きついのが想像できる。身近な社会を永らえ数年間という時間の活用を強いられるならば、その点は耐えるなどと言うマイナス思考は好ましくない。生き延びる、やり遂げる、逃げ続ける、どんな立場であろうとも小さなオーラでもいい、発せられる相応の温度感覚を保ちたい。
この時期は、森林浴からでしょうか・・・。
(2009年5月1日記)。

2010年6月7日月曜日

梅安

「梅安」を観た。岸谷版だ。梅安は数多く制作されているから、優劣、評価が分かれるのは仕方がない。小日向文世は好きな役者だが、彦次郎役に関して言えば、これまでの田村高広や橋爪功には及ばないし、小杉重五郎役は柴敏夫の鷹揚な風格が原田竜二を抑えている。鷲尾真知子の軽さは、賀原夏子に近づく助演もの。ま、これが続くか否かはわからないが「御宿かわせみ」同様、好みのシチュエーションである。 隆大介の風貌、いいなあ! Jidaigekihaku2088 江戸時代の考証、微に入り細にいり、スタッフの努力のたまもの。変化を遂げている。《2007年6月5日(火)記》。

2010年6月6日日曜日

影響?

趣味性のものは、とかく敏感になりやすい。例えばジャズ好きにとって、新聞の番組欄や記事等にそれらの名詞が見つけられたら、チェックする体制に入る・・・反応だ。それで特集雑誌などを手に入れたりとか?チャンネルを合わせたりとか?が、そんな短絡思考 (ごくありふれた回路なわけだが)、がこの頃ようやく冷えて、過剰な触手に誤りがあることを納得するようになった。悟りつくまでには似たようなものがコレクトされることで、追求の及ばない低レベルの範囲で攪拌をくりかえすことにならされていた。“弱み”だったと思う。“弱み”に関わる時間は、過剰な浪費を築いていた・・・などと回し込むでも、至福の山に埋もれていたのが、明白な事実。  映画「陽のあたる教室」(Mr.Holland`s Opus)は、リチャード・ドレイファスが演じる高校の音楽教師の最初に感銘を受けた音楽を【ジョン・コルトレーン】と述懐するシーンから、涙腺を絞られて“弱み”のまま見終わってしまった。健康的な映画で、ハダカもないし、暴力もない不思議さで、70,80,90年代の推移はニュースが補うくらいで、崇高なテーマを安直(まさに)に仕上げてしまった、と思う。ドレイファスのメイクは精緻に表現され60才までに老けてゆくのだけれど40才頃が、極めてキース・ジャレット似で、この辺も掴まれる“弱み”です。で、似てるということで昨日、D.D.ジャクソンの「ピース・ソング」を聴き直してみた。師匠のドン・プーレンどころか、イントロからゴスペル感タッチのピアノはジャッレト風で、途中からデビット・マレイの豪快なテナーが吹き荒れるすさまじさ、最後にプーレンが覗かれるという、くらいだ。しかし、似ても非なるもの、D・Peacesong188 マレイカルテットのつくば公演を思い出す。挿入は「ピース・ソング」が入ってる企画ものから。《2008年6月11日記》。

2010年6月5日土曜日

保証人

《1981年6月4日(木)》
森田六月実(むつみ)くんと武藤好子さんが、やって来て ちょっと「たのみがあるんだ・・・・・」とボクに言う。
2枚のうすっぺらな紙片を見て、「ボクで―、いいのかなあ―」と、ささやかなためらい。
保証人になってくれと言うのである。それは婚姻届。  だから「ボクで―、いいのかなあ―」という疑問。
でもいいか、おめでたいことだ。とても、うれしいことだし。
署名捺印したところへ、草間正久くん登場。カメラが右肩にぶらり、ぶらり。 撮ってもらいましょぅ―。記念に! 「白黒ですョ」 いいんです。 私たちカラフルハート。
たった1人のひとりっ娘が、親の反対、嘆きを押し切って、亀戸から水海道へ。 少しは秘かに、つつましやかな幸せに向かって、チーズ。モノクロームスタート。 OK!

2010年6月3日木曜日

訃報

 若い人たちの前で、おきゃん(お侠)とか言っても、死語化してるかのようで通じなくなってる時代に、ジョン・ウェインの「勇気ある追跡」を見た。以前にも見ている。1969年作品だから、国内では、三船、勝新、任侠ものの頃だ。もちろん西部劇はアメリカの時代劇、錯誤が表現されるのは当然とはいえ、殺戮、報復の行動性が素早くて、その前の言動、台詞にチェックを入れたくなる。かくもそういう背景から銃社会が続いているような、「チェック」だ。
おきゃんは、キム・ダービー(21才が14才を演じる)、老保安官(ジョン・ウェイン)に詰め寄り、執拗に叱咤する初々しい決めのセリフ。勇気あるのは、追跡ではなく、この的確な判断を促す少女と、そこで肯く老保安官の納得の帳尻にある。
デニス・ホッパーも出ていて軌跡を辿りたくなり興味がわく。(=先日ホッパーさん逝去、加筆)
《2007年6月10日(日)記》。

2010年6月2日水曜日

夜間学校

(1960年代後半の頃)、夜6時から9時まで2年間短期のデザイン専門学校で、グラフィックデザイン(現在と少し異なる?)を専攻しています。もちろん将来を考えた上での夜学ですが、たとえ失敗しても可という下心があります。夢だけで現実に近づくなんてことは、誰も出来ないでしょう。希望を現実化させるのは、それなりの努力が必要とされるわけです。ゆえに失敗という最悪の線だって考えないわけにはゆきません。   昼間、親のスネかじりで通学している連中と異なり、夜学の仲間は全て、昼何らかの力を社会に向けています。昼仕事しているより、夜学校での3時間が楽しくてしょうがないと皆言っています。学校が終わると仲間(男、女)とビアガーデンへ行き、生ビールを2,3本あけたり、喫茶店へ行って語り合ったり、そんな毎日をして下宿には10時半過ぎ。そのあと晩飯を摂ります。そして学校の課題に取り組み、12時過ぎに寝るのが普通。朝6時30分起床、通勤といった毎日。  無我夢中で頑張っていたんだなぁー。  (1979年6月のUni_0027 ノートから)

2010年6月1日火曜日

アンデルセン

5月23日、アンデルセン公園に行く。この時期はどうしても遠足の子供たちでいっぱいになる。と言っても、ここは歓声、嬌声が晴天に舞い上がるだけで、愉しみも、友達いっぱいの幸せも、周辺の緑に包み込まれる。
自然を利用し、作られた施設だけれど、かなり満喫できました。《2007年6月1日(金)記》。