昨日(2009/09/01)首都高を走った。運転者はもう少し若くて、助手席は初老のくたびれたナビだ(筆者)。実は再びアパート住まいの息子の引越しで家族3人で世田谷方面へ。 昨年までは杉並だったが。
1965年頃(=都内で仕事をするようになって)の賑やかさや喧騒と、ちっとも変わっちゃいない印象の都会は、素早く動く回るのが似合うっていうのかな、のんびりするには、細かい網の目状の道路は巨大な迷路と化して立ち塞がる。『若者の街だよ』と言わんばかりの・・・。
しかし、せわしいのは側である。そして、そのように誇張して見えるのも真実。
三軒茶屋、環七、駒沢通り、目黒通り、碑文谷とつないでみると張り巡らされた頭上の電線の複雑なネットに縛られているかのような錯覚に陥る。40年以上も前も同じであったのに、その頃に平気で馴染んでいた感覚が、肉体の衰退とともに同調を失い始めている。当然のことだ。抗うべくもない、さらして都会の軌跡を辿ってみよういう新たな思惑。
実のところ、都会の軌跡ではなく、自身の軌跡をもう一度確かめ映すのが目的。希望ですが。
出きるだろうか、ぼけを前面に現しているのに、ごく普通に速度を見せている世の中に、ひょいと乗り移れるだろうか。
昨日の帰路、環七から246を渋谷へ、池尻辺から首都高への、ひょいとは失敗したが、三軒茶屋から大橋への緩やかなカーブは林立のビルの豹変に惑わされるとも、懐かしい夜景を見せていた。何とか高樹町から高速に入れた。ドライバー(家人)は偉い。
三郷から常磐道へ向かう頃には、途轍もない睡魔がやってきて、助手席の窓を少し開けるとクルマの中へは昼間の残暑を忘れて、もはや秋の風が・・・ひょいともぐり込む。 《2009年9月2日(水)ノート》。
1965年頃(=都内で仕事をするようになって)の賑やかさや喧騒と、ちっとも変わっちゃいない印象の都会は、素早く動く回るのが似合うっていうのかな、のんびりするには、細かい網の目状の道路は巨大な迷路と化して立ち塞がる。『若者の街だよ』と言わんばかりの・・・。
しかし、せわしいのは側である。そして、そのように誇張して見えるのも真実。
三軒茶屋、環七、駒沢通り、目黒通り、碑文谷とつないでみると張り巡らされた頭上の電線の複雑なネットに縛られているかのような錯覚に陥る。40年以上も前も同じであったのに、その頃に平気で馴染んでいた感覚が、肉体の衰退とともに同調を失い始めている。当然のことだ。抗うべくもない、さらして都会の軌跡を辿ってみよういう新たな思惑。
実のところ、都会の軌跡ではなく、自身の軌跡をもう一度確かめ映すのが目的。希望ですが。
出きるだろうか、ぼけを前面に現しているのに、ごく普通に速度を見せている世の中に、ひょいと乗り移れるだろうか。
昨日の帰路、環七から246を渋谷へ、池尻辺から首都高への、ひょいとは失敗したが、三軒茶屋から大橋への緩やかなカーブは林立のビルの豹変に惑わされるとも、懐かしい夜景を見せていた。何とか高樹町から高速に入れた。ドライバー(家人)は偉い。
三郷から常磐道へ向かう頃には、途轍もない睡魔がやってきて、助手席の窓を少し開けるとクルマの中へは昼間の残暑を忘れて、もはや秋の風が・・・ひょいともぐり込む。 《2009年9月2日(水)ノート》。
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