遠出の時は、殆んど自分は助手席で地図帳担当。
ことし4月(2007年)、上高井戸の環8、外回りから谷原交差点を左折し、外環に入るところを間違えて、1時間近くぐるぐる回ってしまった。
助手席のナビも老化、欠陥で、(もとより) これは致し方ない、の結果?。迷ったあげくのこの辺りが大泉学園町でした。
藤沢周平さんが1976年11月から20年間住んでいた場所です。この年月時、自分は既に水海道で、自分と周平さんが一番接近してたと思われるのは同じ清瀬市(町)に住んでいた1966年頃かと思う。自分は友人とケンカ別れする一ヶ月弱の短い居候でした。
今度このブックレットを読んでみて、周平さんの大泉学園町の日常と周辺の関わりが、掴め、身近な様相を改めて知らされ、またしても涙を蓄えてしまった。
《2007年6月26日(火)ノート》
ことし4月(2007年)、上高井戸の環8、外回りから谷原交差点を左折し、外環に入るところを間違えて、1時間近くぐるぐる回ってしまった。
助手席のナビも老化、欠陥で、(もとより) これは致し方ない、の結果?。迷ったあげくのこの辺りが大泉学園町でした。
藤沢周平さんが1976年11月から20年間住んでいた場所です。この年月時、自分は既に水海道で、自分と周平さんが一番接近してたと思われるのは同じ清瀬市(町)に住んでいた1966年頃かと思う。自分は友人とケンカ別れする一ヶ月弱の短い居候でした。
今度このブックレットを読んでみて、周平さんの大泉学園町の日常と周辺の関わりが、掴め、身近な様相を改めて知らされ、またしても涙を蓄えてしまった。
《2007年6月26日(火)ノート》

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