2011年6月18日土曜日

許されざる者

クリント・イーストウッドの作品と同じタイトルですが、やはり1960年のこちらが、好き。主演はバート・ランカスターとオードリー・ヘップバーン、そしてオーディ・マーフィが絡む。40年も以前に見たものを、新たに感慨を深めてじっくり見直した。そしてこれより約1ヶ月前に見た1956年作の「捜索者」と充分に重なるストリーである。これはジョン・ウェインとナタリー・ウッド、ジェフリー・ハンター。
どちらもインディアンを登場させて、西部開拓史時代の悲哀が盛り込まれる。乳児の時、助けられたカイオワ族のヘップバーンと、幼女時にインディアンにさらわれて数年後、先住民の美少女に変わったナタリー・ウッドという設定。人種差別と正義を嵩に着た高慢な勇気が、現時点では不均衡に映る。ハリウッドの娯楽作品だから、通用する時代のヒットにも支えられて描かれてしまった、先住民のたわいもない俗世界。不適切きわまる言動が飛び交ったりしても、ただ戦いの構図ぐらいの興奮で見終わってもいいのだろうかと、2009年のコメントは厳しくなる。
ネイティブ・アメリカンの、理解の届かない?世界を設定しては、ジョニー・デップの「ブレイブ」(1997年)で極まった感がある。貧しさに包囲され不気味に堕する幸せの飛沫を、大輪の尺玉から玩具の線香花火の距離感で、廃れた遊園地のメリーゴーラウンドに見立てた住み家の周囲を刹那で哀しく描いている。傑作です。別世界であるはずのマーロン・ブランドの日常の暗さも見事です。  《2009年6月18日(木)ノート》

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