2011年6月8日水曜日

大作

長いだけじゃ疲れるだけだし、興業を見込んで、それなりのお膳立てもあるが、だいたい史実ものがテーマに即応されることが多い。先日見た「コールド・マウンテン」もそうしたスケールがうかがえる。自分の記憶が乏しいので、単純に思い出せるのはケビン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブス」とトミー・リー・ジョーンズの「ミッシング」、そして古くはオードリー・ヘップバーンとバート・ランカスターの「許されざる者」が、人種差別、内戦(南北戦争)などの共通項で感銘を受けた、自分好みの”大作”である。「コールド・マウンテン」にも、似た感慨が浮かぶ。いずれにも殺戮はあるが、例えば「ブレイブ・ハート」や「麦の穂をゆらす風」(時代の時間差は大きいが)の、イングランド特有の拒まれそうな、もやった障害から、はるか離れた彼の地・アメリカの障害は、まさに牧場の”囲み”ほどの緩さと自由への憧憬が描かれて、逞しさが前進に転じる速さがつかめる。風土が成せるのか、或いはあまりにも大きな民族ゆえか、そのカオスの混濁で、ゆく末のシンプルな希望が想われる。寸役?でナタリー・ポートマンが出ていたが(とても大事なエピソード)、エンド・ロールで確かめないと、見逃してしまう。この翌年「クローサー」で燃え?アップ・デイトする。振幅レンジの大きさ、愉快な感服。ジュード・ロウのファンになってしまった昨今です。  《2008年6月8日(日)ノート》

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