2011年6月30日木曜日

アート・ランディ

《2007年6月30日(土)》
 午前11時に「新日本紀行」を見ていた。ら、同じ場所をとりあげていた昭和53年の「新日本紀行」が回想として出てきた。テーマ曲は、もちろん冨田勲さん(ドビュッシューの頃かもしれない)。  番組の中に挿入されてた音楽は、なんと!アート・ランディの「ルビサ・パトロール」の1曲だった。無国籍ジャズをはっきり表すECMの初期の傑作です。自ら探しあてたものではなく、1979年(昭和54年)草間さん宅でレコードを聴きまして気に入り、後にCDを求めました。確認のため聴き直しましたが、マーク・アイシャムの清澄なトランペットがやはりみずみずしくて、色あせなしの感を受けました(マーク・アイシャム氏、最近は映画音楽が多い)。   異色でしかも音楽の挿入としては「剣客商売」(藤田まこと版、初めの頃)に堂々と「ピンク・フロイド」(狂気?)が、流れていたのには困惑した。合致する感じがとても不思議だ。どちらも好きなので、けっして嬉しくない。が、はめられたというべきか。

2011年6月29日水曜日

少し違和感、そして少しのイラツキ

《2008年6月29日(日)》
NHKホールでの、東京スカパラダイス・オーケストラのライブを見た。音楽番組で”スカパラ”の名前を見ると必ずチェックして録画するのだけれど、その結果毎回同じようなイラツキを覚えてしまう。進化というよりも変化を期待して(例えばマイルスの変貌のように)、確かめるのだけれど、いつもの”スカパラ”で、”たてのり”のビートの総立ちの波に違和感が生じる。チョット好きじゃないんだなーという感想。これが”渋さ知らず”の場合だと上下の中に前後が加わる気がするから不思議だ。この差は大きくてチェックのみならず「イン」をプラスする。もとより「スカ」をあたまに持ってきている主張の表れであるのは理解できる。来年(2009)20周年になるということだけでも、見事。
海外での活躍も多い。挿入は海外のコンピ盤で、爽快な曲「スパニッシュ・ハッスル」(Thomas Gerry作)が1面の最後でさらっと聴ける。共演者(Malawi Rocks)の個性によって、緩和された新鮮な息吹を”発する”(?)という証左であろう。

2011年6月25日土曜日

大泉学園町

遠出の時は、殆んど自分は助手席で地図帳担当。
ことし4月(2007年)、上高井戸の環8、外回りから谷原交差点を左折し、外環に入るところを間違えて、1時間近くぐるぐる回ってしまった。
助手席のナビも老化、欠陥で、(もとより) これは致し方ない、の結果?。迷ったあげくのこの辺りが大泉学園町でした。
藤沢周平さんが1976年11月から20年間住んでいた場所です。この年月時、自分は既に水海道で、自分と周平さんが一番接近してたと思われるのは同じ清瀬市(町)に住んでいた1966年頃かと思う。自分は友人とケンカ別れする一ヶ月弱の短い居候でした。
今度このブックレットを読んでみて、周平さんの大泉学園町の日常と周辺の関わりが、掴め、身近な様相を改めて知らされ、またしても涙を蓄えてしまった。
《2007年6月26日(火)ノート》

2011年6月22日水曜日

つぶやき

《1980年6月24日(火)》
趣味が多いというか、とにかく次から次へと興味のあるものが登場してくる。一見、頼もしげな若者はそれらをことごとく吸収し消化しているようにみえる。
だが、それは本当に見えるだけなのかも知れない。
遊びの幼児性と、趣味の若年性が同居して、自然な生命力を妨げる環境であるように思える。
それは、物に恵まれすぎた環境や情報に汚染された環境かと思う。
安易に手に入る物は、たしかに自分で選んだもののようだけれど、TVの画面から容赦もなく雪崩れ込んでくる映像の平面的な無機性を孕んだワンタッチ化や、少年マンガ誌の夢見心地を払拭してしまった膨大な数のギャグの応酬化は、積極という言葉に含まれていた勇気とか決意とかの距離感を失わせてしまった。のか。

2011年6月20日月曜日

梅雨の晴れ間

の、ショット(2008/06/18)なのに、やはりぼやけた季節のぼやけた写真。これでも紫陽花です。貴重な時間をサイテみました。《2008年6月19日(木)ノート》

2011年6月18日土曜日

許されざる者

クリント・イーストウッドの作品と同じタイトルですが、やはり1960年のこちらが、好き。主演はバート・ランカスターとオードリー・ヘップバーン、そしてオーディ・マーフィが絡む。40年も以前に見たものを、新たに感慨を深めてじっくり見直した。そしてこれより約1ヶ月前に見た1956年作の「捜索者」と充分に重なるストリーである。これはジョン・ウェインとナタリー・ウッド、ジェフリー・ハンター。
どちらもインディアンを登場させて、西部開拓史時代の悲哀が盛り込まれる。乳児の時、助けられたカイオワ族のヘップバーンと、幼女時にインディアンにさらわれて数年後、先住民の美少女に変わったナタリー・ウッドという設定。人種差別と正義を嵩に着た高慢な勇気が、現時点では不均衡に映る。ハリウッドの娯楽作品だから、通用する時代のヒットにも支えられて描かれてしまった、先住民のたわいもない俗世界。不適切きわまる言動が飛び交ったりしても、ただ戦いの構図ぐらいの興奮で見終わってもいいのだろうかと、2009年のコメントは厳しくなる。
ネイティブ・アメリカンの、理解の届かない?世界を設定しては、ジョニー・デップの「ブレイブ」(1997年)で極まった感がある。貧しさに包囲され不気味に堕する幸せの飛沫を、大輪の尺玉から玩具の線香花火の距離感で、廃れた遊園地のメリーゴーラウンドに見立てた住み家の周囲を刹那で哀しく描いている。傑作です。別世界であるはずのマーロン・ブランドの日常の暗さも見事です。  《2009年6月18日(木)ノート》

2011年6月12日日曜日

夫唱婦随

おしどり夫婦というのだろうか。
Mad Duran(妻、サックス、フルート)と Eddie Duran(夫、ギター)のこのアルバムでは、メドレーで「マイ・フェイヴァリット・シング」と「テイク・ファイヴ」が出てくる。奥さんの”口癖”が多少気になる吹奏だが、和気合いあい、平和な気分になること必至!おまけのような嬉しくも、痛快な演奏です。ジャケット写真ほど、派手ではない。
1980年、Aurex Jazz Festivalで  Benny Goodman Orchestraの一員として、エディさんは来日を果たしている。   《2007年6月12日(火)ノート》

2011年6月8日水曜日

大作

長いだけじゃ疲れるだけだし、興業を見込んで、それなりのお膳立てもあるが、だいたい史実ものがテーマに即応されることが多い。先日見た「コールド・マウンテン」もそうしたスケールがうかがえる。自分の記憶が乏しいので、単純に思い出せるのはケビン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブス」とトミー・リー・ジョーンズの「ミッシング」、そして古くはオードリー・ヘップバーンとバート・ランカスターの「許されざる者」が、人種差別、内戦(南北戦争)などの共通項で感銘を受けた、自分好みの”大作”である。「コールド・マウンテン」にも、似た感慨が浮かぶ。いずれにも殺戮はあるが、例えば「ブレイブ・ハート」や「麦の穂をゆらす風」(時代の時間差は大きいが)の、イングランド特有の拒まれそうな、もやった障害から、はるか離れた彼の地・アメリカの障害は、まさに牧場の”囲み”ほどの緩さと自由への憧憬が描かれて、逞しさが前進に転じる速さがつかめる。風土が成せるのか、或いはあまりにも大きな民族ゆえか、そのカオスの混濁で、ゆく末のシンプルな希望が想われる。寸役?でナタリー・ポートマンが出ていたが(とても大事なエピソード)、エンド・ロールで確かめないと、見逃してしまう。この翌年「クローサー」で燃え?アップ・デイトする。振幅レンジの大きさ、愉快な感服。ジュード・ロウのファンになってしまった昨今です。  《2008年6月8日(日)ノート》

2011年6月6日月曜日

道草

ジャズとのつきあいが一番長く50年近く、それ以外の話題は“寄り道”に値する。 地方都市?で「ジャズ喫茶」をやったことがあるせいで枠の幅を広げなくてはならない事情もあった。その愛想の良さで新しいものに出会えた。しかし単発であったのは仕方がない。つてはジャズのみなのだから。(注。音楽に関しての許容で、他には映画も絵画も、小説も興味アリ)、その単発が「マトゥンビ」なり「ムーディブルース」や「ケイトブッシュ」「ニナハーゲン」であったか。高校生、大学生に限らず、若者に教えられたり、応えたりの昭和50年代後半に至る“4年未満”のきらきら輝く時間だった。 先日「友川かずき」がテレビで“知ったこっちゃない”を、連発してたように思う。たしかにそうだ、寛容も許容も絶対必要です。「利」に拘らなければ、周囲に自由を与える余裕は、自分のつよい執着心より生まれる。ニナ・ハーゲンを聴いてみようよ。戸川純もビョークも吹っ飛ぶことうけあい。(rikaぼうさん敬意、1979年代啓発) 《2007年6月6日(水)ノート》

2011年6月4日土曜日

疎いの筈が

4月(2008年)の末に、気負って?携帯音楽記憶機器?を購入した。アイポッドのようなもの類 ですが。果たして詰め込み出来るだろうかと期待も込めながらの手探りだったが、初めはファイルやフォルダの制約などで拒まれていたのに、この頃はやっと曲数を増やすことにも成功した。容量はまるで超えていないのだけれど、取りあえずの200曲ぐらいをシャッフルで聞き流している。ヘッドフォンでの“直聴き”は、特別な粧いと小粋を醸しだし、新しい発見(聴)を引き出してくれる。構えていたときに、パスしていた“流し”の部分に「みちくさ」を経験した。こんな、いい曲があったんだと!  一つは、ジョージ・マイケルの[Do You Really Want to Know]、そしてもう一つ、カッコよくてたまらないアール・クルーのこの季節ピッタリの[Return of The Rainmaker]、どちらかというとのどかな感じの演奏が多い、アール・クルーがここでは獅子奮迅のプレイで、短いながら強烈なソロのマイケル・ブレッカーを誘い出す。 ながら状態でも、こんな演奏を少し大きめの音量で聴くと思わず、身体が前のめりになるし、心が高揚してくる。  いつでも、何処でも気軽な音楽が瞬時に耳元で、「活」をささやいてくれる。《2008年6月4日(水)ノート》

2011年6月1日水曜日

大失敗

 貯めこんだ(録画)ビデオが3本あり、消化(再生)しようと思いスタートさせたが、青いままの画面で紛れ込んだ音声が微かに聞こえるだけ!あとの2本も同じ結果。まいったなあ、マイルスの4週間分がそっくり抜けてしまった。山田太一も河瀬直美も消えてしまった。5月の初めに機器類の配線し直したときに「ミスッた!」ようだ。自業自得だ。バックパネルを見つめ直し、端子の一個一個を確認し、レックアウト再生までに半日以上、費やしてしまった。
確かに、便利は複雑に絡んでいるよ。年々難しくなる。
1970年代中頃、写真屋に勤めていた。知り合いの客に頼まれて、フィルムの装填をした。数日後、軽井沢から帰ってきた客にプリントを頼まれたが、”仰天した”、くるくる空回りの音がするだけなのだ。巻かれてなかった。彼女(客)は被写体に向かって、何度も何度もボタンを押してきたのだ。すごいことを、大きい罪を感じた。謝罪ですむのが辛かった。
彼女は、写真屋以前の一緒の職場ではチラシのモデルもしてくれた快活、明朗なグッドルッキンだった。その後ミューズにも来てくれた。感謝のしようがない。
複雑に絡むのをシンプルに抑えた、すっきりした性格の女性になった、更になった、と実感する。会いたいね。30年以上も昔のことだ。 《2007年5月31日(木)ノート》