2010年4月30日金曜日
バリ
今朝も超微粒のバリコーヒーをレギュラー粉に加えて飲んだ。ネットで掬い上げた方式では(インターネットで調べた)?、即ち沈殿させるやり方では味わえる余裕を自分は持てないのを確認できた。これは環境の違いがいちばん大きいかも知れない。そして我が身のキャパの在り方が、不足しているのだろう。
2010年4月29日木曜日
ちょう~ハチ
「蝶」かと勘違いも甚だしい、「蜂」でした。ジャズを聴くのさえ、クルマの中だけで、それ以外は集中して映画を見ている。こんな時間は、これまでなかった。そして面白くてたまらない。「ナイロビの・・」実はタイムテーブルを見たとき、「・・」は「蝶」だと思っていた。そのままネットで探ると「蝶」のまま間違えたコメントをブログでだしているのさえ見つけることが出来る。同類の感染です? さて「蜂」であるが、ドラマの中で何度も蜂が出てくるので(言葉で)、理解は出来るが、ナイロビからつながるイメージを勝手に連想させて蝶を育てていたことになる。これはとんでもない(素晴らしい)映画で「ペリカン文書」のような桁外れの問題を孕んでいて、人種差別と、その貧困から連鎖する社会問題を、俯瞰する権威の良識的な見解が利益に偏っていることを指摘された内容だ。大局的にとらえると、事実を覆すことが発展途上国にとって益をもたらさない結果を導くことになるので、ことの始末は主人公2人(レイフ・ファインズとレイチェル・ワイズ)の男女が美しい大自然の中で消えてゆく運命になる。観点を変えると、純愛もので?か(静かな外交官レイフ・ファインズが艶なる活動家レイチェル・ワイズにより渦巻かれる)。アフリカの素朴さが極めて印象的。市場も、砂漠も、人々も、ドキュメントのように繰り出されて感動を呼ぶ。・・・・・怒りも訴求も、繰り出す言語の推敲を重ねる時間のうちに進路を変えて、まっとうな反映に到達できる。さますことで生き延びることが出来る。フォトは、秋でしたので、残念ながら、バッタで代打。(2008年4月27日記)。
2010年4月28日水曜日
情報音痴?
Claudette Sierra“クローデット・シエラ”?
昨年4月19日(水)つくばカピオで聴くことができた。幸運としかいいようがない、大物アーチストなのである、なのに何故か日本でのソフトの発売はない。だから公演そのものが不思議なのです。閑散とした会場になるのは仕方がない。
宮前幸弘(ピアノ)、工藤精(ベース)、三浦邦彦(ドラムス)のバックでラテン、サルサ、ボサ・ノバを熱く、歌ってくれた。
手作りコンサートのようになってしまったけれど、端麗な容姿とともに、のちのちリサーチしてもよい逸材と認識している。
本物をもとめる方におすすめできる!
昨年4月19日(水)つくばカピオで聴くことができた。幸運としかいいようがない、大物アーチストなのである、なのに何故か日本でのソフトの発売はない。だから公演そのものが不思議なのです。閑散とした会場になるのは仕方がない。
宮前幸弘(ピアノ)、工藤精(ベース)、三浦邦彦(ドラムス)のバックでラテン、サルサ、ボサ・ノバを熱く、歌ってくれた。
手作りコンサートのようになってしまったけれど、端麗な容姿とともに、のちのちリサーチしてもよい逸材と認識している。
本物をもとめる方におすすめできる!
2010年4月26日月曜日
意欲作?
《1970年4月27日(月)》
宮間利之とニューハードの「パースペクティブ」を聴いた。
「直立猿人」はC・ミンガスのオリジナルで有名。 ここでは前田憲男が編曲している。オーケストラなので原曲よりも迫力がでている。 短くまとめたのは、LP自体の制約であろうか。(CDはまだない時代) 「振り袖は泣く」山木幸三郎のオリジナル。 テーマが日本的な かわいさが出ていて 小さくまとめられた感じ。 実際は、10分ぐらいで もっとモーダルに発展させてもらいたい。
「アフリカ」はコルトレーンオーケストラと同じ楽器群であるのは不利である。 高見 弘の編曲もまともすぎて、フリーブロウの場を作ったのは、如何にも今日的であるという観念を加えたにすぎない。 エリック・ドルフィ編曲のコルトレーンのソプラノで始まる原曲には(?当然)かなわない。 ニューハードのソプラノ[市原宏祐]が悪いとは言えないが、ソプラノを使用する意味がないのではないか。 コルトレーンの場合はオリジナルだが、カバー他では、それ以上の新しさを生まなくてはならない。 テナーサックスで演じた方が、またはアルトとかの方が良かったかと思う。 そしてもっと野性味を出して欲しかった。
2010年4月20日火曜日
時代劇ファン
《2007年4月19日(木)》
先日、鬼平特番を記したが、昨夜間違って消してしまった。現在の能力では再生できない。アルコールを加えて勢いが増すときと、逆に集中度が損なわれるときがある。「ちょうし」にのってしまったのだ。
TV版「あかね空」をみた。遠藤憲一がまたも仇敵を演じていた。デビュー当時の石橋蓮司は衝撃的なチンピラ役だった、その線から“エンケン”は出発、同様の拡がりに至る俳優となる可能性を感じている。
山本一力のこの作品、計算ずくめの愁嘆場と台詞で解決に向かう、そのハンカチ場面の的確な照準に乗せられるのだが、涙が飛ぶほどの勢いではない。映画を見るまでもないか?と思う。
TV版「あかね空」をみた。遠藤憲一がまたも仇敵を演じていた。デビュー当時の石橋蓮司は衝撃的なチンピラ役だった、その線から“エンケン”は出発、同様の拡がりに至る俳優となる可能性を感じている。
山本一力のこの作品、計算ずくめの愁嘆場と台詞で解決に向かう、そのハンカチ場面の的確な照準に乗せられるのだが、涙が飛ぶほどの勢いではない。映画を見るまでもないか?と思う。
2010年4月17日土曜日
好きなモノ
は、ジャズなのに何故か食指を動かすものに、この頃出会えない。アンテナが古くなったせいなのかと自問自答してみるが、図書館でスイングジャーナルを借りて、レビューを読んでみても、以前のような刺激にぶつからない。やはりアンテナの寿命なのかなどと勘ぐってもみる。 それは不確かながら、沈滞期に業界が淀んでいるとしか思えない。M・オンプラスやら、ミュージックシャワー、&MTVとポップス系のケーブルテレビの多彩な拡がりから推して測ると、ジャズの展開のあり方が、鈍行でニュースターの窓口さえ営業の厳しさから狭き門になっている。ちょっとこの間まで、踊れるジャズのような70,80年代(当時、日本では)には見向きもされなかった傾向のものに脚光を浴びせたのが単なる流行であるかのような身変わりだ。そしていつもの如くのスタンダード中心だ。B級というジャズがあっていいんだ、自分の好みで擁護したい。
・・・で、今年になってからずっと映画をみている、洋画を多く。地上波には絶対乗りきれない類が多々あるのが確認できる。しかも評価の乏しいものや知られざるものがプログラムを埋めている。邦画も含めてそのケーブルテレビの雑多なアピールに接すると、ジャズの咆哮や絶叫が薄らいで聞こえてしまう。前衛とかフリーとかで喧々ごうごうの時代があったことを忘れずにふり返りたい。「題名のない音楽会」で佐渡裕さん率いるウインドアンサンブルが素晴らしい鳴りを誇るも、O・コールマンの「ブロークン・シャドウズ」の泣きの影で垂れるのがせいぜい、凄さとか、本ものとか、あらゆるジャンルで行方の末を追っている。《2008年4月15日記》。
・・・で、今年になってからずっと映画をみている、洋画を多く。地上波には絶対乗りきれない類が多々あるのが確認できる。しかも評価の乏しいものや知られざるものがプログラムを埋めている。邦画も含めてそのケーブルテレビの雑多なアピールに接すると、ジャズの咆哮や絶叫が薄らいで聞こえてしまう。前衛とかフリーとかで喧々ごうごうの時代があったことを忘れずにふり返りたい。「題名のない音楽会」で佐渡裕さん率いるウインドアンサンブルが素晴らしい鳴りを誇るも、O・コールマンの「ブロークン・シャドウズ」の泣きの影で垂れるのがせいぜい、凄さとか、本ものとか、あらゆるジャンルで行方の末を追っている。《2008年4月15日記》。
2010年4月10日土曜日
寒の戻り
去年は桜に接する時間を暖かい花見で味わった気がするのに、何故か今年は前後を、寒の戻りと春の嵐で挟んでしまって、自身は出かける気持ちを削がれてしまった。ま、単なる出不精というのかも知れない。世間は花冷えの頃、「バーバー吉野」とか「旅の贈りもの・0:00発」とかで癒し、和みの世界を見わたした。見わたせたかどうかは?で、“もたいさん”ばかりって感じがする「・・・・吉野」も、“とくながさん”に頼った感がある「?風町」(旅の贈りもの・0:00発)も、風情と旅情と人情の情緒に流された、レトロの溜まり場に堕している。救っているのは、前者が子供たちであり、後者は大滝秀治さん、樫山文枝さん、梅津栄さん等である。「・・・・吉野」は「かもめ食堂」に至る荻上監督のデビュー作で、この後の、もたいさんは“太極拳”もシリーズ化され、ずっと軽めになる。 比してとくながさん、(酷だけど)いい役をいただいているのに、浮いている感じは否めず、作品そのものが端から端まで照れてしまうことこの上ない。 今日、つかの間、図書館近くで、堂々の“花ぶり”を見たので、ちょいと挿入。[2008年4月 9日 (水) 記。]

2010年4月4日日曜日
ユーリズミックス
「素顔のままで」を見た。これだけだと判断に迷う。デミー・ムーア主演とまで出しても、原題からは曲解しかあり得ない、まさにB級を連想させる、タイトルの暴走だ。原題の意味シーン連続はおまけとしてもかなりおもしろ痛快なのは事実?と思うが、事件の発端が、そして中枢への絡みようが、大蛇の道を越えた“とぐろ、う”で、B級を証らしめた。それでも喝采。ダンス場面はアニー・レノックスの歌声が気勢をあげてフィチュアーされている。 2日前に「完全犯罪クラブ」を見た。これも邦題はペケもん。だがサンドラ・ブロック、これこそ素顔を見せているような、モノ・クローム状の刑事になっている。心理的軋轢の中で、トラウマを抱え、その奇行とのバランス感覚は高校生の純真?犯罪の刹那に食らいつく執心。 2作品とも、リラックスして見られたと言う印象。 デミー・ムーアとサンドラ・ブロックに改めて、執着。 (2008年4月3日記)。

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