
たいした作品ではないことが判明する、私見だから、抑える必要はない。もちろん涙が溢れたなどと言うのは、生理的なもので感銘の全てではない。 面白くないというのは、判らないに近くて、改めて見て時を置いた後で考察に値するものもある。(ジャズに多い・・・見直し術を優遇させているわけではない)。 ストーリーがよめる、意図がくみ取れる、などの感触や、匂いでは、☆の数がイントロ部分で決められる。・・と思う。「フラ・ガール」を見た。続いて「ウィニング・パス」を見た。同様の思い然り。 「フラ・・・」の放映番組の冒頭で李相日監督が、受賞作だからといって、話題作だからといっての先入感をを崩して見て欲しい。と述べていた。その通りだと思う。手元を放れた作品は、勝手に飛び出して羽ばたいてしまう。それも評価だけど、後々で真意が解明される事もある。即座の言葉の応酬、口げんかも、顔をそむけたそしり合いにも、悠長を避けたために、寂しい結果を招いてしまう(概ね世の中のありきたりの些細な茶飯事が、こんなもの)、要因であったりと。 「ウィニング・パス」は、結果は勝利を導くが、敗因のストーリーとして短絡に走った(文字通り)事故を、反省と回顧に視点を戻すシーンも加えるが、その描写は薄く、回復と矯正に注ぐ甘さばかりが見えすぎるかと。も。 「フラ・・・」における富司純子さんのいきなり登場のインパクトがさすが、最高!。(何故か後半そがれる気分)。 「母べえ」にも、興がそがれるところがあって,劇中劇?の船室シーンとバックのヴォーカリーズだった。(2008年2月6日記)。
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