2011年11月14日月曜日

なみだ

《1979年11月14日(水)》
親父が死んだのが、昭和39年だからもう15年も経っている。直腸がんで、臨終時には既に意識が全くなく、枯れ木の如き、朽ちて息絶えた。ぼくも馬鹿で、こらえて涙の一滴すら眸に滲ませることなく、淡々と親類縁者の中にいた。それが何故か、葬式の日には菩提寺にて読経が進められた途端に、次から次からこみあげてくるは、熱い涙がとめどなく、嗚咽を抑えるのに精一杯であった。没日が5月25日だから、26か27日のことだったのであろう。それでも親父の見事な死にように、感激を混濁させてぼくは不貞な人間だったようである。
しかし、親父はぼくの中に在って、ずっと生きていた。死後も何度となく夢の中に現れて、不思議界を作っていた。5,6年はまちがいもなく、夜の訪問者であった。・・・・・当時はまだ、土葬で高く盛られた砂山が棺箱の腐敗と共に、一気に崩壊し、平たくなったと同時に、勇ましげな魂も消えたのだろうか・・と思ったりして・・・・・その後ぷっつり、ぼくの夢の中に登場することはなくなって、死んだ親父と生きているぼくの間の、悩ましげな父子関係やら、さまざまな因果関係を払拭してもいい許される時間を得たと思っていた。
春秋のお彼岸に帰ることもしないし、お盆や命日に墓参に帰ることもしないし、田舎の身内から見れば、バチあたり者だろうと思う。もちろん、田舎では毎日、または毎月の命日(25)には、仏壇を清め、それらしく燈明を点し・・・・・常に胸の裡に於いて、供養することは不可能だから、毎日の形式的な繰りかえしによって、不徳な面をカバーしていると思うのだが・・・・・それさえ避け拒み、もういつでも親父を超越することのみに、餞が本当の意味であるのだと信じ込んでいた。
これからも、ただ意欲的に、前向きで生きることすらないと思うのは、死んだ父、元気な母に対する、または自分の広い周囲に対する、愛しみである。
それほど、大仰に構えずとも、父のことなど忘れていたのである。
それだからこそ、夢の夢たる由縁があると思うのだが、昨晩何故か、そっと忍び寄り真っ暗なスクリーンに親父が戻って来た。幼い頃、親父が頭を丸刈りにしてくれた。そんな想い出ゆえか、夢は・・・・・長めの髪をみて、襟足部をカットしてくれて『髪が伸び過ぎて煩わしかろう・・・』ほどの言葉を(憶えているのは)放って消えてしまった・・・・・親父がしてくれたのは、バリカン専門だから鋏のシーンに登場するのは、へんてこであるけれど前述の如く、夢たる由縁だからいいとして。
どうして今頃、親父が夢に出てきたのであろうか。関連したものは近頃、何にもないし、と思うのだけれど、親父のまぬけめ。あほ!

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