2011年11月27日日曜日

バンドブーム?

テレビで11回目の「おやじバンドバトル」を見た。趣向はバンド決定戦で類似な基準で重なっているが、4,5回ぐらいは見ているかも知れない。そして段々つまらなくなってきている。ユニークで個性溢れる音楽を楽しむ形体がどうも、似たようなパフォーマンスを引き継いだり取り入れたりの履修が形骸化しているかのようだ。少し前には50から70代のビッグバンドや吹奏楽延長のバンドや女性だけのロックバンドとか多彩な内容だったのに、元気な40代に占領された感じがある。僅か8バンドの紹介であったが、全国各地にはアマチュア・ミュージッシャンが、むんむん悶々している。ちんどんのようであっても、ださいであってもそれは楽しい。
2005年12月、上野公園の美術館前で一人で打楽器やサックスや和太鼓やらを演奏している、何人かを見た。それは鍛錬でもあり、学費稼ぎでもあり、コミニュケーションをはかる留学生?でもあった、そのプレイはテレビの画面よりも稚拙ながら熱いメッセージが伝わったのは紛れもない。12月5日の東京都美術館は混雑でゆっくり鑑賞することは叶わず、片隅に置かれたベンチでどうにか睡魔を抑えた。
《2007年11月26日(月)ノート》

2011年11月23日水曜日

都下、奥多摩

宇都宮で挫折して(すぐ、挫折する)、実家に戻り7月後半のお祭りで癒されたら、もうゆっくりしていられない、当然のこと。就職せねばと夏の暑い盛り、都内方面をバス、汽車、電車を乗りつないで探し回った。現在のような、折り込み広告は全くない。職安と、虫眼鏡で探すような新聞の小さな小さな三行広告(もちろん大きいスペースもある)が頼りだ。高卒後の初めての夏、苦節の始まりであるのは確かだ。家業は、製菓・菓子小売業の、僅かの縁で京橋にある大きな会社の、多摩営業所に入った。パン屋である。工場は他にあり配達の中継点としてそれは拝島にあった。初めは、パンの仕分け作業、夜勤だった。次いで、助手席での配達業務、そして事務所での仕事、3年有余で製造以外は全てこなした。配達での運転手は、専門の運送会社で、強面もいれば、偏狭もいてと、配達先のお店の人との多彩な表情の受け答えは、まさにそれぞれの模様で、いくら掴んでもとらえきれない量で押し返してきた。めまぐるしい変わりようなのに、この地の取り残されるさまも見える。やはり、過疎であるのは否めないし、時間の進みようが、やはり秀逸、と讃えてしまう。この往路、復路が楽しかったのは言うまでもない。 先日11月14日、日の出町の「イオンモール」に、紅葉狩りの帰りに寄った。入れるわけがない、今日23日がでっかいオープンなのだった。  往時、砂利道も多く、周囲を隔てるものは、樹木やはるかな里山ばかりなのに、今は、その後にそそりたつ建物さえみえて狭さを感じる滝山街道。その滝山城跡辺のモノクロを一枚挿入。《2007年11月23日(金)ノート》

2011年11月20日日曜日

紅葉狩り

東京、三多摩に拠点をとっていたのは1960年代中頃から70年前半の僅かな時間でそれは、昭島、清瀬、分倍河原、東府中と引っ越しと転職を繰り返した10年足らずの一人暮らしであった。そして、職場は、拝島、初台、五反田、渋谷松涛、神楽坂、武蔵野台と変わった。特に松涛の時は、出張作業が多くそれは都内(道具箱を抱えて電車で行く)のみならず関東近隣、長野、新潟までの多岐にわたり楽しいものだった。まあ体のいい"パシリ"ですが。  運転免許なしだから(助手席やらトラックの荷台やら)、このうえなく観光気分で?   11月14日(水)の奥多摩湖までの回遊コースは、まさに復刻版のようだった!とは言え、思い出すだけで、"うるるん"するものは何もない。体の中に記憶がよみがえるのみで、なるほどと納得するだけ。40年は全くの空白ではなく、間は埋めるように、少しは高尾や八王子、御嶽山と訪ねたこともあった、そのせいだ。 今回、紅葉の季節にであえた。《2007年11月17日(土)ノート》

2011年11月19日土曜日

界面

《1980年11月19日(水)》
上に兄がいて、下に妹がいて、それがぼく(この時36才)の兄妹だ。2人とも既に結婚している。独身主義者ではないから、ぼくの現在は情けない境遇のように思えて悲惨な気分になることも、たまにはある。
たまに、というのは極く稀で馴れを多くしているから平気で満喫していられるのかも知れない。
妹も、今では母親で、幼い頃の様相はだいぶ影を潜めた気がする。特徴的な、それは癇が強いということだったか。もちろん酷い時には、癇癪を起こしていたわけだ。
かんしゃく持ちか、否かは不明だが、確かに癇の強そうな女性(!?)の絹裂き悲鳴を、この頃聞き始めている。
自己のペースを乱されそうな周囲の卑猥な純真さに、孤立した生真面目さが、浮き出したための、おののきに似た悲鳴だ。その声の反響によってまた惑溺している気配も続いている。
こうした罹病体質は、当然の・はしか・みたいなものかも知れない。
界面を支えるものは、たった1枚の壁であり、ガラスであり、自由を交歓するものは、スウイング機能を持った1翼のドアである。こちらを内界とすれば、そちらは外界。空気の流れに僅かの異は認められるかも知れぬが、概ね似た世界であることはまちがいない。
幻視と耽溺の異常さに依って、自由さを奪われてしまって世界そのものが、覚醒剤の如き効を発し、自転、反転、渦巻きなどの撹拌を繰りかえし自身のエゴのみが、受容されているような錯覚の恍惚感に沈潜するから、一種の罹病、かぶれが始まる。
危険分子の誘惑に、とまどいの甘えを見せる時に、そうした絹裂き悲鳴が漏れる。
みな、同じような経緯をたどっているわけではないが、陽性、陰性、或いはもっと複雑な人間がさまざまな形象を描いて、迎合、別離を演じている。
熱を移動するわけだから、どちらをも哀しみ、歓びの濃淡が、感情の谷間を無雑作に通過する。それを見つめることは、心を披瀝することなのではなかろうか。

2011年11月17日木曜日

健在

と言っても2001年のアルバムだが。アーチィ・シェップのことだ・・・
 最近はそれほどの追っかけ?(もちろん行動はしない)ではないが、7,80年代は新しいLPがでるたびに注目していた。ビル・ディクソン(トランペット)とのサヴォイ盤から、BYG盤の多作期、そしてインパルスの“時代”傾倒期、そして近年の豊満なアプローチと。 実はこのところのヴォーカルの多いことや、スタンダード曲のシェップ節に豊満を経て飽和に辿るのかと、小さい失望を潜ませていた。 が、2001年のこのアルバムは、僚友再会す、の感激新たなシェップ堂々の、演奏が繰り広げられる。変わったなと!思うサックスのサウンドもあるが、表現は素朴なかつてのグループサウンズそのものだ。ラズエル・ラッドのトロンボーンに、これまたグレチャン・モンカーⅢのトロンボーンとくりゃ、厚め、濃いめのシェップワールドです。「ワン・フォー・ザ・トレーン」の再現でしょうか、自身のピアノも入り、enja期の豊饒な表情も繰り出せて武骨でよりもどし、ゴリ押しのスタイルはワルクねえよな・・・という感じ。円熟というかもしれない。Jeanne Leeに捧ぐと記してある。なるほど・・・。アルバムタイトルはRoswell Rudd And Archie Shepp, Live in New York.です。  《2008年11月16日(日)ノート》

2011年11月14日月曜日

なみだ

《1979年11月14日(水)》
親父が死んだのが、昭和39年だからもう15年も経っている。直腸がんで、臨終時には既に意識が全くなく、枯れ木の如き、朽ちて息絶えた。ぼくも馬鹿で、こらえて涙の一滴すら眸に滲ませることなく、淡々と親類縁者の中にいた。それが何故か、葬式の日には菩提寺にて読経が進められた途端に、次から次からこみあげてくるは、熱い涙がとめどなく、嗚咽を抑えるのに精一杯であった。没日が5月25日だから、26か27日のことだったのであろう。それでも親父の見事な死にように、感激を混濁させてぼくは不貞な人間だったようである。
しかし、親父はぼくの中に在って、ずっと生きていた。死後も何度となく夢の中に現れて、不思議界を作っていた。5,6年はまちがいもなく、夜の訪問者であった。・・・・・当時はまだ、土葬で高く盛られた砂山が棺箱の腐敗と共に、一気に崩壊し、平たくなったと同時に、勇ましげな魂も消えたのだろうか・・と思ったりして・・・・・その後ぷっつり、ぼくの夢の中に登場することはなくなって、死んだ親父と生きているぼくの間の、悩ましげな父子関係やら、さまざまな因果関係を払拭してもいい許される時間を得たと思っていた。
春秋のお彼岸に帰ることもしないし、お盆や命日に墓参に帰ることもしないし、田舎の身内から見れば、バチあたり者だろうと思う。もちろん、田舎では毎日、または毎月の命日(25)には、仏壇を清め、それらしく燈明を点し・・・・・常に胸の裡に於いて、供養することは不可能だから、毎日の形式的な繰りかえしによって、不徳な面をカバーしていると思うのだが・・・・・それさえ避け拒み、もういつでも親父を超越することのみに、餞が本当の意味であるのだと信じ込んでいた。
これからも、ただ意欲的に、前向きで生きることすらないと思うのは、死んだ父、元気な母に対する、または自分の広い周囲に対する、愛しみである。
それほど、大仰に構えずとも、父のことなど忘れていたのである。
それだからこそ、夢の夢たる由縁があると思うのだが、昨晩何故か、そっと忍び寄り真っ暗なスクリーンに親父が戻って来た。幼い頃、親父が頭を丸刈りにしてくれた。そんな想い出ゆえか、夢は・・・・・長めの髪をみて、襟足部をカットしてくれて『髪が伸び過ぎて煩わしかろう・・・』ほどの言葉を(憶えているのは)放って消えてしまった・・・・・親父がしてくれたのは、バリカン専門だから鋏のシーンに登場するのは、へんてこであるけれど前述の如く、夢たる由縁だからいいとして。
どうして今頃、親父が夢に出てきたのであろうか。関連したものは近頃、何にもないし、と思うのだけれど、親父のまぬけめ。あほ!

2011年11月11日金曜日

はっぴぃ

《1979年11月11日(日)》
このところ何となくいい気分が涌いてくる。
過去をふりかえってみて想いだしたくないものも、多々ありそうであるが、数度代えた職場にも、それぞれの憤怒と闘いながらも、その都度ベストを尽くしていたことの、種々のトラブルや嘆きが、懐かしく胸にこみあげてくる。今、そんな感慨を導いてくれるものは、みつかいどうプラザの工事関係で、内装業者がここ(=MUSE)を訪れて、ほんの10年前当時の自分の姿を甦らせてくれるからである。あの頃は、出張やら、泊り込み作業等の毎日だった。日曜も、休日も無にして現場まわりだったのである。
何となく、いい気分・・・なのはそれだけではない。妬ましいといって拗ねてみたくなるのは、周囲が小春日和の晩秋の柔らかい陽射しにも似て、ほんのりおだやかな、そして暖かい雰囲気に染められつつあるからである。祝福も寄せて嬉しい気持ちである。
ほんの僅かな、我がままや難題をほふれば、ぼくにまつわる生活感覚は元来、おめでたく仕上がっている。
別離が複雑な煩悶や、屈辱の解析であるとすれば、出会いはなんとさわやかな恥じらいや、とまどいであることよ。初めが偶然とはいえ、そのきっかけは、常に伝説めいて思いの量を測るときに、確認のための里程標になる。人為的な、善意がからんでいたというよりも、そうなる全ての力に命が、からんでいたと解釈してもいいのではなかろうか。
これから、いい季節です。

2011年11月8日火曜日

Indian Summer

《1980年11月8日(土)》
小春日和(Indian Summer)の柔らかな陽射しの谷間に、またやって来たいやな季節。
寒いから、いやだというのではなく・・・もっともぼくには関係は乏しくなってきているが・・・・・季節の開閉時に訪れる悲喜交々の『年中行事』を迎えたという、自身の安易な期待感も混じっている。
就職とか、進学というのは、1個人の問題に留まらず、最小の社会を形成する家庭を基盤にしているからであろう。いや、多くは家庭より放たれて、家庭に戻るような考えを持っている。
俄かに持ちよった防衛問題に詳しい若者がいる。もちろん興味もあるのであろうが、この考え方をつきつめると、保守と安全に集約されそうな気がするのである。そして保全を成している根幹は、家庭にあるという無意識な潜伏観ではないだろうか。
音を一つの主張として、楽器を奏しているならば、テクニックやセンスはいくばくかの進展を望めようが、音楽に対峙する臨み様は、自身の精神性を越えることは、あり得ないと思われる。
価値観が多彩になり、溢れ出している世の中です。ものは考え方・・・かも知れない。だから、このままで良いと思えば、そうすればいい。(いずれ、ナチュラル・カーブで曲がることなど、予見することも出来ぬ) しかし、変えながら意識的な試みを施さないと、手の届かない真理のあることも事実だ。

2011年11月5日土曜日

表情

《1979年11月5日(月)》
饒舌と寡黙。そのどちらも豊かな性格をもっている。時には、陽気に、そして陰気に。ふだんから物静かな人が、急に喋り過ぎたり、逆に派手な人が黙りこんだり、そいう身辺事の変化は多くある。それぞれの問題を抱えこみ、悩みを負うて当然のことである。自分自身の問題ゆえ、操作しているのであるが(あるいは、感動とか、ショックのために自然そうなってしまう)、多くは饒舌なり寡黙に変わるのは、相手に与える不躾な威嚇である。威嚇でなければ、相当な照れであり、さぐりであろうか。沈黙は美徳なり、などの諺があるが、ともかくも饒舌も寡黙も、性格を超えて度を過ごし、故意や策意を顕著に明らかにしだすと、これは立派なお節介であり、なめらかな舌の回転のみならず、美徳といわれた貝の如き、固い閉ざし方にも罪なものがあるかも知れない。

2011年11月2日水曜日

それぞれ

《1981年11月2日(月)》
ある日突然、ジャズが好きになる。
そのきっかけは、千差万別であろう。
高校1年生が、ジャズを聴くのは珍しい。
いまでは、ジャズといってもフュージョンなども含めて考えているから門戸は開放的であるかも知れないが、主流派ジャズとなると、ポーズが優先しないと、或いは無理なのかも・・・・・。
その1年生が、トム・スコットの「タクシー・ドライバー」を聴いてから、のめり込むようになったという。マイルス・デイビスのCBS盤を集め、コルトレーンの「バラード」「至上の愛」をと。やはり抵抗はあり、スタッフやスパイロ・ジャイラに移行しつつある。・・・・・という。
それも納得。
快感というのが感触から導かれて、得られるものだと考えれば、より直接的なものが、POPS系、ロック、ジャズだと思うが、いずれの世界にもそれらの中に、安易な過程と終着駅をもったものが必ずあるということだろう。