《1980年1月13日(日)》
明後日は成人の日。(以前、成人の日は1月15日であった)
ぼくの、その日(成人の日)は、東京の昭島にいた時であった。その地に、通知が来たというのを全く憶えていない。田舎の江戸崎へは通知が来たという。幼馴染みやら、同窓生諸氏が揃って撮った写真を見せて貰ったことがある。もう懐かしさだけの顔ぶれが、ぎっしりならんで、似たりよったりの服装で、青春を認じている そういう時の写真である。鹿島神宮の木立が背に揺らいでいたと思うのである。そして、ぼくはそこにはいない。明治パン(株)という会社で、当日仕事の後、成人を迎える数人を同僚や先輩が祝ってくれて、一緒に食事をした、ささやかな想いのそれは、成人の日だったと記憶している。
別にどうってことのない、特にぼくにとってなんのことはない、訳知らずの通りすがりの1月15日だったのである。
MUSEを訪れる人の中にも相当の人はいるし、あと、2,3年ほどで、成人を迎える若さの人ばかりである。羨ましいばかりの若さの多くは、それぞれの家庭で、宝もののように育てられてきた大事な存在である。それらの純な若者にとって、成人とは形式的で、タバコを吸い、酒の酔いの馴れの内に、本人の自覚を見出すだけである。敢えて純な若者と言ったのは、目前の問題である、進学や就職のみに、関心が寄っていて、自分の生を充実させ満足させる目標物を失っていて、その反動で音楽も映画も、ほかの趣味も、また異性も、愛玩される僅かな数時間、数日、数週間、数ヶ月、数年間である気がするために、愛でる心に人間性がひどく押しつけが乏しく思われ、いい意味での、純な期間になっていると思う。・・・のである。

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