《1980年1月9日(水)》
ボクがC.Moさんに固執していて、記し続けるのは、書きたい気持ちもあるにはあるが、何よりも特異なケースとしてお互いが自認しながら喋り通したことによる、その結果、あるひとつのSomethingを見出した、そのことの当たりまえの人間らしさを、いろんな多方面に照準を合わせられると思うからである。
Moさんにとって、京都も、北海道も理想郷であり、その因を成すものは、異性であるとしても、即ち直に影響を受けていても、彼女の胎内で孕むものが大きくて、ひとつの命として表現されていることだ。ぼくは彼女の口からは直接異性の存在を知らされていなかったけれど、態度や口吻から察することは出来たので、それ以上の追求は避け、問題となっている部分のみを邪推を加えて話しまくった。
自分の心の中で恥ずかしさがあり、生ぐさく少しは思っている異性の友だちの有無を、ぼくに話してしまうことにより俗人化してしまうだろうと想ってしまった 彼女の等身大の偶像の背面に美しい真実があったと言える。
ぼくの思惑の中では、Moさんがどんな風に砕けても、イメージも実像も崩れることは絶対ないのである。全てを看過して横容に構えるという立場を深く知らされたという因果な気持ちもまるでない。
影響も感化もその人に相応しいものだけ受け入れ、消化されている間には、生ぐささはない。Moさんが自分自身をあたり前の女性として表現してしまうことに、ためらいがあったのは、ただ異性の友人がいたということと、感覚が等しく類似していたことの親近性に、自分の個性の欠如だと錯覚していた、それだけの恥ずかしさでしかなかったような気がする。胎内で孕み育まれるものは、既に 生そのもので、新鮮なそのもの自体の息吹をぷんぷん発散させるだけである。その豊かな個臭には、愛しさがついてまわる。
そのMoさんのどんぐり眼から
涙が とめどなく落ちたのである。
ボクがC.Moさんに固執していて、記し続けるのは、書きたい気持ちもあるにはあるが、何よりも特異なケースとしてお互いが自認しながら喋り通したことによる、その結果、あるひとつのSomethingを見出した、そのことの当たりまえの人間らしさを、いろんな多方面に照準を合わせられると思うからである。
Moさんにとって、京都も、北海道も理想郷であり、その因を成すものは、異性であるとしても、即ち直に影響を受けていても、彼女の胎内で孕むものが大きくて、ひとつの命として表現されていることだ。ぼくは彼女の口からは直接異性の存在を知らされていなかったけれど、態度や口吻から察することは出来たので、それ以上の追求は避け、問題となっている部分のみを邪推を加えて話しまくった。
自分の心の中で恥ずかしさがあり、生ぐさく少しは思っている異性の友だちの有無を、ぼくに話してしまうことにより俗人化してしまうだろうと想ってしまった 彼女の等身大の偶像の背面に美しい真実があったと言える。
ぼくの思惑の中では、Moさんがどんな風に砕けても、イメージも実像も崩れることは絶対ないのである。全てを看過して横容に構えるという立場を深く知らされたという因果な気持ちもまるでない。
影響も感化もその人に相応しいものだけ受け入れ、消化されている間には、生ぐささはない。Moさんが自分自身をあたり前の女性として表現してしまうことに、ためらいがあったのは、ただ異性の友人がいたということと、感覚が等しく類似していたことの親近性に、自分の個性の欠如だと錯覚していた、それだけの恥ずかしさでしかなかったような気がする。胎内で孕み育まれるものは、既に 生そのもので、新鮮なそのもの自体の息吹をぷんぷん発散させるだけである。その豊かな個臭には、愛しさがついてまわる。
そのMoさんのどんぐり眼から
涙が とめどなく落ちたのである。

0 件のコメント:
コメントを投稿