2011年1月29日土曜日

一泊二日の・・・

昨日夜、左上から右へ①マグロ切り身煮付け&細いピーマン?②ほうれん草おひたし、左下から右へ③白飯④肉じゃが⑤いちご














本日朝、左上から右へ①スクランブルエッグ②缶ジュース、左下から右へ③パン④はちみつ&マーガリン⑤ポテトサラダ

2011年1月25日火曜日

相変わらず

年賀状が遅いのは当たり前!一昨日、今年も例年通りようやく届きました。(尚、これはずっと過去の、うさぎ年です)。

2011年1月20日木曜日

ヘッズ対ブラッド

《1982年1月20日(水)》
トーキング・ヘッズとジェームズ・ブラッド・ウルマーの差は、その洗練さやセンスにある。センスは画一化したものではなく、各人各様に表現しうるものだと思っているが、その幅広い豊かなセンスを理解しないと、初歩の段階でストップしてしまう。
洗練と猥雑という言葉は、まるで相対していて全く、正邪のような響きを持っているが、どちらにも対象によって描き分けられる要素がある。
身近な例により注釈を加えると、漫画のあだち充と山上たつひこだろうか。それは描写力ばかりではなく、ストリィそのものが、洗練さと猥雑さに溢れているのである。どちらがいいかというと、支持する側の力量でもある気がする。

2011年1月17日月曜日

T.H.&J.B.U.

《1982年1月17日(日)》
トーキング・ヘッズは洗練さを、1歩前進させたグループだと、初めは感じた。最初聴いたとき、リズムの力強さなどは、たしかにニューヨークの知性という敬称が、かなり当を得ていると思った。ところが聴き慣れると、かなりと言えるか、これが律儀なグループサウンドであることが判る。時代が欲していた、ソウルフルな味付けで、多面的無味乾燥都会生活空間に食い込んでいくわけだ。そこにどんなアピールが盛り込まれていようが、ミュージッシャンの内面的相克が音を通して描かれている訳ではない。
ジェームズ・ブラッド・ウルマーの凄まじさは、新しい寓話なのであろうか。

2011年1月12日水曜日

成人の日

《1980年1月13日(日)》 
明後日は成人の日。(以前、成人の日は1月15日であった)
ぼくの、その日(成人の日)は、東京の昭島にいた時であった。その地に、通知が来たというのを全く憶えていない。田舎の江戸崎へは通知が来たという。幼馴染みやら、同窓生諸氏が揃って撮った写真を見せて貰ったことがある。もう懐かしさだけの顔ぶれが、ぎっしりならんで、似たりよったりの服装で、青春を認じている そういう時の写真である。鹿島神宮の木立が背に揺らいでいたと思うのである。そして、ぼくはそこにはいない。明治パン(株)という会社で、当日仕事の後、成人を迎える数人を同僚や先輩が祝ってくれて、一緒に食事をした、ささやかな想いのそれは、成人の日だったと記憶している。
別にどうってことのない、特にぼくにとってなんのことはない、訳知らずの通りすがりの1月15日だったのである。
MUSEを訪れる人の中にも相当の人はいるし、あと、2,3年ほどで、成人を迎える若さの人ばかりである。羨ましいばかりの若さの多くは、それぞれの家庭で、宝もののように育てられてきた大事な存在である。それらの純な若者にとって、成人とは形式的で、タバコを吸い、酒の酔いの馴れの内に、本人の自覚を見出すだけである。敢えて純な若者と言ったのは、目前の問題である、進学や就職のみに、関心が寄っていて、自分の生を充実させ満足させる目標物を失っていて、その反動で音楽も映画も、ほかの趣味も、また異性も、愛玩される僅かな数時間、数日、数週間、数ヶ月、数年間である気がするために、愛でる心に人間性がひどく押しつけが乏しく思われ、いい意味での、純な期間になっていると思う。・・・のである。

2011年1月10日月曜日

かぶれ

《1980年1月9日(水)》
生ぐさいといって、その臭気が鼻につき悪寒を覚えるのは、生から死へ移るときの状態だったり、既に死して後に発せられる匂いである。しかし、死は何でも生を得ているものには、必ず訪れるものであり、、その死臭もさまざまであろうと思う。純なものほど、優しい臭気の悪寒を与え、生を帯びていた時を、気持ちよく快諾させるものである。
生ぐささに不快感を禁じ得ないのは、そのものの持っている生の匂いを失って、影響というよりも、、虎の威を借りた程度の溺れ方で、汚濁した異臭を発するからだ。異臭というのは、そのものから当然発せられるものを越えて、別なものを感じてしまうことだろう。
所謂、かぶれなのである。

2011年1月9日日曜日

固執

《1980年1月9日(水)》
ボクがC.Moさんに固執していて、記し続けるのは、書きたい気持ちもあるにはあるが、何よりも特異なケースとしてお互いが自認しながら喋り通したことによる、その結果、あるひとつのSomethingを見出した、そのことの当たりまえの人間らしさを、いろんな多方面に照準を合わせられると思うからである。
Moさんにとって、京都も、北海道も理想郷であり、その因を成すものは、異性であるとしても、即ち直に影響を受けていても、彼女の胎内で孕むものが大きくて、ひとつの命として表現されていることだ。ぼくは彼女の口からは直接異性の存在を知らされていなかったけれど、態度や口吻から察することは出来たので、それ以上の追求は避け、問題となっている部分のみを邪推を加えて話しまくった。
自分の心の中で恥ずかしさがあり、生ぐさく少しは思っている異性の友だちの有無を、ぼくに話してしまうことにより俗人化してしまうだろうと想ってしまった 彼女の等身大の偶像の背面に美しい真実があったと言える。
ぼくの思惑の中では、Moさんがどんな風に砕けても、イメージも実像も崩れることは絶対ないのである。全てを看過して横容に構えるという立場を深く知らされたという因果な気持ちもまるでない。
影響も感化もその人に相応しいものだけ受け入れ、消化されている間には、生ぐささはない。Moさんが自分自身をあたり前の女性として表現してしまうことに、ためらいがあったのは、ただ異性の友人がいたということと、感覚が等しく類似していたことの親近性に、自分の個性の欠如だと錯覚していた、それだけの恥ずかしさでしかなかったような気がする。胎内で孕み育まれるものは、既に 生そのもので、新鮮なそのもの自体の息吹をぷんぷん発散させるだけである。その豊かな個臭には、愛しさがついてまわる。
そのMoさんのどんぐり眼から
涙が とめどなく落ちたのである。

2011年1月8日土曜日

まだ拘泥

《1980年1月8日(火)》
大晦日に、C.Moさんと、幼馴染みだという2人の女性が来た。ぼくが知っているのは、Sueの方であるが、中学、高校と一緒のクラスが多かったという、Sueともう1人の吉田さんの話を聞いて、本橋千寿子さんのMUSEで語られていた内聞と、ごく親しい友人たちの間で交わされていた外聞に、自然なギャップがあって、初めて内緒めいた彼女自身の小さな醜聞を耳にすることができた。その醜聞はボクに当初から予見出来た余剰で、空いていた紙面を埋めるには格好で、人間らしい生の、とまどいで、大いに感心できた。
京都も、北海道も、全てそうした時間の内に、理想化されていったのであろう。

2011年1月3日月曜日

冷蔵庫

《1981年1月3日(土)》
暮れから正月にかけては、故郷で過ごすことが多い。それは、大晦日には年越しそば、元旦には雑煮という、面倒な習慣が控えているせいでもあろうか。どちらの食べ物も、簡単で手軽なものには違いないのであるが、風習として攻められると、自分の手で整えることの煩わしさを感じてしまう。行事の中に、ただ置かれることには抵抗はないが、自身がその一端を担わないと、同じ雰囲気に浸れないというのはつらい。
なにせ、ぼくは独り者なのである。
というわけで、年越しそばもなし、雑煮もないという、いくぶん淡白な1980年から1981年への交代であった。
もっとも、食べ物の習慣は、かたちだけのものだから、大して拘るものは何にもないのだが。

と思っていたら今朝から、妹や兄や母から、正月がわんさか届けられて、小さな冷蔵庫は、いっぱいになってしまった。豊かさの反動も身にしみてつらく感じる。