2011年5月5日木曜日

故郷

《1982年5月5日(水)》
故郷が水海道だという人が、たまに帰ってくる。ぼくにも歴然とした故郷がある。そこは、ごくたまに顔を出し、懐かしの風に触れればいいだけの場所。まちがって頓死でもすれば、亡父と一緒のお墓に入れてもらえるというだけの故郷。・・・場所。
高校卒業まで、故郷(江戸崎町)で生活し、その後現住所を転出、転入のくりかえしで、昨年(1981年)本籍を新たに設けた。ふるさとが出来るかも知れないということか。しかし故郷を水海道として感じるのは、ぼくではないだろう。妹は、警察官を職とする人に嫁いだから、同じ土地には長くはいないし、生まれた子供も記憶として残る場所は、いまのところないに違いない。安らぐ場所があるのはいいことかも知れないが、その小さな場所に拘泥するのは、釈迦佛の掌中で、胡坐を組むようなものなのでは・・・・・。帰巣本能がはっきりしているから、精いっぱい頑張れるのだという論法は、いっぱいという枠内に安住する、抑制する気持ちが、潜在し、柔和で、しかも勝手な気負いを育てているような気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿