2011年5月28日土曜日

対立

対抗心など抱かなくてもいいのに、ちょっとばかりしゃかりきになって、良くない傾向だ。自分が定年に充分な年齢になった事は事実であり、立場を支えるのに自らの処遇や、自身の諦観というのもある。不満ではないとしてもその発信に途惑う。単なる思いつきだったのか、或いは高齢者を啓発する狙いか、その辺りは現状の職場では確たる思惑を掬い上げることは出来ない。高慢ながら、自分より下位の線で苦慮しているのは明らかに見える。しかしバトンタッチの域に差しかかっている時期、シンプルに譲るという堕落の心境を披露するしかない。その本音を問われていても真実を吐露する責務は皆無。で、沈思黙考をきめるか、と、拗ねてみせるか。《2009年5月27日(水)ノート》

2011年5月25日水曜日

キクハル

よもやと思ったが検索のワイド性にびっくりした。
 小学生の頃、今から50年以上も昔のことだ。寛ぎの娯楽といえば、ラヂオで、6球スーパーマジックアイ付きナナオラ製の緑の「瞳」(マジックアイ)を絞り込んで選局して、浪曲を聴いていた。AMだけで、FMが始まる10数年も前になる。広沢虎造、玉川勝太郎、寿々木米若とかが、当時著名であった。が、親父の好みがうつって、「広沢菊春」に惹かれた。同じ広沢でありながら、虎造一派とは異なる表現をしていて、所謂、浪花節から派生した“うなり”や“だみ声”に偏らない“ささやき“や“小声”、そして語りを主軸に据えるパフォーマンスは、形体として群を抜いていた(人気はマニアックで狭小だったかもしれない)。異端でした。正統派では、木村若衛のデビュー時、木村重行の渋さが、耳の記憶にある。
 とんでもない“検索万能”時代に出合って、広沢菊春も、木村若衛も一瞬にして手元に近づく、便利に攪拌される、今日この頃なり~い、一編の終わり~い~。
 本日、親父殿の命日なり~い。 《2008年5月25日(日)記》。

2011年5月24日火曜日

口舌

《1981年5月24日(日)》
口だけなら、何でもうまい事言える。いくら精神がしっかりしていても、肉体的な衝動には耐えられないのではないか などと経験の乏しい面については多くの不安を抱いていた。そしてそれは、興味のいちばん強い対象だったのである。男なら、当然と言えそうな感覚で捉えられる興味。しかし、女には変化をもたらす要素を含んでいたと考えられる。いっぱしの責任を感じるという訳だ。となると、打算や計画的などの抑制を予め準備するから価値観などの複雑性を付帯させて誤解していなくもない。
精神が伴わなくても、行為そのものは、一方で呼吸するかという懸念だ。
だが、そうした予想を裏切って、心に溢れた1個の肉塊に化した自分の動きを顧みると、極めて誠実であることだけは充分にたしかめられた。

2011年5月23日月曜日

宝きょう

土浦からみて、筑波山の手前に宝きょう山という461mの山がある。低くても自身は登ることが出来ない。麓から、まずは仰ぎ見るだけである。

が、真似ごとは出きる。登山のふりをして散策の時間を作り、連れが戻るまでの優雅を味わうことにある。
5月21日(土)に、その宝きょう山周辺を歩いた。ここは北条米の産地、小田城祉の古跡などの多彩な明媚に恵まれている。

2011年5月21日土曜日

デビッド・マレイ

久しぶりの感激。
これは、すごい。
David Murray(ts・bcl)の重戦車のようなキリモミ状の音量。テクニックについてまわる豪快な連続音。
他の3人は
D.D.Jackson(p)キース・ジャレット、山下洋輔、ドン・プーレンを想わせる豊富な技量。
Willbur Morris(b)60才、ニューヨーク・ロフトの重鎮。
Mark Johnson(ds)演奏が端正。そして知的な表現。しかし、キレ味鋭利。

こんなに、すごいとは思わなかった。
脱帽。2時間で7,8曲だが、いずれの演奏も、変化に富み、しかも、うねるようなスイング感。文字通りニューヨークの息吹きといった曲想で、飽きることない深みに、浸透できた。

Shakill's WarriorShakill's Warrior
(1992/02/25)
David Murray

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これ以上のサックス・プレイヤーには出会ってない気がする、ジェームス・カーターにしても散漫な印象ばかりで期待できない。筆太、骨太なゴリ押しに見えて、実は繊細なバラード、バスクラ吹奏で変化をきたすところなど、たまらない魅力である。このアルバムの完成度は高い。《1997年5月24日(土)ノート》  デビッド・マレイ、つくばカピオで1997年5月23日。

2011年5月18日水曜日

森路、険しく

これは迷路だ、入ってしまっても容易に戻れない。まあチャレンジそのものが生き甲斐だったりするから。アンデルセン公園に隣接する、県民の森は、順路は木の根っこが凸凹浮いてる環境で、歩行も辛かったり?しかし帰ってきたけど、快適な汗とともに。(2007年5月23日、船橋県民の森)

2011年5月16日月曜日

押され気味

《1982年5月16日(日)》
言葉の巧緻さに、押され気味、綾に困惑されるのだろうか。25歳も過ぎ、青年の盛りに至る常識人の居直り度に圧されると、主張も湿りを帯びてくる。と弱音を吐きたくなるが、やはり、どこか違っているようですね。進化だと認めながら、軌道修正をはかっているが、結局、自己欺瞞に通じる甘受的環境に維持されているのだから、選択とは即ち、金銭感覚で手に入れるようなものだ。それを、まさか進化だなどと広言できまい。進化だ、退化だ、劣化だというのは問題ではない。ジャズが上等で、その他が下劣だなどと、口吻を揃える性癖も逆説めいていて、苦笑を誘う。
要は、好きであることの、集中できることの証が、生き方に反映しているか、どうかの一点だろう。

2011年5月14日土曜日

レール

この頃、人生のレールからはみ出して、その決まったようなルールに乗り切れないような、もどかしさを覚えてきた。どんな人間だって、いくら間口を広げてもその範囲はたかが知れている。ところが、ぼくの周囲はひじょうに狭い。努力すれば、或いは別種の楽しみやら目標を得ることができたかも知れないのに、そのつど拒んできたことが多くある。その殆んどが自分自身のわがままであったかも知れない。だが相手のいない我がままというのは、自分にとって当然なのである。誰かのために呼吸しているわけではなし、他人の作るレールに合わせる必要など全くないのである。(1972年ノート)

2011年5月11日水曜日

スピン

《1981年5月11日(月)》
スピンになったのは誰だろうか。
糸車になって紡いでくれたのは、特定の事象というよりも、そこいらを漂っていた、時間という強力な魔物だったのだろうか。
確実に情況は変化していく。周囲の豊かな優しさの本意を、翻して傷口を露にして。

2011年5月7日土曜日

プリティ

《1981年5月7日(木)》                                         
美人で可愛いいとは思うのだけれど、
「女性としてはねぇー?」と疑問符をつけて答える男子が意外と多い。ぼくも大したことは言えないが、こういう時の男の眼は、どちらかというと、女性に対する一つの条件を頑なに持っていると思える。そして美しさに、いろんな表現のあることを拒んでいるとも言える。つきあいそのものは交歓であると考えているから、美人であろうが可愛くあろうが、ただの飾り花に過ぎない場合もある。
ゴールデン・ウイーク期間中に帰省していた大学1年の女子が、後輩の高校生たちを見ていて嘆いていた。いいとこ(?)のお嬢さんで、朗らかな健康さんだけれど、それだけのことで判っちゃいないんだなぁーとぼくには思える。優しさは波長の合う者のみ届けられる筋ではない。表面的なことだけで、判断する愚は避けなければならない。そして表面にのみ、素直さが集結するような虚飾から脱さなければならない。
女性としても、欠かせぬことだけれど、1個の人間として魅力があるかどうかが、美人とか可愛いいよりも先決なのではなかろうか。性格的な基地は、それらの飛翔台にはなっている。
キャッチボールみたいな言葉の往来からたしかめると、その速度、反応に拘わらず、独自のプリント配線を通過して、はっとするほどの正直さが返ってくることがある。few・という僅かな奇跡を、おもしろいという比喩で、ぼくは堪能した。

2011年5月5日木曜日

故郷

《1982年5月5日(水)》
故郷が水海道だという人が、たまに帰ってくる。ぼくにも歴然とした故郷がある。そこは、ごくたまに顔を出し、懐かしの風に触れればいいだけの場所。まちがって頓死でもすれば、亡父と一緒のお墓に入れてもらえるというだけの故郷。・・・場所。
高校卒業まで、故郷(江戸崎町)で生活し、その後現住所を転出、転入のくりかえしで、昨年(1981年)本籍を新たに設けた。ふるさとが出来るかも知れないということか。しかし故郷を水海道として感じるのは、ぼくではないだろう。妹は、警察官を職とする人に嫁いだから、同じ土地には長くはいないし、生まれた子供も記憶として残る場所は、いまのところないに違いない。安らぐ場所があるのはいいことかも知れないが、その小さな場所に拘泥するのは、釈迦佛の掌中で、胡坐を組むようなものなのでは・・・・・。帰巣本能がはっきりしているから、精いっぱい頑張れるのだという論法は、いっぱいという枠内に安住する、抑制する気持ちが、潜在し、柔和で、しかも勝手な気負いを育てているような気がする。

2011年5月3日火曜日

ふつ~う

《2008年5月3日(土)》
世は、黄金週間、守勢に入ったら(要するに切り盛りの中で)、ぐうたらする時間に捕らわれてしまった。とどのつまり今年は、自分の僅かな休日と祝日が合致しない。その間を持たせる無駄遣いで、録画に頼った。①「ダブルオー・ゼロ」。諜報員もののコメディだが、なんともはやくだらんで、がまんしてみた。お笑いである筈なのに笑えるシーンを作れないのが泣ける。②「トランスポーター2」お固い、刑事(私立探偵?)がヒーローの奇想天外な筋立て、めくるめく移動する、クルマ、船、飛行機での戦いが超娯楽ゆえ、笑っちゃう。まあ仕方がないか、どちらも仏映画で、期待通りのスピード感で、そこだけは堪能できる。こどもの日(端午の節句)が近いことを思えば、男の子にはぴったりのプログラム・・・でした。 音楽に表せばはこんな感じかなと、旧ユーゴからのクラブ系のテキスチャーを。

2011年5月1日日曜日

脇道

《1979年4月28日(土)》
 何故か、27才で失業しているのは恥ずかしいことなのか、どこへ行っても面接担当者に、そのへんの事情をきかれる。そして履歴の多いことが、とても不満なようである。御茶ノ水のsenmeishaを訪ねた。担当者の高桑という男が、「年配ですね」と、27才のぼくに言う。27才にもなってるのだったら、既に、他会社では、一人前か中堅ですねと言うのである。もちろん首肯をもって演じた。ついでに任じた。しかし、実際のところ、何をもってして一人前か、中堅でなくしてはならないのだろうか。ぼくの経験が、点々バラバラであるのが、他人に問われるほどみじめなことだろうか。ぼくは単に経験が欲しくて歩いたのではない。自分が真に望むものを求めて、生涯賭けようとして歩いたのである。それが脇道にそれたりしたかも知れないし、決してまともな直線ではなかったかも知れない。それが偶然年を経て、27才にもなっていた。たとえ、そんな暮らしで、50才になっても、それはそれで仕方がないであろう。1年勤務で辞めたとして、その会社にとって損失になるのは人手だけで、技術ではない筈。会社では、育てたのではなく、労働の報酬をしただけなのである。会社だけの身勝手で動かされ、その答えが、ぼくの履歴になっている。