2010年12月29日水曜日
キース・ジャレット&
マジかよって感じでは?1枚のCDの前半に超レア稀キースのVORTEX盤、そして後半はアート・アンサンブル・オブ・シカゴの「バブティズム」。ロスコーミッチェルのアナーキーなサックス、管?能的3管そり等々。許せなさそうな、お徳用、めっけもんで本年終わりの章。さすが、アマゾン船便。《2006年12月29日(金)ノート》
2010年12月25日土曜日
超える
《1979年12月25日(火)》
C.Moさんは、コーヒーしか飲まなかった娘さんである。いつもスラックスにセーターで、夏はTシャツに替わるぐらいであった。髪型はオカッパ姿で、それ以外のおシャレを見たのは、スカートを珍しく着用した2,3度くらいであった。スカートといっても便宜的なもので、実用一点張りのコーデュロイであったりして地味なのであるが、その珍しげなスカート姿を見たことだけで、話題を集められる女の子であった。
この世で哀しいのは離別だろうと思う。そしてこの離別があるからこそ、生き甲斐を確かめることが出来るのだろうと思う。
Moさんに夢があり、理想があり、自分の意のままに生きたいと思っても、制約を与えるものは限られた人生であるし、命であると思う。そのために躍起になって、その場しのぎの奮発でフル回転しようと望み臨む訳だ。人生、命が制約を押しつけるが、自分では殆どそれを認めていて、外部状況も同じように、限られた人生と、命を持っていて、にじり寄ってくるのである。それは両親、兄弟、友人であり、恋人である。いずれも大切で大事なものである。自分で選びきるには、それぞれ困難なほど大切なものを、その都度、全身で判断して除いていかなくてはならない。制約でもそれは断ちがたいものであるが、仕方なく葬るしかないのである。それを離別だと言っていいだろう。そしてもっと、今日的な言葉で“超える”と替えられるだろう。そうした存在を超えないと、自分の本当のやりたい事が出来ないと思うのだ。
妥協があって当然。だから、妥協がそうした困惑の中で、生まれるのなら、生まれたものを讃えたいと思うのだ。
Moさんが、涙を流し、泣いたのは、命に近い範囲に大事なものが僅かあって、それを全て実現するには、故郷を捨てるとか、親と離れるとかの決意を促された、切迫した気持ちが女性特有の涙腺径路で、あっと押し寄せがあって
泣いてしまった
と思うのである。
C.Moさんは、コーヒーしか飲まなかった娘さんである。いつもスラックスにセーターで、夏はTシャツに替わるぐらいであった。髪型はオカッパ姿で、それ以外のおシャレを見たのは、スカートを珍しく着用した2,3度くらいであった。スカートといっても便宜的なもので、実用一点張りのコーデュロイであったりして地味なのであるが、その珍しげなスカート姿を見たことだけで、話題を集められる女の子であった。
この世で哀しいのは離別だろうと思う。そしてこの離別があるからこそ、生き甲斐を確かめることが出来るのだろうと思う。
Moさんに夢があり、理想があり、自分の意のままに生きたいと思っても、制約を与えるものは限られた人生であるし、命であると思う。そのために躍起になって、その場しのぎの奮発でフル回転しようと望み臨む訳だ。人生、命が制約を押しつけるが、自分では殆どそれを認めていて、外部状況も同じように、限られた人生と、命を持っていて、にじり寄ってくるのである。それは両親、兄弟、友人であり、恋人である。いずれも大切で大事なものである。自分で選びきるには、それぞれ困難なほど大切なものを、その都度、全身で判断して除いていかなくてはならない。制約でもそれは断ちがたいものであるが、仕方なく葬るしかないのである。それを離別だと言っていいだろう。そしてもっと、今日的な言葉で“超える”と替えられるだろう。そうした存在を超えないと、自分の本当のやりたい事が出来ないと思うのだ。
妥協があって当然。だから、妥協がそうした困惑の中で、生まれるのなら、生まれたものを讃えたいと思うのだ。
Moさんが、涙を流し、泣いたのは、命に近い範囲に大事なものが僅かあって、それを全て実現するには、故郷を捨てるとか、親と離れるとかの決意を促された、切迫した気持ちが女性特有の涙腺径路で、あっと押し寄せがあって
泣いてしまった
と思うのである。
2010年12月23日木曜日
師走の涙③
《1979年12月19日(水)》
・・・・・
何故、どうして泣いたのですか
Moさん。
ぼくがMoさんと喋り続けている間に、彼女がどうしても話せない部分があった。それは彼女にとってものすごく大切なことだったようである。彼女の目下の理想が、その辺に集約されていると思えた。北海道や京都、A・アイラー、M・タイナーの軌跡が僅か想像できたのである。美術を選んだことや、自転車旅行をしたいなどということは、彼女自身の個性に依るもので、言えない部分から秘かな影響ではなかったと思われる。
Moさんの涙について続けよう。
自分の望んでいることと、親との関わり合いを考えるとき、困難な事が歴然としてあったのではなかろうか。
ぼくが東京へ出た頃の話をした。故郷を離れて生活してて、田舎の事を自ずと忘れて、平気で一人暮らしに馴れてしまった事なんかを喋った。親父の死んだ日のことを、克明に話したせいだろうと思う。
Moさんが泣いたのは、命を考え始めたためだろうと思う。
それでは、命に拘泥した事が、泣くことにつながる、その極めて人間的な、真実に満ちた涙について記してみよう。(・・・この続きは12月25日以降に)
蛇足だが、Moさんはコーヒーしか飲まなかった女の子である。
・・・・・
何故、どうして泣いたのですか
Moさん。
ぼくがMoさんと喋り続けている間に、彼女がどうしても話せない部分があった。それは彼女にとってものすごく大切なことだったようである。彼女の目下の理想が、その辺に集約されていると思えた。北海道や京都、A・アイラー、M・タイナーの軌跡が僅か想像できたのである。美術を選んだことや、自転車旅行をしたいなどということは、彼女自身の個性に依るもので、言えない部分から秘かな影響ではなかったと思われる。
Moさんの涙について続けよう。
自分の望んでいることと、親との関わり合いを考えるとき、困難な事が歴然としてあったのではなかろうか。
ぼくが東京へ出た頃の話をした。故郷を離れて生活してて、田舎の事を自ずと忘れて、平気で一人暮らしに馴れてしまった事なんかを喋った。親父の死んだ日のことを、克明に話したせいだろうと思う。
Moさんが泣いたのは、命を考え始めたためだろうと思う。
それでは、命に拘泥した事が、泣くことにつながる、その極めて人間的な、真実に満ちた涙について記してみよう。(・・・この続きは12月25日以降に)
蛇足だが、Moさんはコーヒーしか飲まなかった女の子である。
2010年12月22日水曜日
師走の涙②
《1979年12月19日(水)》
・・・・・・
何故、泣いたのだろうか。
Moさんの夢の中に、北海道があり、京都があり、美術があり、アルバート・アイラーがあり、マッコイ・タイナーが居て、そして自転車旅行があった。すべて手の届きそうな距離感で具現化しやすい位置にあったと言えよう。しかし、彼女の保護者である父母を含めた家族、家庭の存在によって、その全てが文字通りの夢に変わりやすい位置にあったことも事実である。
親とか、家庭とかいうものは、どれほどの大きさをもって環境を形成しているのかということだ。子供が飛翔に相応しい育ち盛りの翼を大切にしているのに、親の存在は、その翼をもぎ取り、そぎ落とし、枷であることの責めを、感じることなく、愛だと誤解しやすいのです。その逆もまたある。子供の夢がひどく漠然としていて、常に口吻だけで実行できないと親が熟知していたら、雑多な思惑はあるにせよ、助言や説教は愛そのもとして浮かび上がる。
Moさんの場合は、ごく当たり前のケースとして親の理想(親が娘に賭し託す)と、子の夢、理想にギャップがあったと見ていい。
ギャップは埋められるだろう。ギャップをギャップとして即ち相違として、お互いに固執していることもおかしいのである。理解するということは、同意を得ると言うことではないし、親と子の間で同意を得られないかとして差を感じてしまうのは、理解という共同作業を放棄していることでもある。ましてや、Moさんのように個性的な発露に生き甲斐を設けているとしたら、その程度のギャップが生まれてあたりまえである。幼い頃から、ずっと子供に寄り添っていて、いちばん鋭敏になっている尖端部に、親がついていってないということは、自らの定義で、理解できないという言葉で片づけて単なるギャップに表現されてしまうのは寂しかろう。話し合うと言うことは、心を開く第一歩であり、理解するための初めての作業であると思う。親と子というのは、それが容易に出来る間柄であり最短距離に相当している筈だ。
話している言葉から、内容から、真実を見つけなくてはならない。話さなければ、嘘であるか、真であるかを確かめることは出来ない。それは相手ばかりではなく、こちらもそれなりの判断を持たされるということだ。 (続く・・・・・)
・・・・・・
何故、泣いたのだろうか。
Moさんの夢の中に、北海道があり、京都があり、美術があり、アルバート・アイラーがあり、マッコイ・タイナーが居て、そして自転車旅行があった。すべて手の届きそうな距離感で具現化しやすい位置にあったと言えよう。しかし、彼女の保護者である父母を含めた家族、家庭の存在によって、その全てが文字通りの夢に変わりやすい位置にあったことも事実である。
親とか、家庭とかいうものは、どれほどの大きさをもって環境を形成しているのかということだ。子供が飛翔に相応しい育ち盛りの翼を大切にしているのに、親の存在は、その翼をもぎ取り、そぎ落とし、枷であることの責めを、感じることなく、愛だと誤解しやすいのです。その逆もまたある。子供の夢がひどく漠然としていて、常に口吻だけで実行できないと親が熟知していたら、雑多な思惑はあるにせよ、助言や説教は愛そのもとして浮かび上がる。
Moさんの場合は、ごく当たり前のケースとして親の理想(親が娘に賭し託す)と、子の夢、理想にギャップがあったと見ていい。
ギャップは埋められるだろう。ギャップをギャップとして即ち相違として、お互いに固執していることもおかしいのである。理解するということは、同意を得ると言うことではないし、親と子の間で同意を得られないかとして差を感じてしまうのは、理解という共同作業を放棄していることでもある。ましてや、Moさんのように個性的な発露に生き甲斐を設けているとしたら、その程度のギャップが生まれてあたりまえである。幼い頃から、ずっと子供に寄り添っていて、いちばん鋭敏になっている尖端部に、親がついていってないということは、自らの定義で、理解できないという言葉で片づけて単なるギャップに表現されてしまうのは寂しかろう。話し合うと言うことは、心を開く第一歩であり、理解するための初めての作業であると思う。親と子というのは、それが容易に出来る間柄であり最短距離に相当している筈だ。
話している言葉から、内容から、真実を見つけなくてはならない。話さなければ、嘘であるか、真であるかを確かめることは出来ない。それは相手ばかりではなく、こちらもそれなりの判断を持たされるということだ。 (続く・・・・・)
2010年12月21日火曜日
師走の涙①
《1979年12月19日(水)》
・・・・・・
Moさんの悩みになっている・・・ひとつの生き方について、大問題として提出され、毎日がそれにまつわる話となって展開し明け暮れた。彼女のMUSE滞在時間内に、解決することなく、話の尻穂は、翌日に持ち越され、そして延々と続いた。
そんなある日、Moさんが、ぼたぼた涙を流し低くむせるように泣いた。
お茶の水の学校からの帰り、大きな画板を抱えたその日だったのである。
泣くなんてことが、考えられなかった。急に録音室(トイレのこと)に入ったりするもんだから、涙が認められると、ぼくのほうで、とまどい以上の罪悪感を覚え、てっきり恐縮してしまった。恐縮の気持ちは、当のMoさんにも立場を代えてあったのである。
MUSEの前で、賑やかに側倒立の事故車が寵児となった12月半ば頃の、それは記念すべきいい日だった。
何故 泣いたのだろうか。
何故、泣いてしまったのか、すぐ理由が判らなかった。きつく叱りつけたとか、議論してて、こてんぱんにやっつけたとか、そんな事ではなかったのである。Moさんが大粒の涙を流し、少しむせた嗚咽の様子は、体験として秘密めいていてMUSEの乾いた空気を浄化させるのにも、フィットしていたと思うのである。
Moさんは、MUSEで初めて泣いた 女の子である。多少、London、Paris風の、どんぐりまなこのつぶらさから、表面張力を、しかと見せつけて、熱い涙をボタぁーとテーブルに落として、背と肩をふるわせたのである。かわいくて、哀しくて、冒しがたく美しかった。本人に恥じらいはなかった。
ぼくはといえば、少しはうろたえて、しばしの間 新聞を見たり、ジャズ誌を開いたりして伺っていた。何故か、ひどく恥じてしまっていた。 (続く・・・・・)
・・・・・・
Moさんの悩みになっている・・・ひとつの生き方について、大問題として提出され、毎日がそれにまつわる話となって展開し明け暮れた。彼女のMUSE滞在時間内に、解決することなく、話の尻穂は、翌日に持ち越され、そして延々と続いた。
そんなある日、Moさんが、ぼたぼた涙を流し低くむせるように泣いた。
お茶の水の学校からの帰り、大きな画板を抱えたその日だったのである。
泣くなんてことが、考えられなかった。急に録音室(トイレのこと)に入ったりするもんだから、涙が認められると、ぼくのほうで、とまどい以上の罪悪感を覚え、てっきり恐縮してしまった。恐縮の気持ちは、当のMoさんにも立場を代えてあったのである。
MUSEの前で、賑やかに側倒立の事故車が寵児となった12月半ば頃の、それは記念すべきいい日だった。
何故 泣いたのだろうか。
何故、泣いてしまったのか、すぐ理由が判らなかった。きつく叱りつけたとか、議論してて、こてんぱんにやっつけたとか、そんな事ではなかったのである。Moさんが大粒の涙を流し、少しむせた嗚咽の様子は、体験として秘密めいていてMUSEの乾いた空気を浄化させるのにも、フィットしていたと思うのである。
Moさんは、MUSEで初めて泣いた 女の子である。多少、London、Paris風の、どんぐりまなこのつぶらさから、表面張力を、しかと見せつけて、熱い涙をボタぁーとテーブルに落として、背と肩をふるわせたのである。かわいくて、哀しくて、冒しがたく美しかった。本人に恥じらいはなかった。
ぼくはといえば、少しはうろたえて、しばしの間 新聞を見たり、ジャズ誌を開いたりして伺っていた。何故か、ひどく恥じてしまっていた。 (続く・・・・・)
2010年12月20日月曜日
師走の窓②
《1979年12月19日(水)》
・・・
もちろん、昨年も暇な12月だった。C.Moさんは、予備校色の強い美術学校に通っていて冬休みに近いその日、画板などの荷物をまとめて、MUSEへ来た。彼女のほかに誰もいなくて、お喋りを始めた。このお喋りは12月に入ってから、ずっと続いていたのである。日本画を勉強したいと言っていて、ぼくのいろんな経験から、デザイン、版画といった新しいものへ興味を募らされて、迷いながら、自分が将来計画していることへ話が進んでいったのである。
外部からの影響を、直に受けているとしても、アルバート・アイラーを聴き、オリバー・レイクに感じると言った人は男でも少ないのだから、ボクに限らず、好意の露わになった珍奇な眼差しで、彼女、Moさんを眺めていた周囲であったろうと思う。既に高校2年生の時に、アイラーの“ファースト・レコーディング”を買い、ドン・チェリー&ジョン・コルトレーン(アトランティック)を聴いているのである。理解の程度は確かめられなかったけれど、その当時(ぼくはレコード店に勤めていた)から、Moさんことはよく憶えていたのである。昨年は、その2年後だったのである。(・・・師走の涙へ続く)
・・・
もちろん、昨年も暇な12月だった。C.Moさんは、予備校色の強い美術学校に通っていて冬休みに近いその日、画板などの荷物をまとめて、MUSEへ来た。彼女のほかに誰もいなくて、お喋りを始めた。このお喋りは12月に入ってから、ずっと続いていたのである。日本画を勉強したいと言っていて、ぼくのいろんな経験から、デザイン、版画といった新しいものへ興味を募らされて、迷いながら、自分が将来計画していることへ話が進んでいったのである。
外部からの影響を、直に受けているとしても、アルバート・アイラーを聴き、オリバー・レイクに感じると言った人は男でも少ないのだから、ボクに限らず、好意の露わになった珍奇な眼差しで、彼女、Moさんを眺めていた周囲であったろうと思う。既に高校2年生の時に、アイラーの“ファースト・レコーディング”を買い、ドン・チェリー&ジョン・コルトレーン(アトランティック)を聴いているのである。理解の程度は確かめられなかったけれど、その当時(ぼくはレコード店に勤めていた)から、Moさんことはよく憶えていたのである。昨年は、その2年後だったのである。(・・・師走の涙へ続く)
2010年12月19日日曜日
師走の窓①
《1979年12月19日(水)》
世間は、まちがいなく師走で、薄らいだ実感と言っても、やはり12月である。
窓の外を見ると、なんとなく忙しげな往来ではある。
昨年も似たような感慨で、綴っていたと思う。
自動車がMUSEの前で、側倒立したのも、よく憶えている。110番したのは、ぼくで少し慌てていた。一緒に目撃したのは、Moさんであった。野次馬のようにして、石塚さんが現れた。人前ですってんころりん転んで、あわてて周囲を見ながら立ち上がる仕種と酷似していて、事故車の壊れた扉から、運転していた男は、さも元気そうに躍りでて、弁明するように、まくし立てた。フロントグラスは飛び散り、その派手さとは異なり、ピンピンしてて何でもないかのようであった。救急車は空しく去り、パトカーの警察官と、運転者の対話がしばし続いた。
ぼくも、Moさんも、石塚さんも、当分この話をして、MUSEを訪れる人たちと、何度か楽しんでいた。
不真面目な言い方だが、その事故はMUSEにとって平和の象徴だったのである。その頃と比べると叱責を買うようだが、事件のない分だけ、穏やかさの真実味に欠けている気がするのである。 ・・・(つづく)
世間は、まちがいなく師走で、薄らいだ実感と言っても、やはり12月である。
窓の外を見ると、なんとなく忙しげな往来ではある。
昨年も似たような感慨で、綴っていたと思う。
自動車がMUSEの前で、側倒立したのも、よく憶えている。110番したのは、ぼくで少し慌てていた。一緒に目撃したのは、Moさんであった。野次馬のようにして、石塚さんが現れた。人前ですってんころりん転んで、あわてて周囲を見ながら立ち上がる仕種と酷似していて、事故車の壊れた扉から、運転していた男は、さも元気そうに躍りでて、弁明するように、まくし立てた。フロントグラスは飛び散り、その派手さとは異なり、ピンピンしてて何でもないかのようであった。救急車は空しく去り、パトカーの警察官と、運転者の対話がしばし続いた。
ぼくも、Moさんも、石塚さんも、当分この話をして、MUSEを訪れる人たちと、何度か楽しんでいた。
不真面目な言い方だが、その事故はMUSEにとって平和の象徴だったのである。その頃と比べると叱責を買うようだが、事件のない分だけ、穏やかさの真実味に欠けている気がするのである。 ・・・(つづく)
2010年12月16日木曜日
全国区
12日に県議会選挙が行われて、7月まで勤め先だった石岡市が突然全国的に汚点を露出することになった。この子細は新聞等で確かめられることで、まだ未解決のなかである。
石岡の知名度は、それだけではなくお祭りも全国区なのに、残念な事件だろう。
数年前に八郷も石岡市に組まれた。
石岡の知名度は、それだけではなくお祭りも全国区なのに、残念な事件だろう。
数年前に八郷も石岡市に組まれた。
2010年12月11日土曜日
2010年12月9日木曜日
横ばい・・・低迷?
いつまでも好調が維持されるとは限らない、このような予想をしたことは、
しかし必ず変革がやってきて、更改を迫られる時に立たされる。保守というのは、留まるだけではその機能を果たせない。状況をわきまえてこそ、保守の位置が示される。そして少しでも位置から移動することで、変革に近づけて進むことが出来る。
石橋たたきに終始していた、報いが全ての方面で、差異、格差を生じ、綻びの繕いに途轍もない時間を費やすハメに陥った。
破格は、進取だ、
毎日、日ごとにざわめきたつは、その躍動の現れ・・・と思う。
小さくさわぐのは、大海にて波紋を作り得ない寂しい、攪拌、
もはや、無理なのか4半世紀も君臨できないのか?
しかし必ず変革がやってきて、更改を迫られる時に立たされる。保守というのは、留まるだけではその機能を果たせない。状況をわきまえてこそ、保守の位置が示される。そして少しでも位置から移動することで、変革に近づけて進むことが出来る。
石橋たたきに終始していた、報いが全ての方面で、差異、格差を生じ、綻びの繕いに途轍もない時間を費やすハメに陥った。
破格は、進取だ、
毎日、日ごとにざわめきたつは、その躍動の現れ・・・と思う。
小さくさわぐのは、大海にて波紋を作り得ない寂しい、攪拌、
もはや、無理なのか4半世紀も君臨できないのか?
2010年12月5日日曜日
2010年12月4日土曜日
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