2012年11月30日金曜日

入院日誌③

《2011年11月30日(水)》
 手術日。昨夕6:00の夕食から絶食。不安もいっぱいある。
心配ないと言っても何が起こるか判らない。
これが生の常だと思うが。無になる、消えてしまうことへの恐怖は、想像には値しない。単なる暗黒や、空白なので、確認する術はない。
訣別する潔さだけを、ベッドの上にのせて、まな板の鯉なのであろう。
さよならを言う機会を逃すだけである。

2012年11月29日木曜日

入院日誌②

《2011年11月29日(火)》
 退屈の極み。(入院生活が)1ヶ月余もあると考えると、過酷な試練だ。
 Wi-Fi機能付のデジタル通信機器を準備しておくべきだった。ネット上のメールも、またはブログも開封できぬのは、厳しい。(入院の)中途でも方策が見つかればいいのだが。
 妹のアイパッド(ipad)はかなりの代物だった。
羨望。

2012年11月28日水曜日

入院日誌①

昨年のことです。

《2011年11月28日(月)》
遂に入院。股関節の手術だ。(11月30日)
牛久愛和。
過去には、胆のう炎→新治協同病院(土浦駅前にあった)、鎖骨骨折→流山中央病院。そしてメディカル通院(つくば~)放射線照射。

2012年11月25日日曜日

椎尾 薬王院

これは、けっこうな古刹。

昨日、例によって下山時にクルマで待ち合わせとしての役割で、筑波山の西側 椎尾薬王院に駐車を決めた。
二人が登攀口に消えるのを確かめて、車中でのんびり気持ちを整え「さてと!」という所作で、歩くことに。
石段も、建物も、周囲の気配すらも古刹充分の佇まいである。
しかし、朽ちたりするのは辺鄙に居座る哀しさか、繕いが滞り、何度も加えた応急処置の荒業で風合いも尚のこと。
これが、いいのかも知れない。奥まで覗く視線は、当然遮られる場所にしつらえてある先人の知恵なのかもと思う。

で、その後下山方向へ移動した。昨日の表側は行楽、紅葉のハイカーで渋滞だったそうだ。裏側の羽鳥道、古道はさっぱりの爽快さであった。
ついでのクラフトフェアーはおまけです。

2012年11月22日木曜日

チャンバラ

時代劇専門チャンネルで、「居眠り磐音・陽炎の辻」3シリーズ、都合37話をすべて見終えた。
5年ほど前にNHKで放映されたものだが、仕事の関係でチェックをしていなかった。
作者の佐伯泰英氏の著書を読んではいないのだが、作品数は多く、人気作家ですね。
週5日の1話ずつを録画し、毎回涙を流し見続けて、昨日の感動の最終回に至った。
まあ、安直な涙?かもしれないが、義理人情なんて普遍的なものだと、涙腺の弱さをも肯定する。
おもしろさには原作に加え、ドラマ作りのプラスアルファーが仕込まれているに違いない、NHKの力を感じる。出演者に愛着が涌くほど、その演技に魅入った。
ストーリーの基本は藤沢周平さんの「用心棒日月抄」(ドラマ化では、腕におぼえあり)が底辺にあるのかなという感じ。深さも奥行きも、こちらの方が上かもしれない。
しかし、楽しみな30分、45分の2~3ヶ月を過ごしました。

2012年11月20日火曜日

おもかげ探し

昨日(2007/11/14)、奥多摩の紅葉を求めて家族3人で出かけた。八王子ICから、どちらにするか、青梅か高尾かという選択だ。実は昭和40年代の初め、青梅街道、吉野街道、秋川街道、五日市街道、滝川街道周辺のコースを移動する仕事に就いていた。ざっと40年近くまえにさかのぼる。その想いで御岳山、奥多摩周辺へ。
う~ん!懐かしい。今でも田舎風情はあるものの、道路の左右ののどかな広さが、さえぎり林立する樹木、建物で分を囲いつつフレーム付の景観を全うしていることである。めまぐるしい都市化の表れです。地名も変わったり、昔の名前であったり、檜原、養沢、数馬、古里、軍畑などと。神々しい?青梅の方が取り残された感じで、五日市は目まぐるしい変化の中にあった。
《2007年11月15日(木)ノート》

2012年11月13日火曜日

県民の日のころ・・・

には、晩秋、初冬の趣が溢れていて、着衣に気をつけながら毎年家族そろって行楽に出かけていた。
実に質素なイベントだったのかも知れないが、今振り返るととても豪華な想い出になってきている。10数年以上も経て、どうあがいても手の届かない時間の流れに乗って去りつつある、貴重な一瞬だったのである。
現在は、変節もあり、家族の在り方もいろいろあり。
でも、ありがたい感謝の今日です!

2012年11月9日金曜日

職安


龍ヶ崎の職安へ行ってきた。これがなんと求人数も少なく、待遇もよくないのである。やはり、地方なのかと思わせる。決して馬鹿にするわけではないが、まだまだ地方の時代というのには偏向している気がする。同時に、職選びをする余裕も機会も出来ないのだなということを痛感した。だから保守的になるんだなというのは早計だろうか。自分にも厳しさは均等に襲ってくる。結局は好きでもない仕事に就くしかなくなるかも知れない。  《1982年11月9日(火)ノート》

2012年11月3日土曜日

故郷

江戸崎は、霞ヶ浦湖畔の小さな田舎町。狭い器の中で、自然に背伸びして、いつの間にか足を遠くし文字通り、フルサトに仕上げてしまった。たいして記憶にないのは、わりと温和しく、静かに遊んでいたからかも知れぬ。田舎に居た年月以上の時間が背を向け始めてから経過していて、既に拘りを薄くしているせいでもある。自分にとってふるさとは郷愁という言葉以上のものは皆無。想い出すことさえ珍しいし、頭の中に湧きあがるものは些細な限られたシーンだけである。          このまえ、なつめが、そして昨日は、ざくろが届いた。小さい頃、なつめもざくろも、またぐみなどを、ぐいぐい口にもちこみ食べ散らかす子供たちがいた。元気なわんぱくたちで、それが自分と同じ遊び仲間だったのです。どうしてもおいしいという感覚がなくて、少し口にしては、ぺっぺと吐き捨てていたと思う。                                                   喫茶店(ミューズ)の卓に、なつめを、ざくろを載せてみて味わってみて、ポクっとという歯ごたえ、鮮赤に映え、つぶ粒に寄せ合って半透明に光る2つの個性。どちらも淡彩味でありながら、おいしいし、うまい。昔には、味もそっ気もないと思っていたもの。ただ甘酸っぱいとしか思わなかったものの、侮りは悔いにもなって・・・・・。                                       当時、なつめを、ざくろを、うまいと思っていたら、もう少し別な世界の今があるのかも知れない。
《1979年11月3日(土)ノート》

2012年11月1日木曜日

可憐ダアー

《1984年11月1日(木)》                                            
 ことしも2ヶ月を残すのみとなった(カレンダーも2枚きりと)。
 早いものだ と常套語を用いてか。
 3日、4日はいちおう連休(勤務先は)となりそうなので、遊びに出かける計画を立てている。
『男は仕事だよ!』(2,3日前にそんな口吻に迷わされて)というフレイズを気にしなくもないが、このフレイズの古めかしさと執着する心に少しばかり不信を抱いてしまう。ぼく自身が変化したのかとも思うが、萎えてしまっているわけでは決してない。仕事でも、私生活でも同じような価値観を得ることで、自身のリズムや生きる展望を導くことが出来るのだと思う。