2012年7月31日火曜日

実話から

《2009年7月31日(金)》
CATVの番組紹介欄にのらない、所謂、単純に面白い作品ではない映画に立ちはだかれ、興奮をずぅーっと続けている昨今である。
一昨日(2009/07/29)の新しい記憶から羅列してみる。「ルワンダの涙」(2006英独)、「プルートで朝食を」(2005英)、「イノセント・ヴォイス12歳の戦場」(2004メキシコ)、「サルバドールの朝」(2006スペイン)、「旅立ちの時」(1988米)、「ぜんぶ、フィデルのせい」(2006伊仏)、「誘拐犯」(2000米)と並べると、これらの内容が革命、闘争、内戦を伴っていてかなりの真実から製作された映画であることだ。
特に「ルワンダの涙」「イノセント・ヴォイス」「サルバドールの朝」の辛らつさは即妙に訴えて迫りくる。情け容赦のない是認の壁が、弱者に襲い掛かってくる。その圧力、それも10数年前の実話だ。
【その10数年前、ボクは何をしていたというのだ。生活するために躍起になっていたというのか!或いは・・・・・】
多忙にかまけた夢中と怠惰は、真理を遠ざけ世界の叫びも哀しみにも、耳目を塞いでいたことになる。
身近で些細な努力も邁進も、決して、世の中の大事の前で軽重を比べることの卑下を示すこともないが、ちょっとはワイドな自分でありたかった・・・と悔やむ。

2012年7月28日土曜日

hakuouki

金曜夜は、NHKBS時代劇?
11回連続で終わるようですが、ストリーが端折られるのではないかと、懸念も、寂しさも少しあります。これまでの過去の映画化は、原作の壮大な展開が簡潔に一転、ウエットに仕上げられていた感じでした。情念とか武士道とかの・・・。
テレビ化は如何だろうか、昨晩が3回目。まずまずの期待はできそうです。


2007年12月24日 (月)

惑って潔く

永らく時代小説に接していて最初の愛読書は、五味康祐の「薄桜記」であった。単なる忠臣蔵の外伝のようには思わず壮大な伝奇ものの作品として魅了された。読書は1967年のことだ。  きょう、その映画を見た。ずっと気になっていた、大映1959年作、勝新、雷蔵主演。 原作の華やかな部分を削いで、丹下典膳と千春と中山安兵衛の相克を中心に描いており、その内容は暗く武士道を前に出しての判断と、人道に絡む自由な決断の発露に焦点を執っている。いかにもという気配がなくもない、和の美学という処理が見えるカメラワークや謡いを折り込みの演出に、作法や形式に重きを置く時代がすんなり表現できたか、否かは40年後の、今の、言葉になってしまう。つまらないと。 しかし原作は面白く数多い登場人物の点描を含めても、大河ドラマを形成する要素が豊富で、秘かに忠実な再現を望むものだ。紀伊国屋文左衛門が出てくるだけでも、花になる絵になる、と思う。









2012年7月25日水曜日

夏フェスは

これからが、佳境か。
今年の「つむぎの郷サウンドフェスタ」は、7月21日(土)かろうじて雨降らずの野外で催された。涼しさがかえってくつろぎやすい4時間余であったかと思う。何故か、今回 第17回はいつにもなく混雑していた、満員といっていいかも知れない。
メインゲストは露崎春女(はるみ)さんのパワフルなヴォーカルで、さすが前日(20日)BSジャパンで特別番組が放映されたばかりの実力ソウルフルな本格派です(=昔はリリコとかいう名で)。
それと、九州スペシャルBANDには2005年の時、印象に残っていた西藤(さいとう)ヒロノブさん(ギター)が再度の客演。残念ながら、過日の好感が消えてお座なりを維持しているくらいの・・・?
東海高校ビッグバンドの次に登場した、Nudy Lineがトロピカルな味わいと、若者向けの新鮮なサウンドを形成していたのが、拾い物でした。音楽も進化ですね。

フォトは西藤大信(ひろのぶ)さんの、ファーストアルバム。その中の「A Toon 4 the 121Crew」がゴージャスな9:29です。


もう宮本貴奈さんは、貫禄?ですネ・・・。

2012年7月21日土曜日

怒涛の

7月19日(木)、つくばカピオで圧倒的な狂喜、乱舞の世界に出会った。
世界的な活躍の、渋さ知らずオーケストラのミニ版 渋さチビズ のライブを眼底に焼き付けた。
サックス3本、トランペット1本、そしてピアノ、ベース、ドラム、パーカスの布陣。加えて2名のダンサーによる、うねるような音群のフレアーだ。
10数年前、同じカピオで見たデビッド・マレイのコンサートの あの怒涛の荒くれ波が 押し寄せてくる・・・即興の、フリーの、アヴァンギャルドの、再現だ。
トランペットとアルト・サックスのプレイヤーに驚愕を得た。

2012年7月18日水曜日

奇しくも

7月17日は、コルトレーンの命日に当たるが、なんと かの裕次郎さんの命日といっしょです。ギャふん!といったところですが、トレーンは没後40年、裕ちゃんは20年という節目。
しかし決してジャズとは無縁ではありません。裕ちゃんのスクリーンデヴューは昭和30年代中頃で、「嵐を呼ぶ男」では笈田敏夫さんとドラム・バトルのシーンがありました。自分は中学生の頃で、敵役の笈田さんをその後、活躍のジャズ・ヴォーカルの世界でも、あまり好きになることができませんでした。偏見でしょうか?日本でのシナトラ的存在でしたが。
ぎらぎらのさなかのリアル・タイムのジョン・コルトレーンを聴いていず、1967年(没年)に至る、その少ない時間は、コールマンやシェップやESP盤に傾いていて逃してしまった間隙です。ようやく自分の中でトレーンを消化するようになったのは、1970年代も後半に入ってからだ。因みにトレーンのアルバムは没2年後に「ジャイアント・ステップス」(輸入盤)を1969年8月16日にはじめて購入している。道玄坂のヤマハか新宿3丁目のコタニだったろうか?
今でもトリビュート作品に興味が募ります。極め付きは1987年のライブ・アンダー・ザ・スカイの、リーブマンとバイラークの熱演。   《2007年7月18日(木)ノート》          

2012年7月16日月曜日

同窓会

土曜日(2012/07/14)に、久々の同窓会に出席した。地元の開催は7回を数えているが、自分は24年ぶりとなる。ものめずらしいと言うか、会場の面々に出会って、自分の据えかたに一瞬とまどう。挨拶の一声さえぎこちなくなる。仕方がない、50年以上ものご無沙汰が露になるのだから尚更致し方ない。
しかし、それは酒、短い時間にハイを引き寄せ饒舌な変わり身をする。黙舌も、多弁も両極の護身であり、懐にもぐりこむ術でもある。
これらは人生の機微であり、釈明の必要はないが、昔むかしに抱いていたイメージが少しばかり崩れるような、同窓生の真実も聞かされた。諾否で応えると、すぐさま握手が返ってきて・・・感激が増す。
あいも変わらず、自身のスタンスを築いている人もいて、成るほどネ・・・の感があり、楽しい、豊かな時間の味わいでした。
アンバー調の古いフォトを2枚載せますので、ご容赦ください。

2012年7月5日木曜日

逡巡

《1981年7月6日(月)》
好きか、嫌いか、まだ分からない相手に出会うときの、緊張は快い。2,3度逢ったぐらいでは、その結論は出てこないのだから、尚更興味は深くなる。
2,3日前、ある一つの家族と会った。決意を促すための、会合であった訳だが怠慢な空気の淀みが、柱時計の規則的な針の動きに弾かれて、微かな息づかいをみせていた。
外は夜の闇・・・霧の雨・・・・10時過ぎ・・・・・。
お互いを知ろうとするのが、目的である筈なのに、寸分でも判ってしまえば、大人の妥協とやらに任せきって・・・とい投げやりなポーズが、その家族を象徴していた、と思う。
もっとも、多くの原因は、ぼくが孕んでいたのだけれど。
確立した地位と、豊かな経験によって培われた幾層にも重なった常識という通行手形を、大事に披瀝し続ける父親。
その都度、その都度吐き出さなければならなかった言葉を、つっかえつっかえ喉元に安住させたばかりに、喜怒哀楽の効果音しか発せられなくなった母親。
そして、多彩な価値観から、手ごろな割り勘ぶりを発揮して、見通しのきく道のみを冷徹な判断をもって・・・・・と決め込んだ 兄貴。
いずれも想像だけれど、これは第一印象。
もちろん、興味深い面は、徐々に露顕か。