2010年7月30日金曜日

黒衣の袖無し・・・

・・・短パンルック。これが正装?想像していただきたい。
昨日(2007/7/21)、結城つむぎの郷サウンドフェスタ2007に現れた「仙道さおり」さんの、いでたちは“キャッツアイ”の如きである。雨模様により急きょ野外が変更になり、アクロスホールで開催。
カホーンの成り&鳴りを確かめたくて、今回はそれが目的だった。
仙道さん、このフェスタの中でも一番のファーストコールで、ユニット4人の渋さの小春日和のだれる感性に風をそよいでいたように思える。クラブ系に締まるタイトな音触?が、初老(失礼!)3人に活を加えていた。今春の中川昌三(フルート)の“スペイン”よりも、井上信平(フルート)、鈴木卓(ピアノ)、加藤真一(ベース)、仙道さおりのパーカッションによる演奏の方が数段良かったという印象です。
昨年、記憶した“佐藤えりか”さん、今回はエレベで他のグループに登場。やはり適格バッキング!
そして宮本貴奈さん貫禄!に突き進むよう。
フォトは借りました、袖無しですぞ。
《2007年7月22日(日)記》。
実は、明日7月31日は、2010結城つむぎの郷サウンドフェスタなのです。

2010年7月28日水曜日

いよいよ本番、夏到来

いわゆる運動嫌い、にとって夏は(も?)いやな季節です。でした。
が、子供たちと出かける夏休みは、キャンプだったり、ジャズフェスだったりで、格好の季節になりました。一人だったらいつまでも心臓肥大に拘泥してゆるやかな生活に甘えていたかも知れない。
いろいろ出かけた各地のハイキング歴をふりかえると、中でも一番は、この時期の奥日光、光徳牧場からの切り込み湖、刈り込み湖の湿原コースに尽きる。もちろん尾瀬も良かったが、起伏に富む景観と遊歩道と、間近にかぶさる森林の抱擁感は格別の趣がある。そして、戦場ヶ原、小田代にいたる大自然の包容「緑」の満喫感。1992年頃の7月夏休み。《2007年7月28日(土)記》。

2010年7月26日月曜日

夏山2

その昔、1977年頃に、立山方面に出かけた記憶がある。11月のことで雪景色にも納得を感じる観光だった。(写真は褪色、劣化がはじまった)
今回、涼をを狙ったは、わが妻で一昨年の富士登山以来の冒険が高じている。大したものです。到底ぼくには出来ない。近くの荒川沖駅への送迎くらいだ。(こちらのフォトは写メールです)

2010年7月24日土曜日

夏山

すぐ近くに、元気な女性がいる。
一昨年は、富士登山、昨年は四国のアートめぐり、
そして今日は、立山室堂辺、
届いたばかりのフォトで、“暑中見舞い”

2010年7月22日木曜日

何故か朝は・・・くもり

だったのに、今午前10時、真夏の太陽がカンカン照り。  梅雨明け近くの、朝はいつだって?曇りの霧めいた夜明けだよ!胡散くさいけど、そういう雰囲気 からスタートの夏は1ヶ月しかない、あとは惜しむ夏が少し加わるだけ。  夏休みが始まった。  家族旅行が、 ラジオ体操が、昆虫採集が、絵日記が、林間(臨海)学校が、そしてお祭りやお盆が、いっきに駆け抜ける、夏の想い出。
《2008年7月19日(土)記》。

2010年7月20日火曜日

つくば赤塚公園辺


つくば市内の公園を歩こうと、ここへ移り住んだ頃よく赤塚公園へクルマを停めた。当時は多くの公園が整備に届かずに、赤塚も生い茂る草木と凹凸の土はだの自然をを露わにしていた。
が、昨日夕刻、実に久々に足を運ぶと、その過去の趣は一掃されて、やはり最近のつくばの公園然とした様相に変化していた。ジョギングする人、犬を散歩させる人、楽器を鳴らす人、ボールを蹴る人などなど。
もちろん、公園の外側の土浦野田線も気象研(今年、鉄塔が解体されるという憂き目)も変貌は大きくて、忘れ去られしまう?懐かしさの無粋。

2010年7月18日日曜日

今朝の茨城版(2008年7月16日・朝日)に平べったい虹の空の写真が掲載されていた。ほぼ、水平で。
映画「虹の女神」でもそれは見た。(映画ゆえ作りものの可能性はあるが)。

しっかり自分が見た巨大な虹は、今から25年以上も前かと思うが、突然炎天が曇りだし我孫子から成田街道を安食に向かって真っ暗になった湖北辺で驟雨にあい、急激な真夏の太陽に照射された途端に、手賀沼の真上にでっかい半円を描いた虹。
湖畔沿いを五本松公園に引き返す道のりを手賀沼大橋まで背中越しにふり返りながら何度もその虹の半円を確かめた。巨大な美しさを。
これまでによそでも見ることは何度もあったけれど、この時が一番の虹です。《2008年7月16日(水)記》。

挿入は2008年8月末、石岡辺のにじ。















今日も一日暑かったので、鬱蒼とした緑の翳りをプレゼントします。

2010年7月16日金曜日

つくば月読神社辺

10日で通勤を止めて、いや停年を自らしつらえて、その後は悠々自適にという計画は、いくらでものんびりしていいのだけれど、ちょっとは健康にも留意を注ごうの意識で、それは歩くことで、近いところは簡単なつくば探訪になる。もう22年もつくば人だから、とひるがえっても知らない所はいっぱいある。

これ月読(つきよみ)神社という。牛久栄進高校、高速道路が近くに見えて、いかにも田舎然とした景観を携えている、なかなか趣もあり、小さな川が(小野川)、ずっと下って故郷、江戸崎の大正橋の下を流れる、大 小野川となる。

2010年7月15日木曜日

懐古的かと

思いきや?さにあらずサンタナは健在!クルマの中でライブ盤を聴いてみた。ますます陽気な感じが発揮されて、単純なすかっとするギターの切れ味に満足できる。過去のヒットチューンよりも新しい曲にダンサブルな魅力を加えて、ラテン音楽の現在の主流を見いだすのだ。当時、名を連ねていた、ハドリィ・カルマン(サックス)や、ルイス・ガスカ(トランペット)は抜けていてフュージョンらしきサウンドは微塵もない。そう言えば、サンタナの弟は「マロ」というラテンロックバンドを率いていたはず。30年くらいも前のことだ。《2007年7月16日(月)記》。Santanalive117

2010年7月11日日曜日

梅雨最盛期

じとじとした雨模様の夜に、女の客が静かにやってくる。あがったばかりの雨が、淡い街灯りにてらされて、乱れてアスファルトに濡れている。そんな夜だ。
ぼくの顔をじっと見ている。とっさに想い出せない。知り合いだったことは、確かなのだけれど、過去の原形を越えている。
音をきいて、原形の声であることが認められた。
愛想をこめて
「見ちがえるほどだネ」
と言った。
(ヒゲのことを言った返事なんか、どうでもいい・・・・・)
見ちがえるように変わっていく生活観念が、その時、しばし垣間見えて、ただの喫茶店の主になって、世辞を吐いたつもりなのである。
しかし、愛想も世辞も、乾ききった肉と精には、無邪気な、ひとしずくのようであった。
ふと、気になり、ストローから吸いあげている口もとを見た。まちがいもなく、それはぼくの知り合いだった。
侵略者の唇を赤く見せて、汲みあげている喉もとのポンプに、愛しさがふくれあがった。
もう過去の原形など、どうでも良かった。重ね合わせて想い出している脳の猥雑さが、やけに罪深く感じられた。
平静界に引きこまれようとした瞬間、ストローの中途まで上っていたコーヒー色の液体が、女の口もとから解かれて、一気にグラスに落ちていった。
背中に、冷たい汗が塗られるのを覚えた。
なんて、女だ!
感嘆符を胸ん中で、溢れさせて、こわくなっていた。
「いくらになりますか・・・・」
女は、椅子から腰をあげるところだった。    《1980年7月12日(土)ノート》。

2010年7月9日金曜日

「あやめ」さん

Suiseiayame195おふくろの名前は「あやめ」、そして誕生日が7月7日。10数年前に死去。正確には明治41年生まれで元気だったら今年100歳というところ。かなりしっかりした闊歩状態を続けていたから84歳で急死することが少し残念で不思議な想いも当時はした。ということで16年も経つということか。七夕は単純な結びつきで命日よりも、はるかに忘れない「あやめ」さんのこと。《2008年7月8日(火)記》。

2010年7月5日月曜日

ローランド・カーク

1972年7月4日のニューポート・ジャズフェスティバル・イン・ニューヨークの、ラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのライブはこのアルバムの2曲目に収められている。「So What」と記されているが途中のリフの部分はともかく、「Impressions」にしか聞こえない。こういう記載はよくあることだ。フェスティバルの7月の数日、いろんなステージで繰り広げられるパフォーマンスの、この4日のメンバーはハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムスが若さ溢れる白熱の演奏で支え、サックス隊のソロの最後に出てくるローランド・カークの気合い充分のソロは、ジェイムス・ムーディ、フリップ・フィリップス、デクスター・ゴードン、ズート・シムスの存在を隠してしまうほどの、迫力と印象深い、技と芸で圧倒する。凄いの、なんのって、口あんぐりです。ジャムセッションの“雄”という定評があるのか、あるいは遠慮してカークに譲るのか、最後に出てくるサックスは殆どがカークです。「ミンガス・アット・カーネギィ・ホール」の場合も、あの“きりもみ”感のジョージ・アダムスの後で繰り広げるソロの辛辣な厳しさは、笑いだけで収まりきれない破格さである。
Newport72115

2010年7月3日土曜日

大國魂神社篇

 ランドマークのケヤキ並木。京王線府中駅を降り立った景観は、ずっと変わらない。しかし、ケヤキ並木の歩道側の店舗は著しく、その葉ぶりの影で伸びも、衰えも披露したに違いない。
大型月販店も、パチンコ遊戯場も消え、そして好みのレコード店は見あたらず・・・・・

並木の外れには、大國魂神社。近くには、40年以上も前に通いつめた図書館もあり、駅からの至近距離であったのが、不思議な気もしたほど記憶が曖昧に。
2010年6月26日(土)午後、少し雨も降り出した。いそいで“輪”を3回くぐり、門に向かった。幸せを導いてくれるか、どうか、気にもかけずに、過去にリンクさせてみた。

1970年代、前後かと思う。

2010年7月1日木曜日

府中篇

東京を活動の場としていた時期、20歳前半の頃、拠点は府中だった。そこが一人住まいの始まりだった。それ以前の宇都宮、昭島は、会社の寮が殆どで、自立する、生活するという一歩には、そして自由、気ままな生き方には、要するに独立なのであった。
当初、府中分倍河原でスタートし、その後東府中に引っ越した。間借りから、アパートの一室に飛躍した?。
それから40数年経て、府中駅に降り立った。駅前のケヤキ並木は象徴、健在。周囲の商店街の変遷は明らかで、ビルもいちだん高くなったかのような、ケヤキの逞しさ。2010年6月26日(土)の再訪です。