2011年8月9日火曜日

ポール・ブレイ

《1980年8月7日》
 夏が戻ってきた日、Paul Bleyの“ Open To Love”を昼下がりの緩慢さにのせてみた。  Chick Coreaや Keith Jarretteのポップス性には及ばないことはひとつのウイークポイントかと、大きく認めていたのだけれど、久しぶりにターンテーブル上のスピンを目指してみたところ耐えられない大きいものを見出してしまった。
 よく日本人好みとか、泣きのメロディに弱いとかいって、その音楽の質感を婉曲に俗化させてしまう傾向があるように思う。 しかし、多分にそれは民族的な慣習とかの名残であって、どちらかと言えば個人的な音楽体験によるものだろうと思う。 
 先日、「イルカの日」のサウンドトラックを聴いたとき、メインテーマのあまりの美しさに、くぎづけされるほどの感傷を抱いた。 過去に「いつか見た青い空」のシンプルな美しさを愛していたボクは、自身のジャズ遍歴と同調して、もう新しい感覚の美意識に徹するあまり、単純なものへの傾倒は少なくなるのではなかろうかと案じていた。 
 意に反して「イルカの日」の美しさに、耐えられなくなった瞼の上のふくらみが熱してくるのが判る。 理性を少しずつ侵食している。
 初聴だから、戦慄を呼び込むのかも知れない。
 そのハンディに馴れをのせて聴いてみれば“ Open To Love”の頑くなな失俗性と耽美質は決して並のものではないのが改めて認識させられる。
 こんなにも、力がわあっと躍り込んでくるなんて、やはり凄い。 

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