2011年8月31日水曜日

調整

《1979年8月31日(金)》                                         
明日から9月だというのに、市内(水海道)の高等学校は、調整日が1日だけあって、8月31日のきょうから始業。カーテンの網のすき間から、煩わしそうな女子高生のスカートの黒(紺)が、逆さ扇子の形になって右左、前後に夏の終わりの真昼を闊歩した。試験が間近いという。というけれど、いつものある決まった時間になって、夏休み前の同じ顔ぶれが揃った。
久しぶりの、タカナシ君が浅黒くなって健康的に見えた。言葉の端はしに、40日間の精神的な猛暑の火傷を感じることが出来た。冗談を言ったり、真実を言うことの楽しみが、ぼくの方で持つことが出来て快かった。たしかに成長し、生きているっていう感じがする。

2011年8月29日月曜日

いい年令

会社の人間は殆んどが大人である。marutaka工業(本社)には成人前の若人や20才代も多いらしいが、柏工場は、いい大人ばかりである。《1983年8月22日》                          

《1983年8月28日》
いい年令の大人ばかりである という意味であるが、それは年令だけで名実ともに、いい というわけにはいかない。これは俗臭ふんぷんという世の中の縮図に相違ない。勉強になりますという周囲にあらず、害を受けそうな臭いかも知れない。
強引であることや、度胸のいい輩が、厚遇されるような仕組みになっている・・・・・そんな時代ではないかと思う。(・・・今の時代も、挙手することで、即ち突出することで先走りる傾向が報われる感がありそうな?)   所謂、マスコミで活躍している人気者たちの内実を探ってみても、力というよりも、策という気がするのである。

2011年8月28日日曜日

母のつぶやき

《1982年8月26日(木)》
先週、母がやってきた(=1992年に他界している)。母は天王台(常磐線・我孫子市)の駅まで、1人でやってきた。若い時、1人歩きをしなかったから、よくぞ実行したなと思う、今74歳なのです。元気な証拠だ。
久しぶりにいろいろ話してみると、父から怒鳴られていた頃の、マイナスのイメージは今はなく、かえって当時も母は冷静だったのではないかと思われることだ。何も父が、常に激昂ぶりを発揮していたという意味ではない。
そして、ひさびさの会話で、父系の、母系の親類縁者の複雑な関係を想い出しながら、訊いてみた。

2011年8月27日土曜日

2005東北の旅③

2005/08/26(金)
9:00 遠野→宮守村→めがね橋→花巻→山猫軒→北上→水沢→胆沢→HALF NOTE(昼食)

HALH NOTE=ジャズ喫茶、いい感じながら、主張の乏しいのは、即ち個性が見られないのは、客待ちの辛い環境による遠慮した媚にある?のだろうか。

前沢→高速道→宇都宮IC→小山→結城→下妻→つくば

2011年8月26日金曜日

2005東北の旅②

2005/08/25(木)
9:15 ペンシォン「秋」→八幡平→アスピーテライン→樹海→岩手町→葛巻町→岩泉町道の駅(昼食)→宮古→浄土ヶ浜→山田湾→笛吹き峠→遠野「あえりあ遠野」泊。

現在はナビ装備の、クルマだけれど当時は助手席の自分が、ぼけナビで始終口論の絶えないドライブであった。何度も迂回を重ね、右往左往の態たらく。これも自身の寛容を含めた想い出です。それらのキャパは絶対必要なことで、だから!人生って言うのじゃないかな?
いつも負け惜しみ、いやいや大胆も、執拗も乏しいから、テキトー適宜なレイアウトでフィニッシュ。

2011年8月25日木曜日

2005東北の旅①

2005年8月24日(水)、25日(木)、26日(金)、3日間岩手辺を旅してきた。

8/24 5:00つくば→R294→下妻、下館、二宮、真岡→R4号→高根沢→氏家→矢板IC→東北道→紫波IC(盛岡)→NONK TONK=とても、いい雰囲気の店。ジャズ喫茶として成功している。しかもメニューも豊富。
雫石→小岩井→松尾八幡平→ペンション「秋」泊=このペンションではジャズの聴ける飲食スペースがある。

2011年8月23日火曜日

予備知識

なんて持たなければ、気楽に、それこそすんなり対応できるのに、便利なものがすぐ傍にあるせいで頼って、ほのかな心配を無理に導いている。これが果たして役に立っているのか実はよく判らない。おおげさに言えば、事象、事柄に対処するために生きている、そしてその都度ネットを開いて教えを請うて方法を講じて進んでいる。その繰り返しを60年以上も続けている(パソコンは最近だ)。お気楽に出来たら言うことないが、これがチョイと難しい。まして自分の記憶がおぼつかず、あいまいになってくる不安で覆われると一種のパニック状態に陥るやも知れぬ。周囲をなだめて自身をコントロールして、これは大変なこと。
世の怒りか、2, 3日続いて雷雨襲来、昨日(2008/08/21)夕刻雨上がりのあと、弱い日差しに虹が浮き出て、お気楽に反応して撮りました。  《2008年8月22日(金)ノート》。

2011年8月20日土曜日

りあるたいむ

映画「初恋」を見た。
3億円事件は、自分にとってまさしくリアルタイム。1968年は東府中に住んでいて、事件の後は、1軒1軒捜査が行われてアパートにも警察官がやってきた。
ペトリカメラの電飾ネオン塔のイントロ(=映画「初恋」)からして新宿は彷彿と現れる。(立川のコイデカメラで買ったのがペトリで、今も現役)。
そしてジャズ喫茶店へ行き始めた頃、仕事は五反田だった。全学連、ベ平連の時代。看板屋のトラックの移動で都会の世の移り変わりを凝視できたが、結局は傍観者。しかし興味と関心は募っていて確かな友人を得た。Tomizawa氏(=現在疎遠、辛い)。
「初恋」・・・ジャズ喫茶でのシーン及び周辺は、怠惰な長尺もののフリージャズの集団即興の如くで、だれる・・・次第に個を描く展開に進んでから観客の感性に協調が生まれ、岸(小出恵介)vsみすず(宮崎あおい)の時間が、力を帯びてくる。最後に個人の処され方が無名碑のようにフェイドアウトされた時、せつない感じが浮かぶのが、同時代で共感できる。ペトリで撮ったモノクロ府中の景観を挿入します。《2007年8月20日(月)ノート》。

2011年8月18日木曜日

処分?


《1986年8月18日(月)》       
 久しぶりに会社(柏市)に行ってみると、休暇の疲れが残っていて、ブルー・マンディ。
 しかし、半日も過ぎると、やはりいつもの調子が戻ってくる感じ。
 休み中は、毎日の如くステレオにかじりついて、不用(?)のレコードを録音し続けた。ディスク・ユニオンへ売却に行くつもりである。合計してみたら、これまでに概ね100枚ぐらいは処分しているようであった。
 自分の子供たちに聴かせたいと思ってはいたけれど、全部というほどの傑作もなしで、結局は整理しているのである。いちばん気に入っているものは残してある。

2011年8月16日火曜日

猛暑

昨日(2007年8月15日)のこと。すぐ近くだし墓参もできたはずなのに、ことしもすっぽかし、流山辺りへ出かけてしまった。やはりお盆の15日は、どこもかしこも混雑でぶらぶらするだけの家族の多いのにはビックリする。お昼の2時頃に我孫子へまわり帰ってきた。【実は我孫子も流山も準故郷!】  1944年生まれの自分の衰えは当然としても、昼過ぎの暑さはかつてないような厳しさだった。家へもどったらニュースで40度を超える地域のあったことを伝えていた。 ことしは例年になく原爆や、戦争に執心する気持ちも増していて、暑い夏の記憶は多々よみがえる。江戸崎の実家の床下にも近所の裏山にも防空壕はあったし、ひんやりかびくさい匂いとその涼しさの奥の方で遊んだことを想い出す。外に出るとむおっとする暑気とまぶしさで、くらくらするほどだった。 《2007年8月16日(木)記》。

2011年8月13日土曜日

時々、ドキッ

お菓子問屋の、モラトリウムふんだんの30歳ぐらいの独身男子の、営業兼配達の、後継者が、このタイポグラフィーそのままのTシャツを着ていた。単なる獲物なのかは判らないが、ジャズの話題を聞いたためしがないので、これは不気味な想像。真偽を得るまでは真夏の夜の怪談話にしておこう。10年以上も前から父親をも、知り合っているのだからジャズの『オタク』(このロゴのジャズを聴いていたら)などあり得ないことで。 《2008年8月14日(木)ノート》。
★後日談=直接彼にきいてみました、ジャズは聴いていませんが、そのときは結婚したばかりで、相手の女性が買ってくれたそうです。そんな訳の、メデタシ、めでたし!

2011年8月11日木曜日

へこんで萎えた

暑さのせいだけでなく、自己管理の不摂生もあり、それは突然やってきて恐怖を与えた。不摂生は自分の身体のみならず周囲に対する無関心な不心得をも重箱の隅をほじくるように自身に警告を発した。(たしかに疎遠をくりかえしているフシもあるかも知れない。) まあ、記憶にとどまらない通り過ぎるかのような小さな事象の善悪を、懺悔するいとまさえもちろん持っていない。これが普通というものだろう。 しかし今回8月8日、救急車に乗った。このクルマは見られるもので、しかも状態がさらけだされるものだ。自分への戒めが増して不思議はない。  神仏にすがってお祈りせねばと俄な気持ちがもたげる身勝手な不惑です。 《2008年8月12日(火)ノート》

2011年8月9日火曜日

ポール・ブレイ

《1980年8月7日》
 夏が戻ってきた日、Paul Bleyの“ Open To Love”を昼下がりの緩慢さにのせてみた。  Chick Coreaや Keith Jarretteのポップス性には及ばないことはひとつのウイークポイントかと、大きく認めていたのだけれど、久しぶりにターンテーブル上のスピンを目指してみたところ耐えられない大きいものを見出してしまった。
 よく日本人好みとか、泣きのメロディに弱いとかいって、その音楽の質感を婉曲に俗化させてしまう傾向があるように思う。 しかし、多分にそれは民族的な慣習とかの名残であって、どちらかと言えば個人的な音楽体験によるものだろうと思う。 
 先日、「イルカの日」のサウンドトラックを聴いたとき、メインテーマのあまりの美しさに、くぎづけされるほどの感傷を抱いた。 過去に「いつか見た青い空」のシンプルな美しさを愛していたボクは、自身のジャズ遍歴と同調して、もう新しい感覚の美意識に徹するあまり、単純なものへの傾倒は少なくなるのではなかろうかと案じていた。 
 意に反して「イルカの日」の美しさに、耐えられなくなった瞼の上のふくらみが熱してくるのが判る。 理性を少しずつ侵食している。
 初聴だから、戦慄を呼び込むのかも知れない。
 そのハンディに馴れをのせて聴いてみれば“ Open To Love”の頑くなな失俗性と耽美質は決して並のものではないのが改めて認識させられる。
 こんなにも、力がわあっと躍り込んでくるなんて、やはり凄い。 

2011年8月7日日曜日

納涼

拝島にいた頃、勤務先の若い仲間たち、数10人の大所帯で青梅の鳩ノ巣渓谷でバーベキューの宴を開いたことがあった。1965,6年頃かと思う。クルマで移動したのか、電車で行ったのか想い出せないが、宴となれば音楽で、現在のような電子機器はなく、音を出すことさえ難しく、電源を確保することも野外では叶わない、それでも踊れる音楽は用意できた。ツイスト系かベンチャーズ系の音か、A3サイズくらいのポータブルプレイヤーでドーナツ盤レコードを掛けたのだと思う。単1乾電池4個か6個で動いた?と。その蓄音機に自分はオリーバー・ネルソンの30cmLPをのせたのだ。既にビートルズもバカラックもカバーされていて、流行の最先端の輸入盤だった。さてこの「オリバー・ネルソン・プレイズ・ミッシェル」はどこで買ったのだろう。立川?かな。挿入フォト、鳩ノ巣渓谷、1966年8月15日。《2007年8月6日(月)記》。

2011年8月6日土曜日

広島

8月の広島を、将来の位置づけに、あるいはその地に嫁するかも知れぬ、そのような心境を携えてムスメは出かけた。
8月の広島を思う日頃の考えを、赤裸々な気持ちの集積を、なまぐさく今伝えることに、言葉の選択は困難を極める。
ただ自然に入って欲しい、その一念だけである。我が子を信じると・・・。 《2010年8月9日ノート》

2011年8月4日木曜日

凶器

かも知れない。昨日6号国道を北上中、大型牽引トラックにクラクションを鳴らされあおられた。こちらは軽自動車だから尚更であるが、優しくできない事情があったのかと、そして週末土曜の午後の忙しさと、推測するが、安易な判断では危険だ。単純に回避する機転と譲りで見送ってしまったほうが絶対得策だ。予期せぬ、動きをする人もいることだから。   昔、東京府中で撮った、この地だから何故かうまづらと称すが優しい顔の、入院中のダンプを挿入します(1960年代のダンプトラック)。《2007年8月5日(日)ノート》

2011年8月3日水曜日

定番

8月になると、必ず夏物の音楽をかけたくなる。古くは、「夏の日の恋」や「太陽がいっぱい」などの映画音楽、それと「パイプライン」やビーチ・ボーイズなどのサーフィン・ミュージックと決まった感触だった。
CDの時代になり、中古品ショップの廉価盤棚には魅惑的な洋盤が並び始めた。たった1曲のとっかかりで求めた中にたくさんの“きら星”を見つけた。
筆頭はクリス・レアの「オン・ザ・ビーチ」、次いで10ccの「Dreadlock Holiday」、Rosie Gainesの「 Closer Than Close」と、カーズの「ドライヴ」も含めてもいいかと?
そして多くのレゲエ佳曲など・・・。
《2007年8月4日(土)記》。