2011年2月28日月曜日

豹変

かと思われるような、昨日の晴天からの、今日の氷雨。
まあ、このような雨ごとに春が着実に訪れるのだろうけれど!
筑波山の梅は、紅梅が先行してはいるものの、まだまだの感あり。それでも、風情は汪溢しており、花粉症のマスクと共に広がる気配は濃厚。
ゆっくり歩を進めても、早春の陽射しは快く、軽い汗をほうふつさせる。もちろん、きのうの散策路。

2011年2月27日日曜日

抹香くささ?

昨日、近隣のアウトレット・モールへ出かけた。象徴的なランド・マークが、不思議なコントラストを演出する、まさに、ワールド。昼食のドリアが和風に加味されると、尚のこと。

2011年2月25日金曜日

1983対2006

《2008年2月25日(月)》
実写版対アニメ版。「時をかける少女」のことです。すごい23年も経ている、原田知世さんが今CMでコーヒーの宣伝に出ているのを見ると尚のこと、凄いのを痛感する。83年版は、瓦屋根が崩れたりと“八つ墓村”みたいな怖さが青春ものの純な視線を不気味化させている。入江たかこさんと上原謙さんを登場させただけでも雰囲気は固まる。いたしかたない?と思う・・・ひきかえ06年版アニメは、よくできている。創造が加えられて、男子のコウスケ、チアキと女子のマコトの3人の名前とから既に性格と現在の時代感覚が盛り込まれて、その位置すら想像できる。奇妙な体験が、実は早とちりだったり、もしくはおっちょこちょい、あるいはおせっかい、あわてん坊という感情が原因になっていることを観客には推察させる、ほのぼのとした時間差をみせてくれる。だから実験室の秘密も、チアキの告白も、神秘なるもののエピソードとして軽く受け止めることができる。そのほか“耳をすませば”的な恋愛観も進路選びもちゃんと‘高校生’の位置で描いているので、爽やかさは充分感じられる。3人の親しさと周囲の距離感が自由なとらえ方で、ふと懐かしくもなしえなかった時代の理想も醸し出す。マコトさんが疾駆する駅前の坂道と踏切は、‘かける少女’を支える空間に仕上がった、と。

2011年2月24日木曜日

短気?

《1981年2月24日(火)》
身勝手な好意の押しつけの主体性を伴わない言動に、自分がうっかりのせられてしまって、本気で腹を立ててしまう時がある。もちろん、相手擁護のために、のせられているという演技性を尊重しているのだけれど、何故か相手の不用意なマジな神経に怒ってしまった。相手も同様に怒っていたのかも知れない。いや、怒っていたのは事実だ。それも、彼自身の過ぎた行為を勝手に、ぼくのせいにしてくれて・・・・・。

2011年2月19日土曜日

雪の想い

《1980年2月19日(火)》
雪が降り出したのは、昨夜の1時頃だったのであろう。店を出たとき1時半頃には、うっすら白く地面を濡らしていた。このまま降り積もりの勢いを感じなかった。細雪で、さっと消えてしまいそうな、淡雪のように思っていた。
今朝は、昼の光の中で、しきりと上から上から、ひっきりなしに舞って舞い落ちていた。雪だった。あとから、あとから雪だった。
雪の想いを・・・・・。
と言うつもりでいたのに。
死んだという話で、びっくりしました。死ぬことに不思議はないけれど、自分自身の関わり合いでひどく気を揉みます。レコード屋のおやじさんのことです。一緒に仕事をしていたのだから、間をおいて、わりと親密にしていたのだから、愁傷の気持ちはふくらみます。一つのきっかけとか、腰の入れ具合とか、或いは、金額のゼロの数の差とかの、ほんの些細な間隙によって、お互いの力を交換したことで、こんな結果を導いてしまうのだから、少しは恐いという思惑で神妙になってしまう。
きょうが葬式。わずかな雪を踏んで旅立ち。その送りの中に、ぼくは加わることが出来ません。いろんな困惑の中で、行き来する、引き潮のような愁いはあるけれど、ストレートに表現するは出来ぬから、ぼくの元気さ、冷静さに免じて、ここで合掌。
やはり、春への、淡雪・・・・・。
昼すぎには、最後のひと舞が、上の上から、ねじれるように降りてきて、さあ、おしまい・・・・・。
寂しさに浸ることもなく、疲れに陥ることもなく、春。そんな春の方が、いいのかも知れぬ。雪・・。死・・・。春・・・。

2011年2月13日日曜日

雪の翌朝

昨日は、雪。今朝は、凍結が予想されたが、筑波のビュースポットを目指して、下妻側辺から朝日を臨んだ。午前7時頃です。

足元は滑りやすく、霜もまだ結晶を見せていた。

2011年2月11日金曜日

《1967年2月11日》
こんにちは、
お便りありがとうございました。
土曜日から、珍しい雪が降り始め、建国記念日の今日は、随分積もりましたね。4年ぶりの大雪とか。雑々した都会の街中も、今日はすっかり雪で被われ白銀の静かな街に変装してます。
そちら昭島の方は田畑など、いくらかあるのですか。きっとそちらは、こちら都内以上に積もっていることと思います。いくつになっても雪がちらちら舞い落ちてくると、何となく心がはずみますね。まして今日のように積もると冷たさを忘れて、雪団子など作って童心に戻ります。
一昨日、昨日と電車の中、新宿駅など、スキーを肩にした若者がたくさん群がっていました。スキーは好いですね。私はまだ一度しか滑ったことがないのですが、あの雪景色は本当に素晴らしいと思います。浅野君はスキーには行かないのですか。私も、もう一度スキーにゆきたいと思うのですが、例の骨折が心に残っていて、スキー、スケートはどうも恐ろしい感じがします。でもスケートはもうしなくても、スキーはまだやりたいと思います。このように雪の中を歩いていると、つくづく行きたいと思いますね。
浅野君は今日あたり、どのようにお過ごしでしょうか。おこたの中で、ステレオを聴いているのかもしれませんね。(おこたはありますか?)外は雪で、あたたかい部屋の中で、音楽に耳を傾けるなんて素晴らしいですね。
私は音楽は好きなのですが、どちらかと言うと自分で歌う方が好きみたいです。それにレコード鑑賞の方は、今まで耳を養うことを、なまけてしまったせいか全然駄目です。寂しいことです。これからでも間に合うでしょうか。ショパンの曲あたりを聴いて“ああ、いいなあ”と静かなやさしい想いにはなるのですが、それ以上には曲の芸術性とか、演奏の素晴らしさなどという点までは判りません。やはり沢山の演奏やレコードを聴くのが先決でしょうか。そのうち機会がありましたら是非教えて下さい。クラシックなどは聴いていても “好いな~”と思うのですが、モダンジャズなどとなると、ラジオから流れてきても うるさい としか思えないのですから、情けのないことですね。
昨年の暮れと、年始めは久しぶりに友だちに会えて本当によかったと思っています。これからも何年後も何十年後も、ああしてたまに会って昔に戻って話し合いたいですね。でも私など残念なことに、中学時代、私に限らずですが余り話したりしなかったので、それだけ親しさ懐かしさは、あっても幼友達とか旧友とかの、独特の感情は湧いてきません。今になって中学時代もっと同級生らしい交友を持てれば、好かったとつくづく思いますね。
でもなんと言っても田舎の友は好いですね。私は今でも飯田さん、糸賀さんとは他の誰よりも親しく交友してます。糸賀さんはもう奥様になってしまいましたが、それでも、会うと何とも言えぬ友情らしきものが湧いてきます。飯田さんとは住んでいるところが近いので随分行き来をしてます。17,18日は牛久の糸賀さんのお宅に飯田さんと二人で尋ねることになってます。久しぶりに三人で会って、いろいろ話の花を咲かせてくるつもりです。今から楽しみです。

2011年2月8日火曜日

渦中

《1981年2月8日(日)》
世間の評価などというものは、噂程度のもので、真実を外れて、誤解で埋まっている場合も少なくない。被評価の本人は、その誤解を真に受けて、悦で肯いていたりする。自負とか、自惚れとか、いうやつだ。ま、それほどの自信過剰や無知ではなくとも、世間から単純視を注がれることに、即ち一つの仮定を唱えられることに、疑問を感じなかったり、訂正を企てる勇気がなかったりの本人であることも事実だ。
入学試験たけなわ・・・・・。
殆どは、その合否通知待機の渦中にいる。ぼくは多くのその渦中の知人に対して野次馬になって結果を待っている。合格してくれりゃ・・・いいと思う。しかし、その合否に関係なく、つまらなく思える人もいることは確かだ。それは、自負とか自惚れの世界に応えようとする意志さえ見せなかった、誤解の証明であるかも知れない。
自分を知ることは偉大な出発点である。出発点を大学にすりかえている訳ではあるまい。無数のアイテム化した大学の商品価値に、自身の購買心理を向けたときに、決められる筈だった商品名が、財布の中味を調べている最中に、蓄えをたしかめる時間の余裕の無さや、騒々しい流れのしびれから、みごと、別のブランドに移行して故意であることを、ほのめかしてみせてくれる。ノーブランドであろうが、PBブランドであろうが・・・・・もちろん、ナショナルブランドであろうが・・・?と。

2011年2月4日金曜日

おカッパ

《1981年2月3日(火)》
おカッパ頭の髪型の、それらしき姿を眼にとめると想い出す。
「あれ、“M”さんじゃないか!?」
と。
昨年が成人。専門学校がふつうなら、ことしが終了の筈。
日本画は?Designは?
ジャズは、Oliver Lakeは?  Albert Aylerは?と・・・・・次から次へと想起させる。
容姿に於ける、ぼくの単純な印象は変わってはいない。
“M”さんなら、いつ、どこでも、そのおカッパ頭の髪型とセーターとジーンズしかないんだ。
むしろ、変わってしまうことも細やかな期待ではあるが、まず“M”さんである証を捨て去らないでいられるのが、彼女たる由縁なのかも・・・・・。

2011年2月1日火曜日

如月

《1982年2月1日(月)》
このあいだ、賀正なんて挨拶を交わしていたと思ったら、早くも2月。酷寒の衣更着であります。
一昨日のこと、夜遅く、ほんとに珍しいことに、本橋千寿子さんを識っている中山さんが久しぶりにやってきた。22才の淑女だ。当然、本橋さんも22才の青春期か。
しかし、中山さんから本橋さんの話は全く聞かれず、彼女自身の家庭の翳りある騒動が伝えられただけだ。どこそこにも似たような醜聞が多くあって、その悲しさが滑稽に映るほど、馬鹿さ加減に溢れている。
哀しさを超えていて、憤りする気力も薄れてしまう。
何故だろうか。
最善を分担する知恵はないのだろうか。
収縮し、膨張する精神の自由な我が儘を、自ら調律する強さを、お互いに確かめあう必要はある。それが会話だろうと思う。