2010年11月28日日曜日

浅草

親戚が北千住にあり、その夏休みとかには遊びに行った。連れて行ってもらえる場所は、浅草や上野公園で、国際劇場も多かった。SKDが乱舞する、ラインダンスの国際劇場である。もちろん映画もいっしょだった。昭和30年代頃の昔だ。

その、浅草へ昨日、ジャズを聴きに行った。実は10数年前にも同様のコンペを家族4人で、見に行った事がある。浅草公会堂で。

案外とつまらないというのが感想でした、つまりコンテンポラリーな感覚から外れてしまって、それが所謂浅草ジャズなのかなあとも思えるが。それはもちろん10数年前も同じ思いで、だから時を経ても同じ感想というのは、ジャズという音楽レベルでは進化しないのは残念ながら否める対象になってしまう。
その中で、山本京子さんは良かったと思う。知名度は低いかも知れないが、声量、歌唱力は群を抜いていて、その無国籍たるを発揮し、音楽の世界から、共振作用を蒔いていた。つくばのコンサートで過去に出会った、クローデット・シエラさんを即座に想い出した。こんな素晴らしい仕事をしている人が、さほど知られずに世界を回っているんだと。  

今回は30回を記念する、プレミアムコンサートで、プロ主体のプログラムであった。メインは守屋純子ユニット。個人の感想では、似たような活動なら宮本貴奈さんの間口の広さと、柔らかい感性に傾く。

2010年11月27日土曜日

となり景色

たまに、5年以上も時を隔てて旧交?を攪拌する・・・その行為の照れくささ、顔を合わせた瞬間の抑えようのない微苦笑・これは避けたいくらいだが、覚悟しつつ前の勤務地へ出かけた。顔を見せ合ったときに多くの面に平均した感情を送り保てないのも事実だ。白けるからだ。好きな人にだけ会えばいいと割り切る。のだが?
この場所(阿見)からは、10年以上も季節の表情を見つづけた。緩やかな、秋の午後。11月23日。

2010年11月24日水曜日

よくぞ

頂上までという感慨!しかし、ケーブルカー仕立てだから、ちっとも偉そうなことではないのだが、普段は杖を頼りに、しかも腰痛を抱えている身としては?
もう、山はだめだろうと考えていた。が家族4人の行事で3人は登山道からで、1人はケーブルカー往復というかたち。
雨の筑波山、22日です。

そして頂上は、霧で周囲は見えず、下って神社辺は、見事な紅葉。快い筋肉痛今日までつづく。

2010年11月21日日曜日

八郷の秋

やさとクラフト・フェアに出かけた。

地元の豊饒な自然が誘う、ロケーションで素朴な音楽祭?もあって、

が、この時期はやはり、紅葉、

2010年11月20日土曜日

商戦

この時季になれば、クリスマス。
その前に、収穫祭のような、小さいイベントが、そこかしこで催される。
すべてが、冬を迎える準備のようでもある。
ジャズの文字に反応して、取り敢えず出かけてみる。ショッピング・センターのステージは早くもクリスマス・ソング。

キャロル山崎さんという、ヴォーカリスト。華が感じられて、良かった。場所にそぐわず、のりが乏しくなるのは仕方がないか?。師走の風でもないのに。安易な世界などあるはずもなく、その華が、少し寂しく映る。

2010年11月15日月曜日

平沢官衙

ひらさわかんが と言う。つくばの遺跡だ。

きょう、家族は筑波山へ、こちらはその遺跡の周辺をぶらり。

雨待ちの天気で、筑波山は今にも降り出しそうな雰囲気。
案の定、この写真から1時間もしない内に、冬に誘うような、少し冷たい雨。
紅葉は来週あたりが、見頃だろうか。

2010年11月11日木曜日

中秋

この季節の学園(つくば)の街路樹は、どこもキレイだ。クルマに集中していて(運転は嫌いだから)、チョッと停車してデジカメを操作する余裕の贅沢?を自ら喪失しての稚拙な大人だよと思いながら、眼の奥にしまいこんだシーンの感動を言葉の感嘆詞だけで披瀝するのみ。

そして、もう枯れ葉が舞うのです。
《2008年11月11日(火)記》。


ちなみに、上は、西大通り、下は奥多摩辺。

今年の並木は、408号も西大通りも東大通りも、錦秋の域に入っている。

2010年11月5日金曜日

益子・秋

我が家族は、陶器のファンで毎年春、秋、益子を訪ねている。自身はそれほどではないが、久しぶりに同行となった。少しは足手まといなのである。むろんその気持ちを充分配慮してである。
もう、10年以上は空いている。
通りも店構えも都市化して、その間隙におしゃれな、あたらしの「うつわ」や「カフェ」が登場した。
正直言って、陶器等の良さを、よく認識できない。好きなものを選ぶことはできるが、あれこれの基準はもてない。簡単なことにセンスが左右され隣りにおさまる、宏大な自然にふわっとカメラが移動してしまう。

2010年11月3日水曜日

風と共に去りぬ

 恐らく、ジャズアルバム購入の中でもこのタイトルは、いちばん最初の頃にあたるかも知れない。もちろん「風と共に去りぬ」は、周知の、小説、映画の題名で、マックス・スタイナーの“タラのテーマ”と勘違いしたのである。ジャケット裏面の曲名解説にそれらのことにいっさい触れてないから、よけい思いこみだけで買ってしまったのである。
 そして少し知ったかぶりをして、この同名異曲の存在を吹聴した。失敗をごまかした行為に似ている、おろかを繰り返したのかも知れない。
 1960年の邦盤で、60年代中頃に拝島駅前のレコード店で見つけたものだ。
 ディヴ・ブルーベック・クワルテットというカナ書きで、縦書きのライナー・ノーツの中では、四重奏団として記されている。大ヒットの「タイム・アウト」以前でもありましたが、かなりよく聴いたアルバムです。宇都宮で求めたアート・ブレイキーのジャズとは異なった取っつきやすさで、清々しいポール・デスモンドの演奏にのめるきっかけだった。《2009年11月3日記》。

2010年11月1日月曜日

秋憂

《1980年11月1日(土)》
秋風が非常に身にしみて感じられます。
先日、学校の休み時間、中庭に散る木の葉をみて何かを思いつつ、図書館に入り、ゴッホの絵を見ておりますと、突然テレビでよくやっているような曲が、スピーカーから聞こえてきました。
ぼくにとっては、フォーク、ロック、歌謡曲と呼ばれている音楽の中にも、確かに良いと思うものもありますが、それらにはひじょうに薄っぺらいものが多すぎます。といってジャズやクラシックの全てがそれらよりも良いとは、ぼくは思ってませんが・・・・・。
人にはそれぞれ好き嫌いがあると思いますので、あまり言いませんが、それでもルオーのキリストの絵を見てください。ぼくはかつて、この絵を見てどんなに勇気づけられたことでしょうか。レンブラントの絵を見てください。愛情に満ちあふれているではありませんか。その美しい世界は音楽の中にも生きています。コルトレーンの音楽はぼくにとって難解ですが、それでも何か共通するものが感じられます。また木の葉が落ちていく景色には、ボク自身としましては、ブラームスの交響曲第4番や、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(シゲッケィ)が非常にいいと思いますが、ビル・エヴァンスの枯れ葉も、マルのレフト・アローンもいいと思います。
ところで、ジャズとクラシックを同時に聴くことができないかという問題に、ぼくはぶつかってしまったのですが、結局は両者にはそれぞれすばらしい面があって、同時に両者には共通する人間の深い感情、生き方、その内面の深さが存在すると思い信じるに至ったわけですが、どうでしょうか。例えば、モーツァルトのレクイエムの美しさ、優雅さはジャズにはとうてい存在しないようなのですが、それでも、モーツァルトが死の床に流した涙は、サッチモ、パーカー、コルトレーンと同じではなかったでしょうか。