2012年2月7日火曜日

座雪

《1981年2月6日(金)》
昨晩、挫折寸前(?)の男子と喋った。常連さんも、一緒だったのですが生活環境を如実に反映した枠内で、あたふたしている状況に支えられているのを感じてしまった。はたしてそれが挫折だなどと思えまい。自分が思い立った時から予め用意されていたトラブルの一つに過ぎない。
考え方がみな同じだとは思えない。それぞれの判断が大きく認められるだろう。しかし無知な場合には苦笑してしまえば済む。知識や教養が人格を成している場合には、その影響力に左右されているのを感じるだけだ。ジャズでもスポーツでも、勉強でも基準が狭いというのは、頑なさにあらず、温湯に浸水することの安易性を増殖させているのかも知れない。
一種の挫折(?)と見做せる夢中に在ったから、まだいい。頭も達者で、口も、そして心も達者な生まれついての好環境を、いや長所を自在放任の中で泳がせるのはたやすい。存在のみが尊ばれるからだ。長所は顕在化している表面だけのこと、その表面だけのことが定着してエゴとなって輝き始めると、短所として位置を代えてしまう。
この種の人間は、よく見るほど多い。
単なる好奇心や自尊心を満足させるだけの力は、いつかすぐ冷める。自身からの能力を抽き出し、表現するために夢中になれる努力は、当然の軌跡を描いて、小さな自信を秘かに植えつけていく。その対象が大学であったって、趣味であったって構わない。敬いに値する新鮮な対峙を強いる細やかなおののきが、自身へのリバウンドを約束させるものと思う。反射神経は一つのセンスであろうか、が身についた器の中で、ハンブルしドリブルさせる力は、ゲーム染みてみえる。

0 件のコメント:

コメントを投稿