《1980年2月25日(月)》
Geidai とか Musabi とか音列には、ひどく敏感に反応し一種の抵抗、コンプレックスを抱いていた時代があった。
大学へ行って絵を描きたいと思っていた。具体的に大学について考えるようになったのは、高校2年の頃だろう。自分の家庭のことや、将来のことを考えると、国公立しか浮かばなくて、成績を顧みて単純に進学を諦めた。この単純性がぼくにとっていちばんの支柱になっている。
デザインに興味があり、僅かの力も持ち合わせていたから地方デパートの宣伝部に就職した。そこで、のうのうと構えて知識と実力を増やしてのんびりと落ち着くことも可能でした。しかし許せなかった。その時周囲にいる先輩が、女子美だったり専門学校出の経歴なのに、脅威を与えるほどの、テクもセンスもないことが腹立たしかった(?)。
だからただ何となく、デザインという響きのよい言葉の中でくりかえされる日常性に対して、不満が湧いてきたのである。慣れの中で技術を身につけることは大事であるが、要は本人のデザイン意識なのである。
高校出は、やはりそれだけしか自分の中で、逞しくなれなかったのである。進学という言葉から描かれる各種美大への羨望が、その当時いちばん強かった。「美」ということに執着できる環境が欲しかったのかも知れない。
で、その後・夜間の専門学校に通う。
Geidai とか Musabi とか音列には、ひどく敏感に反応し一種の抵抗、コンプレックスを抱いていた時代があった。
大学へ行って絵を描きたいと思っていた。具体的に大学について考えるようになったのは、高校2年の頃だろう。自分の家庭のことや、将来のことを考えると、国公立しか浮かばなくて、成績を顧みて単純に進学を諦めた。この単純性がぼくにとっていちばんの支柱になっている。
デザインに興味があり、僅かの力も持ち合わせていたから地方デパートの宣伝部に就職した。そこで、のうのうと構えて知識と実力を増やしてのんびりと落ち着くことも可能でした。しかし許せなかった。その時周囲にいる先輩が、女子美だったり専門学校出の経歴なのに、脅威を与えるほどの、テクもセンスもないことが腹立たしかった(?)。
だからただ何となく、デザインという響きのよい言葉の中でくりかえされる日常性に対して、不満が湧いてきたのである。慣れの中で技術を身につけることは大事であるが、要は本人のデザイン意識なのである。
高校出は、やはりそれだけしか自分の中で、逞しくなれなかったのである。進学という言葉から描かれる各種美大への羨望が、その当時いちばん強かった。「美」ということに執着できる環境が欲しかったのかも知れない。
で、その後・夜間の専門学校に通う。

