2012年10月25日木曜日
2012年10月22日月曜日
amabiki
昨日は、アマビキ。 家族3人で。
以前にアママキを識った。アママキは栃木、益子辺である。どちらも雨に因んだ響きのよい語感だ。文字を換えると雨引き、と雨巻きとなる。
地名であり、山でもある。
その雨引観音は、七五三の季節で賑わいの様相。
もうここへは3度目になるか、最初は子ふたりが園児、児童のころに参拝した。
そしてきのうは登山の計画であって、こちらは雨引山から岩瀬方面へ縦走する健脚の2人を下山口まで迎えにゆく快諾なる使命。
ちょうど正午頃、岩瀬駅は閑散を極めていて、整備された駅前は小春日和に突入寸前の陽気・・・・・。
しかし、駐輪場は満ちていて、朝夕の改札口は相応の往来になるのだろうか?信じられないくらいのギャップを想う。
現在はJRのみの鉄路ながら、過去は土浦から発していた常総筑波電鉄の終着点でもあった。
以前にアママキを識った。アママキは栃木、益子辺である。どちらも雨に因んだ響きのよい語感だ。文字を換えると雨引き、と雨巻きとなる。
地名であり、山でもある。
もうここへは3度目になるか、最初は子ふたりが園児、児童のころに参拝した。
そしてきのうは登山の計画であって、こちらは雨引山から岩瀬方面へ縦走する健脚の2人を下山口まで迎えにゆく快諾なる使命。
ちょうど正午頃、岩瀬駅は閑散を極めていて、整備された駅前は小春日和に突入寸前の陽気・・・・・。
しかし、駐輪場は満ちていて、朝夕の改札口は相応の往来になるのだろうか?信じられないくらいのギャップを想う。
現在はJRのみの鉄路ながら、過去は土浦から発していた常総筑波電鉄の終着点でもあった。
2012年10月17日水曜日
進路
就職シーズンである。自分のことを想い出しても、きれいにダブラないほどに若者らしい様相を呈示して社会人へ足を踏み入れていく者。就職に限らず快適な温湯生活を、不愉快ながら脱け出して齢を数えて大人になっていくというのは、何かせつなかろうかと思う。
自然と、のんびりと変わっていくものには、10年経っても自分でさえ、それとなく解るのは周囲や環境だけで、他人からはやっと、少し変わったね・・・程度の幾分軽めの尊敬の言葉を吐かれるぐらいだろう。
適当な自信を振りまいてきた相応の世界には、次の新鮮な魔力を臆面もなく披露することによって変わったことの弁解をしなくても済む。
周囲から執拗な注目を浴びせられていて、それに必要以上の応え方をしていた場合には、弁解を余儀なくさせられる。・・・・・と思っているからだろうか、数ヶ月も抱いていた将来への生真面目な夢、計画を自らの口で変わったと言い始めて、新たな感染路を表に出して破壊してしまった。
少女からこれを聞いた時、進学というごくあたりまえの経験を前にした18才の考えが見えて、ちょっと落胆した。見えてと言ったのは普通のことなのに強調して、以前の自分の普通のことを忘れているらしかったからだ。少女が自身、普通なことを世間的な普通を、生きていくために合致させていかなくてはならないのは、辛かろう。成長していくにつれ、伸び一方の芽だった筈のものを、大多数の良心で諭され摘まなくてはならないのは、もしかしたらそれが隠されていた本音に過ぎないのかも知れない。
それでも、ぼくは1個の個性と観ている。生きていく方法は、かなり妥協的になってきつつも所謂、抗い方や、弁解や、披瀝の応酬そのものは、彼女の個性に違いない。その生の部分に多くが集中しているのみで、音楽に惚れていた感性や、情報文化に働いていた触角なんかが、単なる娯楽という誘惑の中で、息づいていたのじゃないか、それが唯一の刺激を与えていたのかと。
育てるというのは実はこれからで、少女そのものの名前と、肉体についてまわるものによって変態をくりかえす、最も有機的な交錯が、きっと別な時と場の上に、新しい個を結ぶだろうと思う。
《1980年10月19日(日)ノート》
自然と、のんびりと変わっていくものには、10年経っても自分でさえ、それとなく解るのは周囲や環境だけで、他人からはやっと、少し変わったね・・・程度の幾分軽めの尊敬の言葉を吐かれるぐらいだろう。
適当な自信を振りまいてきた相応の世界には、次の新鮮な魔力を臆面もなく披露することによって変わったことの弁解をしなくても済む。
周囲から執拗な注目を浴びせられていて、それに必要以上の応え方をしていた場合には、弁解を余儀なくさせられる。・・・・・と思っているからだろうか、数ヶ月も抱いていた将来への生真面目な夢、計画を自らの口で変わったと言い始めて、新たな感染路を表に出して破壊してしまった。
少女からこれを聞いた時、進学というごくあたりまえの経験を前にした18才の考えが見えて、ちょっと落胆した。見えてと言ったのは普通のことなのに強調して、以前の自分の普通のことを忘れているらしかったからだ。少女が自身、普通なことを世間的な普通を、生きていくために合致させていかなくてはならないのは、辛かろう。成長していくにつれ、伸び一方の芽だった筈のものを、大多数の良心で諭され摘まなくてはならないのは、もしかしたらそれが隠されていた本音に過ぎないのかも知れない。
それでも、ぼくは1個の個性と観ている。生きていく方法は、かなり妥協的になってきつつも所謂、抗い方や、弁解や、披瀝の応酬そのものは、彼女の個性に違いない。その生の部分に多くが集中しているのみで、音楽に惚れていた感性や、情報文化に働いていた触角なんかが、単なる娯楽という誘惑の中で、息づいていたのじゃないか、それが唯一の刺激を与えていたのかと。
育てるというのは実はこれからで、少女そのものの名前と、肉体についてまわるものによって変態をくりかえす、最も有機的な交錯が、きっと別な時と場の上に、新しい個を結ぶだろうと思う。
《1980年10月19日(日)ノート》
2012年10月13日土曜日
思惑
世の中は、思案どおりには決して進行しない。そんな通説じみた一般論を日常よく理解しているつもりなのに、どうしても理解できない事象にぶつかる。そうした、一種のハプニングは野次馬的愉しさを演出してはくれるが、その不思議さを案じるものにとっては、たまらなく哀しい。
もちろん第3者に、介在不可能な私的問題であるのは充分認めている。にも拘わらず、不可解な気持ちを鎮めることが出来ないのは、一つには周囲の温かい心情や、僅かながらの犠牲の上に成立していた事実を踏みにじっていると考えられるからだ。
それほど不人情と感じなくとも会話に結ばせる努力ぐらいは欲しいものです。・・・と思うのは所謂第3者の身勝手なのでしうか。
第3者が見て、不可解に思える時は、おそらく当事者間にもそれに付随した同等のテーマが溢れているに違いないのである。いっそのこと、喋ってくれさえすれば、すっきりするかも知れないし、自分の新しい局面が展がる可能性だってあるかも知れない。
《1981年10月13日(火)ノート》
もちろん第3者に、介在不可能な私的問題であるのは充分認めている。にも拘わらず、不可解な気持ちを鎮めることが出来ないのは、一つには周囲の温かい心情や、僅かながらの犠牲の上に成立していた事実を踏みにじっていると考えられるからだ。
それほど不人情と感じなくとも会話に結ばせる努力ぐらいは欲しいものです。・・・と思うのは所謂第3者の身勝手なのでしうか。
《1981年10月13日(火)ノート》
2012年10月7日日曜日
2012年10月1日月曜日
amamaki
日曜日の朝、台風を恐れて躊躇していたが、急遽家族3人で、雨巻山を登ることにした。
もちろん自分は麓を徘徊するだけであるが、それでも腰の万歩計は正直に携帯に毎日記録することが出来る。何のことはない大した意味合いもない些細な記録だが、時折の記録更新に少し満足する。
1時間ほど歩いて駐車場まで戻ることにした、
2人のハイカーはもう2時間近くも歩いているだろうが、縦走なのだろうか、まだのようだ。台風の接近を免れて、運良く好天でありがたい。しばらくの涼しい陽気が、久々の夏日だ。暑い。
1時も過ぎて、食事をしたいなあと思っている時に2人が帰ってきた。
そして「茶屋雨巻」。申し分のないロケーションで、味わい深い昼食でした。
1時間ほど歩いて駐車場まで戻ることにした、
2人のハイカーはもう2時間近くも歩いているだろうが、縦走なのだろうか、まだのようだ。台風の接近を免れて、運良く好天でありがたい。しばらくの涼しい陽気が、久々の夏日だ。暑い。
1時も過ぎて、食事をしたいなあと思っている時に2人が帰ってきた。
そして「茶屋雨巻」。申し分のないロケーションで、味わい深い昼食でした。
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