はっきりとは憶えていないけれど、24歳の頃に(1968年?)、急性胆のう炎を患って、一ヶ月余、当時土浦駅前にあった新治協同病院に入院していたと思う。8月の末から9月いっぱいだった。その頃は、昼渋谷区初台の地図製版会社で、夜はデザインスクールに通っていたのだけれど、学校は夏休みにあたっていた。退院ののち、10月初旬に東京に戻り仕事に復帰したけれど、いちおう腰掛の積もり?で雇ってくれていた会社が、すんなりと元通りに受け入れてくれたことが不思議だった。翌春には学校を卒業、デザインのためにあっさりと転職したのだから・・・・・。
この頃は、自分の思い通りに生き、燃焼させることに全身が漲っていた。と、数多い転職に表れていたと思う。
ここMUSEへ集まる、どんな若者よりも、職の多さや、無能ぶり(!)では劣ってはいないのではなかろうか。
そして今でも、その時のはかない夢意識が永らえて息をして、主と成れたのかもしれない。飽くなき追求ではあったけれど、固執し続けたという自負はない。流れを適当に認めていて、めぐり合った自身の本音というのが的を得ている。これだから止められないという観念で、楽しみ増加の生き様。
《1980年8月5日(火)ノート》
この頃は、自分の思い通りに生き、燃焼させることに全身が漲っていた。と、数多い転職に表れていたと思う。
ここMUSEへ集まる、どんな若者よりも、職の多さや、無能ぶり(!)では劣ってはいないのではなかろうか。
そして今でも、その時のはかない夢意識が永らえて息をして、主と成れたのかもしれない。飽くなき追求ではあったけれど、固執し続けたという自負はない。流れを適当に認めていて、めぐり合った自身の本音というのが的を得ている。これだから止められないという観念で、楽しみ増加の生き様。
《1980年8月5日(火)ノート》

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