2012年8月27日月曜日

猫のいる暮らし

信じられないことだけれど、猫といっしょの生活を5ヶ月も続けている。そしてもう回避しようもない事実を刻んでいる。
外回りに、犬を飼っていた時代もあった。全く人任せにしていた家主?でした。

少し懲りた気持ちもあり、ペットを飼うのはと!いう姿勢だったが今年3月中旬に何故か、猫を飼う羽目になった。半ば仕方のない事情もあって、飲み込んだ条件だったが家の中を駆けずり回るその身勝手な躍動と、すぐ眠りに陥る平易なアクションに・・・魅されて!!5ヶ月に至った。

で、人任せにできなくなっている毎日、ピッピ(猫の名前)の寝顔をじっくり見つめていて、何か、自分自身の体たらくに被るような、似たもの同士を認める共通項をふと感じる昨今、述懐しきり。

これは3月の頃、今は2.5倍くらいに大きくなり香しき美女?に成長です。みやぅ~ん。

2012年8月25日土曜日

紆余曲折

だったのか、何故か幸運にも自身の、私事にまで入り込む・・・・・電話が届いて!
たまらない、嬉しさです。
それも、すぐ近隣からで。
もっとも、25年前には挟まれるような境遇を認めていて、つくばに引越しをした。その深謀遠慮?がやっと実ると言うのか。
だから、知り合って30年以上は経過しているということです。

近々、再開できるようなわくわく感が既に芽生えています、昨夕から。

2012年8月20日月曜日

酷暑

だった昨日、第三回2012すみだストリートジャズフェスに出かけた。すべて無料。しかも枠が広く狭義なジャズを超えてあらゆる音楽に出会える貴重なイベント(第一回の時に出会った、Instead of Netは感銘)。アマ・プロ混在のプログラム構成。やはり若い感覚でないと、ありきたりの羅列に終始してしまう。もちろん選択多肢ゆえ、とばす気分であちこち歩いてみる。

ただ暑いのには閉口する、音楽の内容を詮索・云々する気持ちがそがれてしまう。

というわけで駆け込むようにトリフォニーホール(=素晴らしい音響施設会場)に涼を求めた。並行催の墨田区民音楽祭でのビッグバンド3組を堪能?した。吹奏楽普及の昨今それぞれ高い技術、教育的な型にはまった音楽であるのが欠伸の因かも、途中休憩時には午睡も叶った。

ここはスカイツリーに近い錦糸町。
帰路には点灯夜景のツリーを見ながら、ああ、ひさしぶり、疲れたの・・・思いの真夏の半日でした。

2012年8月19日日曜日

中くらい

昨日(18日)は、都会へ出かけようかと予定していたが天気予報に、ならって変更した。身近なところでジャズ三昧?って感じだ。
ジャズなら何でもいいのですが、50年以上の聴感覚がいたずらな耳たこを作っていて、素早く反応する。「中くらい」だと。

好みは過激、感動、熱演でしょうか、観客と企画と環境によってしつらえられたステージに「中くらい」の・・・というものに期待しても仕方がない。これで充分すぎる満足を得る人たちが多い。

そういえば過去には軽音楽なる範疇も存在した。まさにそれかな。

2012年8月13日月曜日

うれしいゆり戻し

24年(自分には)ぶりの同窓会が終えてほぼ1ヶ月。
そして、報告のような写真が届いて、やはりみんな年とったなあ・・・の証をしっかり見つめ直しました。
これは、残暑に至る前の、うれしいゆり戻し。
いつまで記憶をつないでいられることやら、きちんと会話を交わせることやら、心配もいっぱいですが、花鳥風月のごとき自然のままに、揺らいで生きていければと・・・?














今日はお盆です。
またしても、思いいっぱいのモノクロームです。ごめん。

2012年8月11日土曜日

表裏

《1980年8月11日(月)》
日本における四季の良さを肌で感じつつも夏と冬には、いつも思うのは夏になると「冬が恋しく」なり、また冬になると「夏を思う」。春と秋にはそういうことはない。でも、今は暑熱の太陽がカンカンと照って、水銀柱がうなぎ上り。身体からは汗が流れ落ち、不快を感じざるを得ない夏なのだ。海に行きたくとも金はなし。また仕事に追われる毎日で、それもままならぬ。出来る事は、海ならぬ家の近くのプールへ行っての水遊び。この間ことしになって初めて行ったのだ。毎度のことながらヒト、ヒト、ヒトの大洪水。そして嫌悪感だけしか残らない。でも海に行けぬための、一手段のプールとして割り切って、また出かけることのやるせなさ。そして海よりプールの方がいいなあと自己暗示をかけながら、暇をみては行っている。やっぱり水遊びは楽しいのだ!

2012年8月5日日曜日

24歳の頃

はっきりとは憶えていないけれど、24歳の頃に(1968年?)、急性胆のう炎を患って、一ヶ月余、当時土浦駅前にあった新治協同病院に入院していたと思う。8月の末から9月いっぱいだった。その頃は、昼渋谷区初台の地図製版会社で、夜はデザインスクールに通っていたのだけれど、学校は夏休みにあたっていた。退院ののち、10月初旬に東京に戻り仕事に復帰したけれど、いちおう腰掛の積もり?で雇ってくれていた会社が、すんなりと元通りに受け入れてくれたことが不思議だった。翌春には学校を卒業、デザインのためにあっさりと転職したのだから・・・・・。
この頃は、自分の思い通りに生き、燃焼させることに全身が漲っていた。と、数多い転職に表れていたと思う。
ここMUSEへ集まる、どんな若者よりも、職の多さや、無能ぶり(!)では劣ってはいないのではなかろうか。
そして今でも、その時のはかない夢意識が永らえて息をして、主と成れたのかもしれない。飽くなき追求ではあったけれど、固執し続けたという自負はない。流れを適当に認めていて、めぐり合った自身の本音というのが的を得ている。これだから止められないという観念で、楽しみ増加の生き様。
《1980年8月5日(火)ノート》