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2011年4月20日水曜日
去就
《1982年4月20日(火)》
決断を要する時が来る。これまでも、そんな時はあったに違いないのに、自身の器量によって、なだめすかしてきた。あくまでも、それは自分の器量だから、第3者的判断では、去就が定まっていた時であったかも知れない。他人は、それを優柔不断と称する。外面的には批判は適格だが、個々のもつ特異な性格の成果を無視している。
去就という言葉について考えてみると、人間の生涯なんて、得るか、失うかのどっちかだろうと思う。打算を除外すれば、出会いの1語に尽きるだろうか。契機に瞬時立ち会って、無腰のままの、潔い判断は、哲人であっても出しにくいであろう。打算とまではいかなくても、寒風の中で着衣を剥がれるような苦境に陥ることは必至だ。
いま、世の中を支配しているのは、巨大なデッキだ。個々それぞれは再生され、回転しているに過ぎぬようだ。狭視的に捉えても、再生専用デッキのごとく生きているように見える。しかし、再生でも能力が備わっていれば相応の生き様は可能。
好きなものを発見したとき、自の努力で苦もなく熱することは出来る。単純な再解釈は可能だけれど、熱したものを鍛えあげる表現力は誰にでも可能だとは、言えない。そそのかすというか、おだてあげるというか、応援されるものも、必要である。そのものは、人であったり、知識であったり、自身を愛でる心であったりであろう。
決断を要する時が来る。これまでも、そんな時はあったに違いないのに、自身の器量によって、なだめすかしてきた。あくまでも、それは自分の器量だから、第3者的判断では、去就が定まっていた時であったかも知れない。他人は、それを優柔不断と称する。外面的には批判は適格だが、個々のもつ特異な性格の成果を無視している。
去就という言葉について考えてみると、人間の生涯なんて、得るか、失うかのどっちかだろうと思う。打算を除外すれば、出会いの1語に尽きるだろうか。契機に瞬時立ち会って、無腰のままの、潔い判断は、哲人であっても出しにくいであろう。打算とまではいかなくても、寒風の中で着衣を剥がれるような苦境に陥ることは必至だ。
いま、世の中を支配しているのは、巨大なデッキだ。個々それぞれは再生され、回転しているに過ぎぬようだ。狭視的に捉えても、再生専用デッキのごとく生きているように見える。しかし、再生でも能力が備わっていれば相応の生き様は可能。
好きなものを発見したとき、自の努力で苦もなく熱することは出来る。単純な再解釈は可能だけれど、熱したものを鍛えあげる表現力は誰にでも可能だとは、言えない。そそのかすというか、おだてあげるというか、応援されるものも、必要である。そのものは、人であったり、知識であったり、自身を愛でる心であったりであろう。
2011年4月15日金曜日
ノア・ハワード
《1980年4月15日(火)》
久しぶりに、「Noah Howard at Judson Hall」を聴いた。Side One の “This Place called Earth”を。このレコードを買って10年近く、いやそれ以上は経っているのに、おそらく20回ぐらいしか回していないだろうと思う。しかし、それでいて愛聴盤なのである。メロディがいいと思う部分は、民謡的で、アンサンブルにかかるあたりのぞくぞくする気分は格別なものだ。アルト・サックスとトランペットが過ぎて、Dave Burrellのピアノ・ソロに入る頃、怠惰な指使いによって弾かれるカオス状への召喚は、足を引き合う者たちの洗礼かもしれない。
続けて、何度も聴いて記憶していく類の音楽ではない。メロディやトーンのラインをなぞっていって、快感を覚える音楽ではない。
余りに、うるさく思っていた後半部で、Robert Kapp の drums が繊細に、たたかれているのを改めて聴き入りと、ふいに睡魔が押し寄せて、こっくり肯いてしまうのだった。
久しぶりに、「Noah Howard at Judson Hall」を聴いた。Side One の “This Place called Earth”を。このレコードを買って10年近く、いやそれ以上は経っているのに、おそらく20回ぐらいしか回していないだろうと思う。しかし、それでいて愛聴盤なのである。メロディがいいと思う部分は、民謡的で、アンサンブルにかかるあたりのぞくぞくする気分は格別なものだ。アルト・サックスとトランペットが過ぎて、Dave Burrellのピアノ・ソロに入る頃、怠惰な指使いによって弾かれるカオス状への召喚は、足を引き合う者たちの洗礼かもしれない。
続けて、何度も聴いて記憶していく類の音楽ではない。メロディやトーンのラインをなぞっていって、快感を覚える音楽ではない。
余りに、うるさく思っていた後半部で、Robert Kapp の drums が繊細に、たたかれているのを改めて聴き入りと、ふいに睡魔が押し寄せて、こっくり肯いてしまうのだった。

2011年4月12日火曜日
情緒・・・
《1981年4月12日(日)》
情緒不安定なんていい言葉だ。これで、自分のもやもや不確かな精神状態を、うまく言い表せてしまえる気がする。もちろん、原因はある。いや、自分で判別できなくても、外から圧されて押し寄せくる力が、何であるかを決めることのためらいを知っているだろう。だから直接の気持ちを伝えることが難しくなってしまう。それは一つの理性に見合う知恵なのだろうか。
精神的な進歩に近づくと必ず酔うか、エキサイトするかの、異常時に突入する。その気持ちを素直に表現不可能の場合に、自身をうまくコントロールできずに、惑いが拡がってしまうのだろう。
言葉は、情緒不安定で済んでしまうけれど、単純一過性の音列は、安易なわりには、哀愁を予期させて辛かろうと思う。
情緒不安定なんていい言葉だ。これで、自分のもやもや不確かな精神状態を、うまく言い表せてしまえる気がする。もちろん、原因はある。いや、自分で判別できなくても、外から圧されて押し寄せくる力が、何であるかを決めることのためらいを知っているだろう。だから直接の気持ちを伝えることが難しくなってしまう。それは一つの理性に見合う知恵なのだろうか。
精神的な進歩に近づくと必ず酔うか、エキサイトするかの、異常時に突入する。その気持ちを素直に表現不可能の場合に、自身をうまくコントロールできずに、惑いが拡がってしまうのだろう。
言葉は、情緒不安定で済んでしまうけれど、単純一過性の音列は、安易なわりには、哀愁を予期させて辛かろうと思う。
2011年4月6日水曜日
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