実は、昨年だったけれど、2021年 今年オリンピックイヤー。
1964年、2番目の職場 明治パンで2年目になる。
前年 高校卒業すぐに宇都宮の百貨店に就職した。ほぼ5か月も持たずに挫折、7月には故郷へ逃げ帰った。家にとどまってはいられない。9月末には明治パンに就職した。赴任地は都下昭島市拝島 明治パン多摩営業所。
実家が菓子店だったからの思い付きで選んだ理由でした。従業員は全国にまたがり、北海道から奄美にわたっていました。特に茨城の人が多い?と思いました。初めは夜間作業でパンの仕分け、半年後には昼間の配達に回った。免許のない時で助手席での楽な立場でした。運転手は運送会社のプロで半分はドライブ気分だったと思います。その筈 檜原村方面行と、養沢方面(あきる野市)行とが、隔日になっていた。
この年の10月に東京オリンピックがあったんだなーと バレーの河西昌枝さんも、マラソンの円谷幸吉さんも、後の《東京オリンピック》市川崑映画で感激したことのほうが大きい。営業所敷地内に寮があり、食堂に一台のテレビ時代。そうした時期を過ぎて昼間の事務職に変わりました。手回しの計算機、ロールペーパーが出てくる計算機。すごいなーっていうのが、回顧気分。もはや57年前。



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