2012年5月30日水曜日

shibaren

《1980年5月27日(火)》
先月(1980/04)の末から、柴田錬三郎の「剣は知っていた」を読んでいて、この前やっと済んだ。前に五味康祐のことを記したことがあるが、時代小説とか剣豪小説とかいうものを、わりと偏見を持たずに読めるほうである。
MUSEに来る人の殆どは、そうした読み物風の小説には無縁だとは思うけれど、漢字の表す時代性と、シチュエイションの考証性にためらいがなければ、案外平気で楽しく触れられる気がするけれど、無理な注文かな。
「剣は知っていた」は、安土桃山期の相模辺をベースにした痛快篇だ。実は他愛もないくらいの変化自在さであるが、主人公の眉殿喬乃介と徳川鮎姫との純真一徹な慕いあいように、涙をせがまれる。結局は大団円を描いて結する。
現代の多彩な風潮から推せば、時代錯誤も甚だしいというきびしい叱言を多く受けそうな気がするが、本当に愛すべきものに出会った時の、一大事な感傷度は、どこの世界にも共通しているのではなかろうか。
こういう小説を読むというのは、年代的な特権かも知れぬし、ノンフィクションに直截性を感じてほんのすこし抵抗を覚える、生身の訓話に事実性を疑ってしまう、猜意の持ち主には格好の講談である。といって芸術性が皆無だなどと言うのではない。
アクティヴな行動よりも、ポジティヴな精神を初めに見つめることを・・・・・書いていると、ぼくは思う。涙が湧きました。作品の良し悪しはともかくとして、涙が出るのはぼくの脆さだが、「兎の眼」「太陽の子」(灰谷健次郎)以来のことです。

2012年5月20日日曜日

新緑

Uni_0123_3 《2008年5月18日(日)》
栗だろうか、柿だろうか、夕刻から、ぷううーんと匂ってくるよどんだ空気を感じる。少しなまぬるい初夏の気配だ。これは果実ではなく花なのだろう、薄闇で目にできるのは、新緑のかたまりである。この季節のこの匂いが好きで、「何の」匂いと説明できないのが残念だけど、まあこの季節の緑の香りだと想えばいい。 「麦の穂をゆらす風」をみた。1920年代のアイルランドの田舎を‘どんと’据えている。歴史をたいらにとらえた傑作かと思うが、赤裸々な真実に向かう表現が、平和のまっただ中で安穏としている身には凝視できない辛辣さである(これは映画、創造なのだと割り引いても)。  【その時代から90年も経とうというのに、現実にも似たような境遇が世界にはある・・。】  理不尽で、納得のいかない傲慢な大局の押し寄せが「麦の穂・・・」の冒頭からうねってくる、なだらかな丘に、生い茂る美しい雑草の群舞のなかを裂くかのごとく、だ。個性をよみとれない殆ど似た様相(素朴な時代のファッション)から徐々に生みだされてくる、若者の突きだす僅かな主張が悲哀をつないでしまう。つつましやかな生き方の世界とそそとするおだやかな風の行方を遮ってしまった一閃の菜切りの緑のしずくが、この映画の魅力だ。仰がれてレンズに収められた緑の清逸なこと、格別な癒し、沐浴の如き。  

2012年5月5日土曜日

新→深→激

桜の名残を八重桜で
2012/04/24土浦乙戸沼公園

そして新緑、ほどなく深緑、
で・・・激緑かな

これはカメラの差か、鮮やか過ぎる緑の展開だ
2012/05/05広島安芸高田の田園風景。