2012年1月29日日曜日

friend

《1982年1月28日(木)》
友だちという類は、数多くいても、これが親友となると別だろう。そしてその扱いようも違うのだ。多くの隣人は、社会を形成しているだけに過ぎないが、親友となると社会的な構成を離れて、肉親以上の近づきをもって迫ってくる。だから大切にしなくちゃならないのだ・の論理が生じる。特別視してのはからいだと思うが、そうしなくちゃならないと感じるのは、親友という関係によって別種の負担が生まれるからであろうか。負担は何も親友ゆえに許される産物ではない筈なのに、それを社会の必要性のように、サディスティックに喜んだりする。虚飾というか。形式主義というか、そのへんの考え方には、合流できない、姑息な利己主義に、自らがはまっているのだろうか。
権威とか、支配するとかの表現によって利害関係が息づき、その結果、頼りを欲し、へつらう気持ちを孕ませるのかも知れない。

2012年1月25日水曜日

とまどい

《1986年1月25日(土)》
いつまで経っても、大人になりきれない気がする(この時41歳)。周囲の変化に固執しないで済めば、温和でいられると思うのに、どこかで怒ってしまうのである。
不条理であることを正すのは、簡単な思惑だが、不条理を見逃すのは勇気がいる。その思慮が必要だというのだろうが、ぼくにはそれを育成する力が乏しい。即ち、マイナスの力を正とする気持ちにはなりきれないのだ。
確かに考えようによっては、逆も正となり得るだろうが、それはなんとしても自慰的な発想であることには、違いない。
出きることなら、前方に活路を見出せる歩みでなくてはならない。

2012年1月24日(火)は久しぶりの、大雪?でした。

2012年1月23日月曜日

思慮

アルトでコルトレーンを追求するのは、ケニー・ギャレットだ。汗だくでプレイするスィート・ベイジルでの映像を見た。そこでもコルトレーンナンバーを演奏し、極めて真面目な姿が見られる。そう、いつだってギャレットは『まじめ』。だからこそマイルスの晩年を支えたのかも知れない。
トレーンの名盤「至上の愛」のミニ版のように思える曲がある。「アラバマ」・・・悲しい事件(アラバマの教会爆破惨事)の衝撃からトレーンが訴えた美しいメロディ。これをギャレットは忠実に再現した。パット・メセニーのギターが加わった(他にブライアン・ブレイドのds、ロドニー・ウイテカーのbs)カルテットのCDで、まるでテナーのように逞しい音量で奏するアルト奏者は彼の他にはいない。
ソプラノもフルートも演るのに何故かアルトが主だ。コルトレーンにはそれだけの重みがあるということだろうか、の・・・尊敬の念が直に伝わる。このアルバムは少しの遊びもみせない頑なな、コルトレーンの名曲選に仕上がっていて尚、考える姿勢が!主張になっている。
《2008年1月21日(月)ノート》

2012年1月18日水曜日

生還

少し大げさながら、14日に無事生還できた。退院のことである。過去にも1ヶ月ぐらいの入院生活を2度ほど経験しているが、今回は48日という長期で退屈を極めた。しかし、いざ帰宅してみて予定に振り回されるかというと、そうではなく僅かでも学んだ高齢者社会の片鱗を、反芻する知恵を授かった気がする。
あわてず、急がず自身の境遇を見つめ、へこたれず対処するということだろうか。ゆえにしなくてはならないことが見えてくる。
6階病室の窓から、眺望するとホントに切っ先のようなスカイツリーのてっぺんが見える?

2012年1月1日日曜日

外泊

2011年11月の後半に急遽入院。長らく放っておいて惨めな状態になっていた、右足の変形性股関節症の人工骨手術に及んだ。まあ、大変でした。全身麻酔とか、長期のリハビリテーションとか、思い出し考えると憂鬱が倍加するが、それでも、やっと昨日、一時帰宅の許可を貰い我が家に戻った。しかし、真冬の年末年始、当然の如く病院のような快適さは望めないが、さすが頼れるキーボードもあり、この自由な吐露。この発散により?1月中には退院までにこぎつけたい所です。
尚、病院からの眺めは変化には乏しく、毎日筑波山の表情をうかがうばかりです。